17      暗殺者は目覚めた
 
 
 
 皇帝の宮殿が建てられたのは今から1000年は遡る。もっとも当時あったのは、この辺りを守る騎士団の本部だった。本部と言ってもそれはバラックか、小屋に近いような建物だった。
 その騎士団が帝国の基になっていく。国が強大国に成長していく過程で宮殿は次第に大規模に豪快になっていった。帝国の歴史の縮図がこの宮殿だった。その長い歴史を見渡しても警備兵全員が眠りこけ、誰でも入れる状態になったことなどなかったろう。
 スレインはつり橋を渡り、皇帝宮殿の中に足を踏み入れた。
 門をくぐると石畳の広場があり、その中央には初代皇帝の像が建てられている。その奥に宮殿が見えた。
 遠目からでもその壮麗さは分かるが。走りよってみると、その印象もより強いものになった。黄金の獅子、技巧を凝らしたステンドグラス、見事な大理石の石材。
 きっと見よう思えば何時間でも見ていられるだろうが、今は観光目的で来ているのではない。
「こっちだ」
 自分の内に眠っているグレイの直感でスレインは動いた。
 入り口から入るのではなく建物の側面に回った。そこには樹木が植えられ、宮殿に自然の装いを与えていた。
 そのうち一本の木がスレインの目にとまった。
「あれに・・・上れって言うことか」
 木の高さは他のものに比べて長く、屋根に乗り移れそうだった。
 こんなの慣れてないのにな・・・
 木につかまり、上に登る。時間はかかったかもしれないが、屋根の上に立った。
 強い風が吹き、態勢を崩しそうになるが、なんとかバランスを保つと、前に進んだ。
 気配は左のほうに感じる。
 ふと、別の気配が割り込んだ。自分とは反対側に何かがいる。初めは建物の一部かと思われたが、それは間違いなく人間だった。動いている。兜をかぶり、白い鎧をつけ、マントを羽織っている。
 外見上は騎士にも見えるが、誰だ?こいつは・・・それ以前に敵なのかそれとも無関係なものなのか?
 答えは相手が与えてくれた。
 無言で剣を構えこちらに向かってきた。
「っつ・・・・!」
 瞬間的にリングウェポンを呼び出し、敵の襲撃に備えたが、相手のほうがスピードで勝っていた。
 いきなり、懐に入り込まれ、自分と同じような大剣を打ち込まれた。
「うあ!」
 わき腹に痛みが来る。なんとかかわせたが、態勢を崩した。相手はそこにさらに打ちかかってくる。
「このっ!」
 金属音が響く。大剣と大剣がぶつかり合った。何度か撃ち合ったが、スレインの攻撃も騎士の攻撃も決定打には至らない。
 だが、どちらかと言えば騎士のほうが押し気味だった。技量は向こうのほうが優れていた。スレインの服には破れ目が目立ち始めていた。直撃には至らなくてもかすり傷はつく。騎士にもそれが見受けられるが、自分に比べればそれほどでもなく思えた。
 すごい力だ・・・押されている。
 その弱気を見透かされたのか騎士が素早く、懇親の力を込めて剣を振り下ろした。金属音。スレインは辛うじて剣でそれを受け止めたが、相手は力任せに剣を押し付けてくる。
 剣と剣がすれている音。向こうの狙いは明白だ。このまま力任せに自分を刺し殺そうとしてる。
「くう・・・」
 その時だった。ふと、頭にイメージが流れ込んできた。それは相手の騎士の経歴を語っていた。
 この人は・・・・それならば。
 方法はある。
 スレインは相手の圧力に耐えたが、時間稼ぎ以上のことは出来なかった。
 でも、それで十分だよ。
 スレインは自分の大剣を支えていた左手をかすかに、相手に向けた。
「我が魔力よ、敵を滅ぼす力となれ!!」
 左手から炎が相手に走った。これだけの距離ではずすはすも無く彼は炎に包まれた。
 スレインはゆっくりと立ち上がり剣を構えたが、止めを刺す必要も無くその騎士はくず折れた。悲鳴を上げることも無く、燃え続けた騎士はやがて、遺体を残すことも無く炎とともに消えていた。
 ・・・・・騎士だったんだ。昔の・・・
 シェルフェングリフ帝国がまだこの周辺しか領土で無かった時代に、当時は独立国だったデルフィニアと戦争があった。戦いは戦況不利で一時はこの帝都もデルフィニア軍の侵攻を受けたこともあった。彼はその時に命を落した騎士の亡霊だったのだろう。
 死んで護国の鬼となろうぞ!突撃だ!!
 他にこの騎士に選択肢はなかった。この町に妻子がいたからだ。自分が死ぬことが分かった、この騎士は雄たけびを上げながらデルフィニア軍の槍衾に飛び込みそして死んだ。
 彼の戦いと、死の記憶ははっきりとスレインの目に焼きついていた。
「どうか、やすらかに。」
 炎は消えた。
「だが、なんで、そんな大昔の亡霊が・・・誰かが操っているのか・・・」
 それ以前に今までなら、姿を見た瞬間に彼の正体を知りえたはずなのに、近づかなければ分からなかったんだろう?この月の異常と関係があるのかもしれない。
 とにかく、先に行こう。
 あの騎士と同じようなものがいないかどうかを気にしながら。
 
 
 暫く進むと、宮殿のほぼ中央に緑の空間があり、そこに小さな家、屋敷が立っていた。といっても、そのつくりは豪華そのものだった。
「ここか・・・」
 グレイの直感はあの小屋の周辺にあることを告げている。
 注意深くスレインは周りを観察した。衛兵ははやり眠っている。そこに足音が響いた。音は3つ。
 1人は
「弥生さん・・・」
 彼女は何かを話している。必死な口調だ。いつもの穏やかなそれとは違っている。
「シモーヌ、こんなことは止めるのです。何をたくらんでいるのかは知りませんが、私は貴方を殺したくありません。罪を認めてお社に帰るのです。」
「ならば、撃ってみるがいい。」
 聞き覚えのかる声だった。
「バーバラ・・・・」
 時空の宝珠を奪ったジェームズ派の宮廷魔術師だ。
「この女を撃ちたければな。」
 バーバラが視界に入ってきた。もう1人、別の女性がいて、バーバラの盾の様に立っている。服装から高い身分の人というのは分かった。
「この月の異常はあの人の仕業だったのか・・・」
 彼女も弥生と同じ月の精霊使いだ。おそらく、人間を眠りに誘う術を使ったのだろう。あまりのスケールには驚かざるを得ない。同時に何故彼女が帝国の内戦で主要な地位を占めているかも気になった。本当の精霊使いは世を避け、人を避けて生きているはずなのに。
 彼女だけではない、クライブもそうだ。そして、シオンも。彼等との会話からリーダーはシオンだったようだが、彼等は何の目的で帝国の内乱に関わり、時空融合計画を妨害しようとしたのだろう?
 スレインの疑問など関係無しに弥生は追い詰められていった。
「その方をお放しなさい。貴方の目的とは関係ない人でしょう?」
「貴方のような人が妨害来るとも限らないし、その時のために人質は確保しておきたかったのよ。」
「私の目標はその中にあるものだ。おとなしく道を開けよ。」
「くっ・・・」
 弥生は矢を向けながらもそれを放てないでいた。所々怪我をしている。バーバラの魔法攻撃を寸前でかわしているせいだろう。
 ここに自分が出て行っても、無駄になるかもしれない。ローランドで戦ったときは手も足もでない場面もあった。最悪、弥生にとって人質が2人に増えるだけかもしれない。
 それなら、人質を解放するのに絞ろう。
 スレインはバーバラ見る。彼女は人質を右手で抱えている。人質は気絶しているのかぐったりした様子だ。
 魔法攻撃をする寸前なら、彼女の警戒も薄くなっているに違いない。
「空けないつもりならそれでよい。魔法で灰になるがいい。」
 手を翳すと、魔法の詠唱を始めた。
 まだだ、待とう。
 手の前に巨大な火球が形成されている。ファイアーアローなどというレベルのものではない。熱気がここまで感じられた。
「さあ、完成だ。灰におなり。」
 その火球が放たれる刹那。
 今だ!
「でやああああ!!!」
 スレインは屋根から身を躍らせ、着地した。それにバーバラが気付いた。
「お前は!?」
 それに構わず突き進む。目標は人質に絞った。
「うぐっ!」
 姿勢を低くして、体当たりすると、流石にバーバラも態勢を崩した。その瞬間を狙って人質の女性をバーバラの腕からもぎ取った。
「おのれ!!」
 宮廷魔術師の大きな隙を弥生は見逃さなかった。
「伏せてください!!スレインさん!」
 スレインは咄嗟に人質と一緒に床に伏せた。
「ああっ!!」
 バーバラの悲鳴。轟音。
 顔を上げると、バーバラの右肩に矢が深々と刺さっていた。両肩にあった突起物、魔力を高める補助装置であるとともに防具でもある。その右肩部分が砕けていた。バーバラが生み出していた巨大な火球は明後日の方向に打ち出され、そこで炸裂した。
 スレインは立ち上がり、リングウェポンを呼び出した。人質を庇いながら弥生に近づいた。
「ありがとうございます。スレインさん」
「無事でよかったよ。」
 バーバラはまだ戦闘力を失っていなかった。肩にささった矢を抜き取り、此方を見返している。だが、もう人質はいないし、手傷を負っている。
「シモーヌ!もう、止めるのです!」
 シモーヌ?バーバラというのは偽名なのだろうか?呼びかけている弥生を気にしながらスレインは思った。
「もう分かっている筈です。勝ち目はないと。」
「そうかしら。」
 即答、だが、その声には余裕さえも感じられる。
 何を企んでいる・・・・
 そう、感じたときだった。いきなり目の前に闇の力が溜まっていくのが分かる。
「これは・・・さっきと同じ気配?」
「シモーヌ、もう一度言います武器を捨てなさい。」
 闇の精霊使いの資質を持つ自分には見えているようだが、弥生さんにはみえていない。
 やがて、闇の力は複数の形を成していく。
「弥生さん!新手が来るよ!」
「え?」
 白い兜、にマント、そして大きな剣。スレインが屋根で戦ったあの英霊達が姿を現した。彼等はバーバラを中心に円を描いて現れた。
 数は20くらいか・・・とても今の2人と戦闘力の無い女性だけでは太刀打ちできない。ともかく、包囲されるのだけは避けよう。壁を探す。それからホリーフレイムの詠唱を始めた。
「あ!?」
 弥生の手を引き、女性を抱えながらスレインは移動を始めた。
「弥生さん、ここだと囲まれてしまう。向こうに」
 目で合図した先に柱がある。
「ホリーフレイムが彼等の弱点なのですか?」
 小声で聞く、弥生にスレインは頷く。
「承知しました。」
 彼女も魔法の詠唱を始めた。
 柱に取り付くころには15体くらいの英霊達がこっちに向かってきていた。
 向き直りざまに弥生を見た。不十分だが準備は完了していると表情で分かった。
「ホーリークロス!!」
 スレインが唱えていた聖なる炎が弥生が巻き起こした風と合わさった。十字の光が伸びそれに触れた英霊たちを火達磨にした。
 だが、準備が不足していたのか倒れたの数体に留まった。それでも広い範囲の英霊に少なくない打撃を当てえていた。
 後は、接近戦になる他ない。
「やあっ!!」
 弥生は接近戦になれば役立たずになる弓を今のうちに使うつもりだった。一度に放たれた矢が5本が突き刺さり、また3つの英霊が姿を消す。
 残ったのは半分。
「・・・・っ」
 向こう側をバーバラは悠然と進んでいく。妨害は無理だ。妨害どころかどう生き残るかだ。
 弥生は小太刀を構えた。リングウェポンではない。多分それで時間を作りながらホリーフレイムを唱える時間を稼ぐつもりだろう。だが、小太刀とあの大剣では勝負は見えている。
 僕がカバーするしかない。
 その時、人質になっていた女性が目を覚ました。
「こ・・・これは・・・バーバラにさらわれた筈では・・・」
 スレインは覚悟を決め、弥生と人質の女性の前に出た。逃げることは許されない。
「でやああ!」
 牽制の一撃を集団の前に見舞う。驚き一瞬だけ動きが止まる。すかさず前に出て牽制。反撃をかわし、時折弥生に向かおうとする敵を牽制。当然ダメージを受けないはずが無い。
 繰り出される剣の襖、とてもかわしきれず一撃が肩を捕らえた。激痛が走る。
飛びのくが痛みをこらえてと言うよりあまりそれは感じていなかった。再び剣を横に振る。
「くっう!!」
 弥生が小太刀で敵の攻撃を受け止めている。
「このっ!」
 剣を突き刺すようにその英霊の顔に当てる。体制の崩れた瞬間にそれを蹴り飛ばした。
 少しでも、時間を。
「少尉、よくここを守ってくれた。」
 後ろから声が聞こえ、前にいた英霊が一撃で消し飛んだ。助け舟を出してくれた人物が前に躍り出た。
 人質だった女性が言った。
「おお!ヴィンセント将軍!」
 帝国三将軍の1人がそこにいた。
 顔色は悪い。この月の秘術の影響下で行動するのは普通の人間には至難だ。精霊使いのヒューイでさえもその術中にいる。将軍だからこそ立ちえているのだろう。
「テオドラ様!ご無事でしたか。」
「うぬ。」
 あれは、テオドラ様だったのか・・・
 それはさておき、将軍は普段に比べれば、あの訓練の時に比べれば格段に動きが鈍かった。それでも多勢に無勢の状態でも確実に一体、一体と敵を消し去っていった。といっても、闇雲に前に出ているのではなく、自分の意図を察してくれているようだった。
 負けていられない。
 スレインも剣を振るった。
 そして、暫くすると敵の集団の中央に聖なる火柱が燃え広がる。
 弥生の魔法が完成していた。
 ある程度準備期間を置いて放たれたホーリーフレイムは忽ち10体近い英霊を炎の中に消し去った。
 残るっているのはバーバラの周りにいるものだけだ。ふと、彼女のほうを見ると、建物の扉が勝手に開くのを見た。
 バーバラが何かに言葉をかけた。
 彼女は勝ち誇った顔をこちらに向けた。
「ふふ、残念だったな。」
「あれは、貴様!!騎士の十字架を・・・!」
 彼女が持っていた物に気付いたのはテオドラだった。
「バーバラ!!それを返しなさい!!それは帝室に伝わる宝物なのですよ!」
 バーバラの手にある黄金の十字架その中央には黒く光る宝玉がある。
 なんだ、あれは・・・・?
 戦場にありながら自分が和んでいることに気付いた。自分にとり、あの宝玉はとても甘美なものに思えた。
 だが、頭の中に警報が鳴り響き、同時にあの精霊石のイメージが浮かんだ。
「俺の、精霊石を・・・・」
 自分とは違う誰かが言った。
 次の瞬間スレインの視線は後ろに飛んだ。瞬間、彼は自分のリングウェポンを放り投げた。
 弥生は何が起こったのか全く分からなかったが、その剣が自分の横で何かに当たると、全てを理解した。
「ぐううっ!!」
 それまで姿を消していたものが姿を現す。クライブと名乗った黒尽くめの男だった。
 弥生はテオドラを庇いながら、後ろに下がった。攻撃直後で彼女の弓も今は放てない。スレインが気付かなければ危ないところだった。
 クライブの奇襲が失敗したのを見たバーバラが言った。
「・・・クライブ!少なくとも我等の任務は完了した。」
「ちっ・・・分かったよ。命拾いしたな。」
 捨て台詞を残して、クライブはテレポートの魔法を発動し、バーバラとともにその姿を消していた。
「・・・消えた?妖術使いか・・・」
 悔しそうにヴィンセントが言った。
 それが、戦闘の終了の合図だった。だが、空の月は前と同じだ、まだ月の術は続いていた。
 
「なんということか・・・・」
 テオドラが呆然とした様子で言った。
「テオドラ様!」
 駆け寄るヴィンセントは皇后の前に額づいた。
「申し訳ありませぬ!あのような賊に・・・」
 呆然としていたのは変わらなかったが、テオドラは冷静だった。
「・・・・よい、この異変で私はあの者に人質にされたとき、誰を呼んでも寝ておった。将軍に助けられたのも運が良かったのであろう」
 そこで、テオドラはスレインと弥生に向き直った。
「そなたたちにも助けられたの。礼を申すぞ。」
「は・・・はっ!」
 慌ててスレインと弥生は額づいた。
「それにしても、大掛かりな術よの。あの宮廷魔術師にあれほどの力があるとは盲点じゃ。」
 テオドラはあたりを見回した。衛兵たちは相変わらず。眠りの中にある。
 突然声が割って入ってきた。
「朝まではこのままの状態だと聞いておりますぞ。姉上。」
「お主は・・・・・」
 テオドラだけではない将軍でさえも驚きを表さずにはいられなかった。
「ジェームズ殿下・・・・それに」
 オルフェウスがスレインの目に入った。そして、彼を従えているのは内戦のもう1人の主役、ジェームス・ウェリントンだった。彼は自分は武装していないことを示すように両手を広げた。
「時間通りに着たということか?ジェームズ。にしては座興が過ぎようぞ。」
 時間通りということはこの休戦期間中にジェームズ派とテオドラ派の間で何かの話が予定されていたのかもしれない。そう考えればテオドラが昼間の服装であるのも分かる。
「姉上、私は話し合いにここに参ったのです。それは理解していただきたいものですな。」
「・・・・・ここでは、不都合じゃ。部屋で話を聞こう。」
 テオドラは周囲の人を見回した。
「余人を交えずにな。」
 皇族同士の話し合いにつき手出し無用だとその眼は告げていた。
 
 ヴィンセント将軍は結局スレインと弥生を大使館に帰らせることにした。話は第一に帝国の人間同士の問題なのだから、とりあえず、大使館で待機してくれということだった。ということはこの帝都で動き、帝国の未来を話しているのはテオドラ、ジェームズそして、ヴィンセントとオルフェウスの4人ということになる。
 まだ、月の術の影響で寝入った町の中をスレインと弥生は歩いていた。
 2人とも何も言葉を交わさなかったが、弥生は唐突に立ち止まった。それにつられてスレインも歩みを止め振り返った。
「どうしたんだ?」
 そう言われた弥生は息をついてから言った。
「やっと、話してくれましたね。グレイさん。」
 スレインの身体の本当の持ち主は驚いた顔をし、次いで剣呑な表情を弥生に向けた。
「−いつから気付いていた?」
「戦闘が終わったときからです。」
「そうか、それでどうする気だ?」
「貴方は、連邦議長バーンズさんの暗殺を依頼されていると聞いています。それが、本当ならば止めなくてはいけません。」
 グレイはその言葉を聴いて後ずさった。弥生の目はおっとりとしたいつものそれではなくなっていたからだ。この女は本気だ。
 グレイはいつでも武器を呼び出せる態勢をとりながら相手の言葉を待った。
「・・・でも、バーンズさんの暗殺を引き受けていないなら、戦おうとも思いません。私の想像ですが、あなたは議長を暗殺する気はなかったのでは?」
「なんで、そう思うんだ?」
「畜生、こんなところで・・・・アネット」
 グレイは面食らったように弥生を見た。
「前回、あなたが意識を取り戻したときの最後の言葉です。」
 私はその言葉から、貴方がアネットさんと顔見知りなのではないかと思いました。そのお父様を殺すとは思えなかったのです。
「知り合いだって、殺すことはある。俺は暗殺者なんだぞ。」
 弥生は少し後悔する風を顔に浮かべた。グレイにはその理由が分からなかったが、彼女の答えは図星としか言いようがなかった。
「スレインさんがキシロニアに着いた後、貴方には行動の自由を得る機会があったはずです。その時何故、行動を起こさなかったのでしょうか?凄腕の暗殺者としては時間がかかりすぎだと思いますが?」
「チッ・・・あんた、すべてお見通しなのかよ?それが、月の力なのか?」
 グレイは両手をダラリと伸ばした。戦う意志はないと示したのだ。弥生の表情もいつものものに変わっていた。
「いいえ、貴方の心を探ることはできませんわ。何しろ二つの魂が1人の身体に同居しているのですから。さっきのは私の想像です。」
 話していただけませんか?
 弥生の質問にグレイは仕方ないというような仕草をした。スレインにもトニーとの会話で自分の素性は知られてしまっている。この女に話したところで遅いか早いかの差だろう。
「分かったよ。」
 だが、コレだけは言って置きたいというように空に向かって言った。
「それから、スレインも良く聞いとけよ!」
 グレイは自分の過去を語り始めた。
「俺の名はグレイ・ギルバート。父は先代のキシロニア連邦の議長だった。・・・その息子が何で暗殺者に?といいたそうな顔だな。」
「そうですね。普通に考えれば。確か、先代の議長さんは奥さんとともに食中毒で亡くなられたと聞いています。」
「・・・・それは、あってる。だけど、それは仕組まれたことだった。暗殺だったんだ。」
「え?」
 それをやったのは暗殺者ランドルフ、ああ、あんたはまだ奴のことは知らないよな。と、グレイは続けた。
「奴は毒を食事に仕込み、その解毒薬を作ろうとしたアネットの母親も殺した。解毒剤を作るのに必要なロベリカのある場所で待ち構えていたんだ。その現場に俺もいた。」
「では、アネットさんのお母さんの死もはモンスターに襲われたというのは」
「俺はその後、森の中で迷った。奴から逃げるのに精一杯だった。そして、どうにか街に戻ってきた時には、両親とアネットの母親の葬式も終わっていた。」
 その後で俺は周りの大人たちに自分が見てきたことを言ったが、信じてもらえなかった。親を亡くして気が動転したんだろうという訳さ。
 俺の言うことが信じられなかったのはそれでもいい。だが、
「アネットが墓の前で泣いているのを見て俺は誓ったんだ。必ず奴に復讐すると・・・・」
「それで、暗殺者になったのですか?」
「ああ、奴の名前や素性さえも最初は分からなかったからな。」
 相手が何者なのかそれさえも分からなかった。子供が闇の社会の人間を追おうとした。冷静に考えれば正気の沙汰じゃないと、グレイ自信も思っているが、それだけ当時は我武者羅だった。仇の名前をさがすことに
「・・・・そして気付いた時には俺も奴と同じ職業・・・・まあ、そういうことだ。」
「では、議長の暗殺を引き受けたのも、他の暗殺者に依頼がいかないようにするため・・・ですね。」
 グレイは頷いた。
「このことは、アネットには黙っていてくれ。アイツは俺のことを覚えているみたいだが、こんな姿を見せたくないし、気まずくするのも本意じゃない。」
「それは、お約束しますわ。」
「ぐっ・・・!」
「グレイさん!?」
 彼の顔は蒼白だった。だが、生命の危機というわけではない。月の精霊が異常を知らせている。
 スレインが目覚めようとしている。弥生にはそれが分かった。グレイを壁に横たえると苦しそうに彼は言った。
「どうやら、アイツが戻ってくるみたいだ。・・・丁度良かった。少し話過ぎたみたいだし・・・な。」
 その言葉を最後にスレインは意識をなくした。弥生は慌てて脈を触ったが、はやり命に別状は無い。それから暫くしてから彼は立ち上がった。
「スレインさん・・・ですよね?」
スレインはゆっくり頷いた。
 
 
 会話は全て覚えていた。内容は想像していたことと大枠では違わなかった。
 安心してもいいのかもしれない。
 でも、自分自分のスレインの記憶は闇の中だ。
 どこか、呼吸が荒くなる。
 背中をとんとんと叩かれた。弥生だった。
 彼女は自分を安心させるように、穏やかな口調で言った。
「息を吐いてください。ー吸ってください。」
 何度くらいそれを繰り返したのか、次第に落ち着きがスレインの中に戻っていった。
「さっきの、会話のことは全て・・・覚えていらっしゃるのですね。」
「ああ、覚えている。」
 少し躊躇った。だが、話してもいいのかもしれない。
「グレイの仲間と会ったんだ−」
 トニーとの会話の概要を話した。暗殺者グレイ・ギルバートのことを。
「直前に、そんなことが・・・・」
「うん、だから、グレイの話も半分は予想していたんだ。アネットと知り合いなんじゃないかって・・・」
 それに、キシロニアに懐かしさを覚えていた自分もいた。それはもしかしたらグレイの記憶が影響していたのかもしれない。
「でも、僕の、スレインのことは分からない。分からないんだ。やっぱり、居心地が悪いよ。」
 正直にスレインは言った。
「でも、半分は安心してる。少なくともグレイは議長を暗殺しようとするような人でも、皇帝暗殺の下手人でもない。って分かったから。」
 不思議なものでどこか気が軽くなるのを感じた。人にこんなことを言うのはヒューイと炭鉱で会話して以来かもしれない。
「強いんですね。スレインさんは。」
「強いの・・・僕が?それないと思うけど」
「貴方はキシロニア軍の少尉として、部下を一人も失わずに大きな戦果をあげたじゃないですか。それに、これまでも果たしてきた役目は小さいものではありませんわ。」
 暗殺者との対決、ポーニア村の戦い、時空制御を巡る戦い、
「それにさっきも私を助けてくださいました。あのまま、戦っていたら私の命の保障はなかったでしょう。」
 弥生は言った。
「それらは、貴方が決めて実行したことですわ。グレイさんではありません。」
「それでも、僕は一回皆を見捨てようとした。怖気づいた。」
 ラミィの説得が無ければそうしていたかもしれない。
「そうですね、そうかもしれません。でも、スレインさんは皆を救ったのです。それはそれでいいじゃないですか。」
 それに
「自分の記憶のことで貴方は追い詰められていました。それを考えれば驚異的な結果だと私は思います。」
 正直、戦場に立てるかどうかも怪しかったかもしれない。本当に苛立ったけれどもどうにも出来なかった。
「それに、そんな状態になったのは私の責任もあるのですから。」
 ポーニアで私が術を使ってからそうなったんですよね?と弥生は言った。
「弥生さん・・・」
 そう考えなかったかと言われれば嘘になる。だが、考えれば、彼女は十分に警告していたはずなのだから。
「・・・・・」
 しかし、顔に考えが出るスレインを見て弥生もそれを汲み取った。
「帝都に来るとき、馬車の中でスレインさんの月の力が異常をきたしているのを知りました。」
「異常・・・・もしかして夢のこと?」
「夢ですか・・・?」
 弥生はスレインの夢の内容は知らないらしい。だが、月の精霊の状態からして悪夢は見るだろうという答えが返ってきた。
「シオンに殺される夢・・・だよ。そこでの僕は黒衣の衣装を纏っていた。」
 内容を聞いていた弥生の顔は曇った。
「無理をされていたんですよね。本当にすみませんでした。」
 と弥生は頭を下げた。
「いや、いいんだよ。君の言っていたことは本当だし。僕にはまだ自分の過去を受け入れる自信がないんだよ。」
 逃げないと決めたはずなのにね。
 そんな考えのスレインを励ますように弥生は言った。
「スレインさん、計算違いは誰にでもあることです。でも、貴方がいままでしてきたことに自信を持つことは必要ではないでしょうか?少なくともアネットさんや皆さん誰一人も失うことなくここまで来たのですから。」
 そこで、スレインはふと、聞こうと思っていたことを思い出した。
「あのさ・・・シモーヌとさっき戦う前に僕の部屋にいた?」
「え?」
 額に手を翳して何かをしていた?と尋ねると、弥生はいつになく動揺した。
「そ・・・その、それは・・・・」
 言うべきかどうかを迷っていたが、観念したように弥生は言った。
「月の力を使っていたのです・・・」
 あの時の光はとても優しいものに見えた。心が不思議なほど落ち着いていったのを覚えている。
「もしかして、月の力の乱れを抑えてくれていたの?」
「はい」
「そう・・・だったのか」
 それで、あの夢を見なくなったのか・・・とスレインは思った。そう考えれば最近のことは合点がいく。
 弥生は俯いたままだった。
「ありがとう。」
 と、スレインは言った。
 月の力を使ってくれたお陰で、息継ぎの時間が出来た。十分とはいえないけれども、ようやく前を向こうという気持ちになれた。それがなかったら、トニーの話を受け止められたかどうか・・・
「だから、本当にありがとう。」
「そう言っていただけるとありがたいですわ。・・・・その部屋に勝手に入って事はすみませんでした。」
「勝手に・・・」
 そういえばそうだ、彼女は勝手に入ってきていた。ふと夜這いと言う単語が頭に浮かんだ。それから二の句が告げなくなった。
 暫くしてからスレインは言った。
「・・・あの、これからは昼間にお願いします。」
 言葉としては面白みも無かったが、どこかその場の空気とのギャップからか、どちらからとも無く笑いが漏れた。
「はい、今後は昼間にお邪魔します。スレインさんに何かの兆候が現れたら参りますね。」
「うん、お願い。」
 スレインは言った。
「そろそろ、帰ろうか」
「はい。-あの、その前にあの噴水によっていただいてもいいでしょうか?」
 弥生が指差した先に噴水が見えた。そこえはいくつかの道が集まっていて、ちょっとした広場になっていた。
 
 広場までは少し時間がかかった。自然とスレインは夢の内容に話を移していた。
「やはり、スレインさんの記憶の断片なのかもしれませんね。あのシオンという男はスレインさんを知っていた様子でしたし。・・・それから、背景の街ですが、もしかしたらそこが闇の総本山なのかもしれませんね」
「総本山の行き方はわからないかな?」
「・・・・そればかりは、分かりません。ですが、案外早く分かりかもしれませんわ。」
「どうして?」
「貴方の力がとても強いからです。ラミィちゃんのような妖精を連れることができるのは高位の精霊使いだけのはずですから。ですから、闇の精霊使いのほうからコンタクトがあるかもしれません。」
「力を持っているから?」
「ええ、もし覚醒すればロード並の力かもしれません。」
 ロードというのは精霊使いたちを束ねる者だという、その名の通り精霊使いたちの王ということになる。
「それに・・・・他の精霊力を麻痺させているあの波動のこともあるし・・・・か」
 正直なところ、その話も最近は気が回らなくなっていた。前にあることを片付けるのに精一杯だった。
「なんだか、スケールの大きすぎる話になっちゃたね。」
 精霊使いの彼女に言ってもあきれられるかもしれない。とも思ったが、弥生の答えは違っていた。
「ええ、本当に大きすぎますよね」
でも
「どんなにスケールの大きいことも初めの一歩は小さいものですわ。貴方の記憶も同じです。きっとヒューイさんやアネットさんたちも力になってくれると思いますわ。」
「そうだね。」
 実際、今までもいろいろな人たちに助けられてきた。あまり1人で考えずぎるのはよくないのかも知れない。
「はい・・・・あ、着きましたね。ここで待っていていただけますか?」
 弥生は広場の中央に進み出て、そこで足を止め、目を閉じて祈り始めた。
 やがて、彼女の周りに光が集まった。月の精霊の力を高めているのか、その光は次第に強くなっていった。ポーニア村で行ったときとは比べ物にならない。だが、恐怖を覚えることはない、むしろ心が落ち着いていく。
 弥生の右手に光が集まりやがて弓の形を作る。彼女はゆっくりとした動作で弓に矢を番えその弓を歪んだ月に向けた。
 小さな声で何事かを弥生が口にすると、歪んだ月に何かの紋章が浮かび上がった。中央に丸があり、そこから四方に木のような模様が広がる。
 弥生は静かに目を開き、音も無く弓矢が放たれ、月に浮かんだ紋章の中心に命中した。すると、紋章から帝都全体に光が広がっていった。
 その光景に圧倒されながら、美しいとスレインは素直に思った。
 それは時間にすれば数十秒でしかなかったが、終わってからも暫しスレインは空を見上げていた。
「終わりましたわ。」
 弥生の声で現実に引き戻された。
「月の力を使ったの?」
「ええ、バーバラの術のせいで月のバランスが崩れてしまいましたから、それを修復したのです。」
 月の力が暴走すると、人々の心から冷静な心が消えて、不信感であったり、猜疑心ばかりになってしまうのです。それを防ぐのが月の精霊使いの役目なのですが・・・
 弥生は悲しそうな目でゆがんだ月を見つめた。
「あの人は・・・・それを忘れてしまったのかもしれませんね。」
 あの人とはバーバラのことなのだろう。彼女も弥生と同じような強力な業を使うに違いない。それを何かの理由で使った。その理由はなんなのだろうと思う。
 そして、自分にもそれを超える力があるのかもしれないということも思い出す。ローランドに続くトンネルでのことが頭によぎった。自分は弥生のように自制して力を使うことができるだろうか?
「弥生さん、お願いがあるんだ。」
「なんでしょう。」
「今あったことは、ノエルさんに話さないといけない。」
 明日、きっと帝国の政治情勢は激変する。当然、キシロニアの運命も大きくそれに作用される。
「でも、今日あったことは精霊使いの説明無しには話せない。僕は自分の闇の波動とか、精霊使いの話をしようと思うんだ。」
「スレインさん、それは・・・」
「弥生さんにポーニアで言われたことだけれども、今日のことを黙っているわけにはいかない。」
 この内戦の影に精霊使いが関わっているのは間違いない。バーバラは帝国の上層部に食い込み何事かを行おうとしている。シオンも、クライブもだ。国の命運を賭けているキシロニアにとって関連がないとはいえない。
「それに、僕の力に引かれて精霊使いがくるなら、皆にも、キシロニアにも迷惑をかけてしまうかもしれない。だから、話しておきたいんだ。勿論、弥生さんやヒューイに正体を明かすことを強要しているわけじゃない。話をするのはあくまで僕だ。」
 どう答えてくれるだろう?
 もしかしたら、正体を明かそうとする精霊使いは総本山から粛清されるのかもしれない。
 暫く、弥生は迷っていたようだったが、彼女は答えた。
「精霊使いは正体を知られてはならない・・・・ですが、こればかりは、仕方ないかもしれませんね。−分かりました。私もバーバラを追っています。そのことで皆さんを危険に巻き込むかもしれません。それに、この大陸の動乱に精霊使いが関わっているのは間違いないようですから。」
 私も、自分の正体を皆さんに明かします。話すときになったらおっしゃって下さい。
「ありがとう。」
「いえ、私も皆さんに打ち明けようかどうしようか迷っていたところでしたから。これで決心がつきましたわ。」
 精霊使いとしては軽い決断ではないのだと思う。しかし弥生はいつもと変わらない穏やかな笑顔で答えた。たぶん、あの光を見たせいなのだろう。それはいつもよりも綺麗に見えた。
 
 
(つづく)
更新日時:
2012/10/29 

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Last updated: 2014/3/16