都市リンデンバークの誕生はさして古いものではない。
前皇帝オーギュストの父、リチャード・ウェリントン帝が作った街で、その規模は小さく周辺の開発も小規模な開墾事業が行われた程度だった。
これが大きく発展したのはジェームズがこの地の統治を任された頃からだった。彼は大規模な開墾、開拓を実行した。周辺では銀鉱脈、鉄鉱脈がいくつか確認されており、実際に商業ベースに乗るものも多いとみられたからだ。しかし、それがあっても港を作り、道を通さねばそれは意味をなさいない。ジェームズは赤字になるのも構わずにそれを実行した。皇室の予算は潤沢だったし、彼自身の熱意もあったため、なんとかこの初期投資で道や港の整備が行われた。そして、10年ほど前からそこは豊かな富を産む土地に変わっていた。
リンデンバークはジェームズの都であった。彼が帝国の内戦を戦えたのはそのような裏付けがあったからだ。
そのジェームズの都は今、争乱の只中にいた。
都市住民、農民たち、軍人たち多くの人々によって、テオドラ派が居座っていた館が陥落した。
勝利した人々は歓喜の表情で街頭に繰り出した。敗れたテオドラ派の貴族たちは吊し上げられ、反乱の象徴である旗が市内のいたるところでかかげられた。ジェームズが好んだ船と金槌、そしてジェームズ家の色である紫そして市民を表す青が加わる。
「市民諸君!我々の敵であるテオドラ派や貴族は去った!!彼らは我々から多くのものを奪おうとした傍らにいる息子、父、我等が苦労を重ねて実らせた果実を。だが、それは今日終わりを告げたのだ。」
リンデンバークの町の広場に作られた演台の上に立つ男は名をアンドリュー・マクディーンといった。近隣の富農の息子で、ビブリオストックの大学で学問を修め、村のリーダーも務めていた、という経歴の持ち主だった。年は30に届くかどうかというところだが、この反乱の指導者として彼は声を大にして自己の正義を訴えかけた。
その周囲にいる民衆はその一言一言を聞き洩らさないようにじっと耳を傾けている。
「我々はこの地に国を作ろう。それはジェームズ様が望まれた民による国造りを実現するものになる!」
叛乱のきっかけはテオドラ派による強引な徴兵だった。ジェームズの死後、テオドラ派は狂喜した。主人不在の状態となったジェームズ領にはテオドラ派の貴族が送り込まれ当分の間統治を代行するとしたからだ。穏当な統治を命じられていた貴族たちだったが、アグレシヴァル軍からうけた手痛い損害がすべてを変えてしまった。
軍の損害を埋めるため、テオドラ派は徴兵を強化する挙に出た。リンデンバーク周辺ではテオドラ派からすればもともとの領民でないということも手伝って強引な徴兵と物資の供出が行われた。
これで、反乱が起こらない方がどうかしている。
その愚に帝国が気づき、ジェームズ派の貴族に説得に当たらせたときにはもはや、叛乱は不可避の状態になっていた。
キシロニア連邦諜報部のレイナは民家の一室からその演説を聞きながら思った。
「これまで、一部の貴族の言われなき抑圧から我々は解放された。我等は帝国の他の土地の人々がそうであったように、誰かの使用人であったり、小作人であるのをやめよう。この新しい国は一人ひとりが平等なのだ。」
群衆から歓声が上がる。彼らはもともとの住人ではなく、帝国の他の地域から移住してきた者も多かった。もともとの土地では大きな抑圧に見舞われた彼らにとり、ジェームズの治める領地は天国だった。それを守ることに疑問の余地はない。
どうやら、連邦のように民主制をやるつもりらしいが、果たしてどうなるだろうか?ジェームズ領は比較的貴族による抑圧がなかった。彼らの頭上にいるのはこの土地をここまで発展させたジェームズという一人のカリスマがあるだけだった。また、経済的にも豊かであったため、それほど搾取もされず多くの庶民の権利や一定の政治的権利も認められていた。このように自治の気風が強かったからこそ「民主制」という発想が生まれたのかもしれない。
「我等の国はテオドラ派の貴族どもから目の敵にされている。当然だ、彼らはその領内で多くの民を虐げているのだから。当然、この国を潰そうと軍を差し向けてくるだろう。」
この叛乱に加わった人々の思いは一様かといえばそうでもない。叛乱を首謀した人々は平等の理想と民主制を信じているが、テオドラ派への感情的な反発から叛乱に加わった者も多い。ジェームズ派の軍隊が加わっているのはその典型だ。貴族による政治を終わらせるのであれば、ジェームズは否定されるべきなのかもしれないが、それは出来なかった。領民たちは彼のことを慕っていたからだ。
アグレシヴァルが送り込んだ帝国の反体制派も入り込んでいるが・・・果たしてどうなるだろう。
そうはいっても、この群衆たちは平等という理想に心を震わせている。貴族が戻ってきてまた同じように統治すると言えば彼らは全力で拒否するに違いない。それは、この事態を耳にした他の帝国国民にしても同様だ。この叛乱の持つ力というのは大きい、今まで水面下に隠れていた平等の理想が帝国を大きく揺り動かすだろう。
アンドリューは言った。
「だが、彼らは所詮、貴族の権利のために闘う雇われ兵士に過ぎない。我等は違う、自らの平等を、権利を守るために闘う者だ。何を恐れることがあろう!しかも、ジェームズ様が我等に遺された軍もある!敗れた時は自らの平等を失うことになるだろう。そのことを銘記せよ」
その数週間後、リンデンバークの反乱軍は鎮圧のために派遣された帝国軍を撃破、正式に国家の樹立を宣言したその名を「リンデンバーク共和国」という。
帝国は再び内戦同様の事態に突入したが、それは前の内戦とは何かが決定的に違っていた。
かつての内戦は皇帝を決めるための内戦で戦いのやり方も如何にも貴族的な一定のルールが存在したが、今回は違う。民の平等を掲げる共和国と、それを認めない帝国との衝突だ。それは互いの正義がぶつかりあう本当の「全面戦争」だった。
諜報部の上げた報告に頭を抱えたのはキシロニア連邦の首脳たちだった。終わっていたと思っていた帝国の混乱が再発し、その十分な援助が期待できない状態で、国内には侵入してきたアグレシヴァル軍が居座っていたからだ。
一方、「全面戦争」を行っているキシロニアとアグレシヴァルのそれはまた、次なる段階へと進んでいた。
キシロニアは辛うじて自分たちの陣地を守り切ったが、敗れたとはいえアグレシヴァル軍は依然健在で今も対陣は続いていた。とはいえ、今日は少し違っていた。両軍は武装を解き、共同作業を行っていたからだ。
戦いがあるところに死者は必ず発生し、それを弔う必要が生じる。要は辺りに散乱している敵味方の遺体を処理することだった。
「休戦の期間は2日間だそうだ。」
と、スレインは言った。
先の戦闘が終わった翌日にアグレシヴァルから戦場の「清掃」のため2日間の休戦との申し入れがあったのだ。キシロニアもこれに同意し、戦死者の整理を共同で行っていた。
「せか、にしてもアグレシヴァルのほうから言ってくるのは驚きやったな。」
「そうだね。」
「あのゲルハルトっちゅー指揮官食えん男らしいからな。」
今回のアグレシヴァルの提案は謀略ではないかという意見は確かにキシロニア軍ではあった。其れゆえ、周囲の一部の兵からは警戒の色が抜けていない。
だが、今までのところ作業は大きなトラブルもなく進んでいた。
弥生とビクトルは重傷と言ってよく休養が必要だったし、アネットは医術者として負傷者の手当てに当たっていた。だからこの作業に参加しているのは仲間の中では自分とヒューイだけだった。
「そいや、ラミィはどうしたんや?」
「いや、今も寝込んでいるんだ。」
「せやなあ、魂を扱う精霊が魂があんなに人の死を見たんや。」
「・・・そうだね。もうしばらくは休んでいた方がね。」
そんな会話を交わした後でスレインたちは仕事に戻る。
「リーダーそっちを頼む。」
味方兵の死体の肩を持つ。全ての力が抜けている状態の人ははやり重たかった。
この人はまだ、普通かもしれない。
死んだ兵士の顔が見えた。目をつぶって死んでいた。断末魔の形相そのままに動かなくなった死者のほうが多かったからそう思えた。
作業が始まってからそれなりの人数をこうして運んだことで事務的に処理しようとする自分がいた。そうしないと心が壊れそうな気がした。これまでも敵兵を弔ったことはあるが今回は数が違った。
周りを見回すと、自分たちと同じように遺体を運んでいる敵味方の兵士があった。基本的にそれぞれの死者を運んでいる。
アグレシヴァルの方は馬と荷台を持ち込みそこに自分たちの戦死者を運び込んでいた。
「こっちや、置くで」
運ばれた遺体は横一列に並べられている。もうたいそうな長さになていった。
死者の身に着けた武器や鎧類は剥ぎ取られている。既に昨日の段階でキシロニア側の手で武具は剥ぎ取られていた。どこかで再利用されるのだろう。そして、それは戦場に落ちているリングウェポンも同様だった。
死者たちの列のすぐ傍に穴が掘られていた。その中に遺体を埋め、葬送は終わる。
聖職者らしい一団が向こうからやった来る。近くで作業していた兵も手を止めてその前に跪いた。
聖句を詠みながら、香の入った壺を揺らし、聖職者は死者の列を歩いていく。
それが終わると、指揮官が合図した。
「埋めよ。」
穴に遺体を落とし、それが終わったら土で埋めていく。そうしてできた埋葬の跡がいくつも出来ていた。
気づくと、休息の時間になっていた。
「少しや休もうや。」
「そうだね。」
疲労した体を石の壁もたれかけると、少しだけではあるが休めているような感じがした。
渡されていたビスケットを口の中に放り込んだ。固さだけが目立つそれだったが暫くすると口の中で溶け出す。
「昨日からやっているけど流石に疲れるね。」
「まあ、キシロニア側の掃除は大方終わったみたいやけどな。」
「何人死んだのかな・・・」
「千じゃきかんやろな。万はいかんやろうけど。」
多い。だが、ローランドの洞窟のことを思い出した。あそこには万単位で死者が発生していた。それに比べれば少数ではあった。
しかし
「リーダー、いらん気はおこさんことや。」
「・・・・」
ヒューイのいうことは分っていた。いつもしていた闇の使い人の使命を果たすのは無謀だと、彼は言っていた。
「中には僕が殺した人もいる。分かっているよ。」
その人間の零がいかに闇の力を持っているとはいえ、自分のいうことを聞くとは思えない。下手をすればますます地縛霊に近いものに変質させてしまうかもしれない。これは本業の闇の精霊使いでも同じ行動をとっているらしい。
「そんならええんや。あんさんは闇の総本山に行くことを優先せな。」
その言葉にスレインは二度三度頷いた。
そうだ、ヒューイの言う通りだ。自分でもわかったことじゃないか。
異変の影響で曇りがちな空がそこにはあった。視線を地上に下ろすと、アグレシヴァル兵とキシロニア兵が何かを交換し合うのが見えた。休戦期間中なら多少の交流も生まれるのは自然だし、ある意味微笑ましいことなのかもしれない。が、その中でももめごとが起こっているのが見えた。おそらくキシロニア兵と思われる影がアグレシヴァル兵に殴りかかっている。それを止めに入ろうとしている双方の兵たち。距離はさして遠くない。そのなかに見知った顔がいた。
「あれは・・・ヒューイちょっと行ってきてもいい?」
「ああ、ええで。」
駆けつけてみると、もめごとは終わっていた。キシロニア兵は仲間の数人から抑えられ、反対のアグレシヴァル兵は何人かの仲間とたむろし憎悪の視線をこちらに向ける。それを必死に宥めている。大尉の階級章をつけた男。
スレインは抑えられている兵に言った。
「ウィル・・・」
「スレイン」
ヴォルトゥーンで会って以来の再会だった。
「知り合いか?」
ウィルを止めようとしていた中尉が尋ねる。
「はい。」
隣の男が説明した。
「いきなり殴りかかったんだ。アグレシヴァル兵に。」
「いきなりじゃねえよ!あいつ等は・・・」
作業をしていたウィルフレッドの近くで作業していたアグレシヴァル兵数人と乱闘になったようだ。お互い剣類は帯びていないため流血沙汰には至っていなかった。
が、アグレシヴァル兵は憎しみと、恐怖の目でこちらを見ていた。
「何事だ!?」
「これは、クライス殿」
「クライスト・・・」
駆け寄ってきた相手に緊張が走った。何しろ、3度も殺されかけた相手だ。意識しない方がおかしいだろう。だが、一方でクライストの方も意識しているという点ではスレインと同じだった。
彼はスレインの姿を認めると言った。
「スレイン少尉か・・・先日は見事な戦いぶりだった。君たちの仲間は無事かね。」
緊張しながら答える。全員無事です、と。
「クライストさんのほうは?」
「こちらも無事だ。・・・再戦を楽しみにしているよ。」
「・・・・・」
クライストは後ろで警戒を解かないアグレシヴァル兵に手を振った。
「皆、落ち着け現在は休戦期間中だ。」
「しかし、奴がいきなり・・・」
「お前たちもそれなりのことはしたのだろう?」
クライストの言葉にウィルは混ぜかえした。
「そうだ、そいつらは・・・俺の部下を笑いやがった。」
「・・・・・」
無言のクライストは静かに頭を下げた。それも最も礼を尽くした一礼だった。
「彼らの非礼は私が詫びる。どうか、これで収めてはくれまいか。」
身なりから貴族とわかるクライストの礼は彼らから見れば平民である人々に向けられたものだった。それだけに皆驚いた。
「ちっ・・・」
ウィルは気まずそうに舌打ちしてから小さく言った。
「分かった。それに・・・」
彼は立ち上がると、こちらも最大限の礼を放った。
「済まなかった。」
キシロニア側の士官も重ねて謝罪し、その場はようやく収まった。
クライストは「作業に戻れ」とアグレシヴァル兵に言うと、こちらを振り返り何も言わずに立ち去っていった。
それを見送ってからウィルの肩に手を置いた。事情はなんとなく分かっていた。
そこには他の隊員が作業していた。人の目もあるウィルを最寄りの砦の裏に連れ出した。
「スレイン!俺は・・・・!!」
ウィルは手を震わせながら地面を見つめていた。
「あいつ等を部下を死なせてしまった。5人のうち3人も・・・!あとの2人も重傷でどうなるか分からねえ」
「ウィル」
ウィルの部隊の練度はお世辞にも高いとは言えなかった。が、戦況は彼らが後方にとどまるのを許さなかった。それに比べればスレインの部隊は幸運だった。誰もが一定の戦闘経験を積んでいた。
「今は戦う時じゃない。」
その言葉を聞いてウィルは瞬間的にスレインの襟をつかみ、そのまま地面に押し倒した。
ウィルの顔が見えた怒りではなく、どうしたらよいか分からない困惑の色が見えた。
「お前の言う通りだ。」
そうだ。
「分かってる。分かってるよ。」
そうであっても割り切れないものはある。それは自分だって同じことだ。
「皆、俺のことを頼ってくれた。だが、俺は何もできなかったんだ。何も・・・」
お前の隊は誰も死ななかった―とは言わない。ウィルもそれは口にする気にはならなかった。
もしも
アネットがヒューイが弥生がビクトルがあの戦いで死んでいたら。恐らくウィルと同じになっただろう。大規模な戦闘を経験して初めてそう思った。
「僕も同じだよウィル。さっきの男に僕は3回も殺されかけた。」
「何?」
「そして、仲間が死んだらアグレシヴァル兵を皆殺しにしたいと考えるに違いないんだ。」
「だったら・・・!」
「でも、僕は止められる状態だった。それだけだよ。もしも、あいつ等がやっていることが欺瞞工作で奇襲を仕掛けてくるというならその時に闘うんだ。」
死んでいった部下の仇を撃つのはその時だ。
でも
「今は、その時じゃない。アグレシヴァル兵は死者を弔いに来ただけだ。今やることがあるとしたら、味方の兵を弔うこととあの連中を良く監視して変なことをたくらんでいないかを見つけ出すことじゃないのか・・・それが隊長だろ?」
「・・・」
ウィルは静かにスレインのから離れた。
「悪かった。かっこ悪いところみせちゃったな。」
自分の仲間は死んでいない、そんな自分の言葉を受け入れてくれたことが少し嬉しかった。
「二人は?」
「今は野戦病院だ。」
「ここにいてもいいの?重傷なんだろう。」
ウィルが答えようとしたときに、後ろから声がかかった。
「ウィルフレッド隊長はいらっしゃいますか!?」
恐らく、野戦病院の警備に当たっている隊員だったのだろう。それを認めると、ウィルは勢い込んで尋ねた。
「どうした!?」
無事なんだろうか、それとも。
「無事です…二人とも助かりました!」
「・・・そうか。良かった。」
虚脱したような表情でウィルは答えた。そして大きく息を吐いた。
「養生するように言ってくれ。」
「はっ!良かったですな隊長。」
「そうだな、知らせてくれてありがとう。」
彼が戻っていくと再び大きな息をついて地面に座りこんだ。
「行かないの?」
「一応、任務中だ。それに今は休ませてやりたいんだ。」
ウィルも隊長になって多少変わったのだろう。昔なら、すぐに飛んで行くような性格だ。いや、性格はきっと変わっていない、行動が少し変わっただけだ。
「マリア副隊長たちはどうしているかな・・・・」
「二人なら顔は見かけたけど、その部下まではどうかな」
スレインの隊はもちろんだが、ウィルの隊にしても幸運という評価も可能だった。中には小隊ごと全員戦死というところもあったからだ。それを一番よく認識していたのはキシロニア軍の上層部だった。
「守り切ったが、我々もほぼ壊滅か」
ロナルドは自軍の状態をそう言い表した。無理もなかった。何しろ兵員1万5千のうち7千が死傷というもので、残りの戦力でアグレシヴァルを国土から追い出すなど出来そうもなかった。
「敵の状態は?」
「はい、我々が運んだ敵兵の死体は約4千これを考えれば敵も7千程度の損害を受けている筈です。」
「それでも、敵は2万程度はいる。本国の守備隊を考えなくても」
そこにキシロニア軍の将官たちは救いを求めるようにケネスを見た。今回の逆転勝利はかれの戦術眼が無ければなしえなかったものだ。しかし、彼の答えはその期待に応える物ではなかった。
「我々も兵力の3割が死傷しています。損害は甚大です。」
要するに彼もこちらと同じということだった。
「まあ、ロナルド司令。帝国軍がいてくれるだけでもありがたいと思わねば。」
「それについては、言葉もありません。誠に困ったことですが。」
と、苦笑しながらケネスは言ったが、事態は深刻だった。鎮圧軍を撃退すると、リンデンバークの反乱軍は周辺部への侵攻を開始していた。
「ただ、本国から帰還命令は一切来ておりません。」
と、ケネスは言った。
ともかく、こちらから攻勢に出ることはできない。それが結論だった。
たとえ、占領地が固定化されることがあっても。
ダメだ、アグレシヴァル軍に誰かがもうひと押しを加えてくれればいけるかもしれないが、そんなことができそうな人間はどこにもいそうになかった。
遺体処理はその日の夕刻前には終わっていた。スレインとヒューイはその帰りがけに野戦病棟に寄ることにした。モニカやビクトル、弥生の容体が気になっていたからだが、それは杞憂にすぎなかったようだ。
普段は静かなモニカが見違えるように明るい声で話しかけてきたからだ。
「スレイン。ヒューイ」
理由は見るとなんとなく了解できた。彼女の隣には同じように重傷を負った、テッドがいたからだ。彼の小隊も何人か犠牲者が出たのかもしれないが、今は笑顔でモニカの話に応じていた。
「アンタたち、もう仕事は終わったの?」
その近くにいるアネットが尋ねた。
「せや、もうクタクタや。」
「アネットも終わったの?」
「うん、今は少し休んでる」
アネットは医術者だ。見習いと本人は言っているが、今は医術者が一人でも欲しい状態だ。朝からずっと働いていたのだろう。
そう思っているのを察したのか彼女は気丈に言い張った。
「大丈夫よ。アンタが倒れたときだってなんとかなったわ。アタシこれでもタフだから。」
「せやな。戦闘の時もタフやさかいな。」
「アンタ、殴られたいの?」
スレインは思わず苦笑した。
いつもどおりの光景かもしれないが、あの戦いの後では余計にありがたさが感じられた。
「ピートの娘が生きていて嬉しいよ。私もな」
「ピートさん・・・」
「あのね、スレイン。ピートに色々なことを聞いたのお父さんのことを。」
モニカは色々話した。
モニカが産まれる直前のオロオロした様子。
産まれた瞬間の喜びよう。
子育てが難しいとぼやく父。
モニカが一人で立てた時の笑顔。
どれもが、モニカがしならい父の顔だった。
「良かったな。色々な話が聞けて」
「ええ」
年相応の笑顔だった。それだけ嬉しかったのだろう。もっとも、何故そのような父が家族を捨てたのかという疑問はより大きくなっているかもしれない。
「真新しい話はないかもしれないが、こんな話で良ければいつでも話すよ。」
テッドも笑顔であるのは同じだった。親友の姿を娘に話せたことが嬉しいというのもあるかもしれない。
テッドはスレインの方を向いて言った。
「君も無事で何よりだった。」
「はい、テッドさんも無事で良かったです。」
テッドは年長者が血気盛んな若者に接する態度と、軽快さを取り混ぜた態度で言った。
「あたりまえさ、君より経験も長いんだ。そうそうやられんよ。」
そんなことを言っていると、テッドを訪ねる人が見えた。彼らが手を振ると、それに合わせるようにテッドも手を振った。
「おっと、私にも部下が来たようだ。」
数は2名。他の隊員たちどこかで別の任務についているのかもしれないし、死者が出てしまったのかもしれないが、それを聞くのはためらわれた。
「じゃあ、僕たちはこれで。」
「ああ、元気でな。」
「はい。」
「じゃあ、俺たちはここで帰るけど、あんまりテッドさんを困らせるなよ。」
「分かってるわよ。私これでもフェザリアンなのよ。」
むくれるモニカに笑いかけると、スレインはヒューイとアネット一緒にその場を離れ始めた。ふと、遠くの方を見ると、ウィルが自分の部下を見舞っているのが見えた。喜びの表現を必死に抑えているのが分かった。
その様子を安堵しながら見ていると、アネットが話しかけてきた。
「ねえ、スレイン。モニカちゃんって最近歳、相応になったような気がするの。なんていうか、言葉にあった棘が無くなってきたというか・・・」
「お父さんのことが段々わかってきたし、打ち解けてきたからじゃないかな。ヒューイみたいに」
「何で、ワイをだしに使うんや。ワイは皆の癒し系として活動してきたやないか。」
「確かに、ヒューイはそうかもね」
と、アネットは笑った。
「でも、思うにアンタのせいもあるかもしれないわ。モニカのお父さんの情報のことにしてもね。なんだか、モニカちゃんって妹みたいでほっとけないのよね」
・・・そうか・・・な?
だが、父が精霊使いであることの可能性を自分は話していない。どこかにある恐れがそれを妨げていた。
「じゃあ、アタシは仕事に戻るわ。」
「戦ったばっかなんだ。あんまり無理するなよ。」
「もう、お父さんみたいなことを言うだから。」
「・・・・議長にも手紙くらい書いたほうがいいよ。」
その言葉にアネットは渋々という様子で頷いた。彼女自身にしても心配をかけているという自覚はやはりあるのだった。
「わかってる。」
そういえば、
「ビクトルと弥生さんは?」
「ああ、ビクトルも弥生さんも軽傷だったから・・・ビクトルの方は仕事に戻っているわよ。」
ビクトルは連邦の防御施設の修復の仕事に取り組んでいた。もちろん実際の力仕事ではなく、図面をひいたりするほうの仕事だ。弥生のほうは何か用事があるとかでたまたま席を外していたらしい。良く考えると、アネットもそうだが、ビクトルも過労が過ぎるというものなのかもしれない。戦いの後に重要な仕事が待っているのだから。
「じゃあ、アタシは行くわよ」
離れていくアネットを見ながらスレインはボソリと言った。
「ひと段落着いたら休息が必要かな皆に・・・」
「まあ、休息のことは後で考えよか。何はともあれ、皆無事で良かったちゅうことや。」
うん、そうだ。―
スレインは頷いた。
それはとても幸運なことなのだと思った。
「ワイらは戻ろ。また、明日も同じ仕事がまっとるさかい。」
「まあ、戦場の整理自体は進んだみたいだけどね。」
ヒューイと部屋に戻ろうとしたスレインの目に一人の兵士の姿が飛び込んできた。
それが何であるかはすぐに把握できた。成仏できない戦死者の姿だ。一人ではなくそこかしこに見受けられる。思いは様々だ、仲間の無事を喜ぶ者もいれば、生き残った者たちを羨ましそうに見る者もいる。
―やっぱり、なんとかしなくちゃ。
その言葉をスレインは飲み込んだ。
夕食の時間が終わると、夜がやってきた。スレインとヒューイの寝床は先の戦闘で守り切ったあの砦だった。まだ、破壊されきっていなかったせいで、それなりに快適な場所だった。
そこに、身を横たえると、作業の疲れからか方々から寝息が聞こえてくる。そうしたい気分は自分も同じだったし、隣のヒューイもラミィもそうだったらしく、もう寝息を立て始めていた。
それから1時間くらいたったろうか?
皆寝息をたてている。隣のヒューイも疲れ切っていたラミィも。
今日は休んでいて。そうラミィに呟くとスレインはむくりと立ち上がった。
「大丈夫かな?」
皆を起こさないように足音を忍ばせながらドアを開け、廊下に出、そして砦の外に出た。
外はいつも通り闇の中だった。月の光は弱い。
カンテラを掲げると地面が見えた。その中をスレインは歩き始めた。風が吹いた戦場の焦げたにおいを微かに感じる。だが、闇の精霊使いであるスレインにはそれ以外のものも見える。
迷える魂。先の戦闘で命を落とした者たちのその中で輪廻の輪を見つけられずにいる者たち。
それは生前の姿をそのままに薄い光となって辺りをゆっくりとさ迷っていた。
「どこに行かれるのですか?」
後ろから声がかかった。カンテラその方向に向けると、同じようにカンテラを持った人影が飛び込んできた。
「弥生さん・・・?病院にいたはずじゃあ」
しかし、弥生は疑問には答えなかった。
「さ迷っている死者の魂を輪廻の輪に返すお積りですか?」
声は厳しい。
「ラミィちゃんが心配していました。貴方が消耗してしまったと・・・」
昨日のことを話したのだろう。ラミィと共に魂を輪廻の輪にもどそうとした時のことを。
「それで、ここに」
弥生は頷き、制止するようにスレインの前に出た。
「そんなことをすれば、体力的にも精神的にもスレインさんは消耗してしまいます。相手は自分たちがその生死にかかわったかもしれない相手なのですから」
そう、精霊使いが制御できるのは自分とあまり関りを持たない魂。
「今は、総本山に行くことだけを考えてください。その時にスレインさんの精神が不安定なのはいけませんわ。」
「分かっている。分かってるんだ。」
昨日それは試してみたんだ。そして、弥生が言う通りの結果になった。
「なら、今日もそれをする積りなのですか?」
いけません。と、繰り返す弥生にスレインは答えた。
「違う。・・・・今日は違うんだ。昨日のようなことはしない。でも、僕には出来るそういう方法なんだ。」
「・・・スレインさん、何をされるお積りですか?」
「すぐ近くなんだ。そこまでいけば分かる。」
怪訝な顔の弥生だったが、そこに行くことは納得してくれたようで、自分の前を立ち退いた。
弥生に言った通り、目的地はそこから数十歩ほどあるいたところだ。森の中にある一つの岩。その周囲には円形に木が生えていない場所があった。
「これは・・・」
「闇の門だよ。」
精霊使いである弥生にはそれがなんであるかを感覚的に理解することができた。それがどうゆう状態であるかも。
「これは壊れている・・・?」
「そう、僕がしたかったのはこれを治すことなんだ。」
そう言って前に出る。そして、前ポーニア村でした時と同じように印を切る。時折忘れそうなところもあったが、なんとか思い出して所定の方法を済ませた。
自分の手が光るのが分かる。そして冥界の門である岩が光りだした。
うまくいく。
そのまま、儀式を続け、最後の印を切った。
「終わった。」
目を開けると、岩の光は強くなっていた。だが、まるで戦いが終わった後のような疲労を感じた。やはり、消耗しないという訳にはいかないらしい。スレインはその場に座り込んだ。
「スレインさん、大丈夫ですか?」
そう、言いながら弥生がキュアの魔法をかけてくれた。
「済みません、勘違いしておりましたわ。」
「ううん。ラミィにも心配かけちゃったかな。」
昨日、死者の魂を一人でも冥界に戻そうと、さまよう魂にこれまでと同じように声をかけてまわった。
だが、今までと彼らの反応は違った。当たり前だった。中には自分に殺された人もいたのだから。彼らは冥界に行くどころか、地縛霊になりかねない勢いで自分を罵倒した。
結果、今までと変わらぬ迷える魂、疲労のみが残された。
「ええ、大分心配していましたよ。」
「精霊使いといえども、神ではありません。なんでもできるという訳ではありませんわ。」
何でも・・・か
「ロードだったら、違うのかな?」
「出来ることは増えるでしょう。しかし、ロードでもスレインさんと同じ状態であれば失敗したかもしれません。自分が関わったことには例え精霊使いでも関わるべきでないと・・・お社でもそう教えていますわ。」
ふと、視線を冥界の門に移すと、機能を取り戻しつつあるのが見えた。その様子から何が起こっているかが分かったのか弥生は「戻りましょうか」と尋ねた。スレインは頷いた。もう、ここで出来ることはないのだろうから。
二人はカンテラや月の光を頼りにもと来た道を戻り始めた。スレインは予想外に力を消耗しており途中から弥生に寄りかかっていた。
「ごめん、弥生さんも病み上がりなのに」
「構いせんわ。このくらいできなくては月のお社は務まりません」
と、笑顔で応える弥生に小さな声で礼を言う。
ふと、横を見ると、戦場の魂のいくつかが冥界の門に向かっていくのが見えた。
僕も少しは役に立ったのだろうか?闇の門が機能を取り戻せば魂が輪廻に戻れる可能性は高まる。前のローランドトンネルのような状態にはならないはずだ。
その筈なんだ。
「精霊使いになれば何でもできるようになる。私もそう思っていた時期がありました。・・・すぐに間違いだと気づかされましたわ。」
「弥生さんでも?」
「はい、厳しい修行でしたからそれを乗り越えた時は誇らしくなりました・・・それが行き過ぎてしまった」
そうかもしれない。僕はこれまで、だいたいの死者の魂を冥界に送ってきた。良く考えてみればそれは僕が殺して人であったり、生前に交流していた人のものではない。
ローランドでも、国境警備隊の時もそうだった。自分と関りを持った者にそれをしようとしたのは無謀だった。
「そうだね、僕もそうだった。心配かけてごめん。」
「それは、ラミィちゃんにも言ってください。それからヒューイさんも薄々気づいているとおもいますよ。」
昼間のヒューイの顔を思い出した。やっぱりそうだよな。
と、思案顔のスレインを見て弥生は笑顔を見せた。
「そう、思うなら今日は早く寝ることですわ。」
「・・・いや、子供扱いしないでよ。」
が、状況のギャップから何故かスレインも弥生も笑ってしまった。暫く、笑いの中にいたが、ふと、思った。
弥生さんの場合はどうだったのだろう?彼女が自分と同じようなことをしたときに諫めたのはやはり、シモーヌだったのだろうか?
「そういえば、あれから何かわかったの?シモーヌさんのこと?」
その問いに弥生は直ぐには答えなかったが、横に首を振った。
「まだ、そこまでは・・・・中々厚い本ですから。」
確かに、ビブリオストックの図書館で見たその本の厚さは尋常ではなく、あれから目当ての箇所を探すのは至難だ。何しろ手がかりはシモーヌという名前だけなのだ。
「でも、スレインさん。そのことはいいのです。」
「え?」
「今は、スレインさんが総本山に行くことが最優先なのですから。」
「弥生さん・・・・」
「私のことは後からでも出来ることなのですから。だから、気にしないでください。」
「今回の戦いで一歩前進ですね。」
「・・・うん。でもそうでもないかも。」
「どうしてですか?」
「帝国の内乱が思ったより酷いらしいんだ。」
スレインがそのことを知ったのはキシロニア情報局からの情報があったからだ。
「それでは、アグレシヴァルを倒せるかどうかが不透明ということですね」
その言葉にスレインは唇をかむ。
そう、帝国軍が健在でなければ、アグレシヴァルを倒すなど不可能だ。
「もしかしたら、王都に潜入するしかなくなるかも・・・」
「潜入ですか・・・キシロニア軍を抜けてからという意味ですか?」
その通りだった。
帝国が反乱鎮圧に本腰になるとすれば、アグレシヴァルと適当な時期に講和するかもしれない。そうなれば、キシロニアも同様だ。たとえ国土の半分近くが占領されていたとしても。
そうなれば、自分のアグレシヴァル王都に行くという行動自体がキシロニアの迷惑になりかねない。
「でも、それは皆さんに話からにしてくださいね。いきなり居なくなるなんていうのは止めてください。」
「ありがとう。」
横を見ると、弥生の顔がすぐ近くにあった。さっきまで前を見ていたのがふと自分の方を向いたのだろう。
驚いたような表情をこちらに向けている。そのままの状態で数秒だが時が止まった。
「・・・あ、ごめん。」
どこか恥ずかしくなってスレインは顔を背けた。それは弥生も同様だった。
「いえ、私こそ・・・」
暫く黙りながら歩いていた二人だったが弥生がふと、言い忘れていましたがとでも言うように言った。
「あの、言い遅れましたが、前の戦いで助けてくれてありがとうございました。」
「あ・・・ああ、あれね・・・」
声がどこか上ずっていた。
多分、頬の温度も上がっている。それをした瞬間のことを思い出していたからだ。さっき至近距離で弥生の顔を見たせいもあるのかもしれない。
「もともと、弥生さんがくれた薬だったし・・・とにかく、皆生きていて良かったよ。皆」
「はい・・・」
そんなことをしているうちに二人はスレインが寝ていた砦が見える場所にまで戻っていた。
「では、お休みなさい。」
「お休み。今日はありがとう。」
もしも
「ロードの力が戻ったら、最初にシモーヌさんが戻ってくるように力を使うよ。」
「・・・ありがとうございます。貴方がしてくれるならうまくいくような気がしますわ。」
弥生の顔はどこかそのことを期待してるような笑顔だった。それだけで、勇気づけられたような気がした。
自分の記憶のことにしても
ハインツ隊長の時も
精霊使いのことにしても
いつも、助けてもらってばかりだった。その人に期待されるのが嬉しかった。
「おやすみなさい。」
と、スレインは言うと、自分の寝所に戻っていった。
事態の変化はその夜間から始まった。それをキシロニア軍が察知したのは翌朝だった。
「スレインさ~ん」
ラミィの声だ。眠い。いつもより時間が早いんじゃないだろうか?
「まだ、時間じゃあ・・・」
「そうですけど、早く起きてください・・・・戦闘ですよ!?」
「ええっ!!」
スレインはとっさに飛び起き、防具をまさぐる。冗談じゃない朝討ちなんて聞いてないぞ。
が、戦闘を感じさせるような音声は聞こえてこない。ややあって、ラミィの目覚まし法の一つにであることに気付いた。
「あう~、ごめんなさい~。でも大変なんですよ~!」
怒る気は毛頭もなかったが、ラミィが言っていることのほうに注意が向いた。
戦闘でもないのに大変なこと?
見れば、辺りにいる味方兵の姿がない。いったいどうしたのだろうか。
外から音が聞こえてきた。歓声だ。
スレインが外に出ると、周囲には無数の味方がいて、歓呼の声を上げている。
「スレイン!やっと起きたの?」
「アネット・・これは・・・」
スレインの疑問に、アネットは感極まったというような喜びの表情で前を指さした。
「あれを・・・あれを見て!」
「これは・・・・」
アグレシヴァル軍の陣営に敵兵の姿が見えない。これは撤退?
馬鹿な、だって敵のどこに退却するような理由が?
夢を見ているのかな・・・・
スレインは自分の頬を抓ったが痛覚はまったく正常だった。
アグレシヴァル軍はキシロニア軍との会戦4日後にして撤退した。それはキシロニア領内からの全面撤退であった。
その理由は直ぐに判明した。ヴィンセント軍が反撃に成功し、国内守備にあたっていたアグレシヴァル軍を壊滅させたからだ。
退却したアグレシヴァル軍のいなくなったキシロニア領が回復するのに2日もかからなかった。キシロニア連邦は危機を脱したのであった。
~つづく~
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