馬車の窓から見える帝都の様子は以前に訪れたときと余り変わっていなかった。
変わっているとすれば、自分の気持ちだけだろう。今は不安の方が強い気がした。
皆はもう寝ぼけなまこながらも起きていた。馬車は帝都の目の気取りを抜け、官庁街の多い区画に近づいていく。
「到達です。」
馬車の御者が告げた。
キシロニアの大使館の前だ。出迎えが着ていた。
「あ、ノエルだ。」
「それに、兵士もいるわ・・・」
輸送部隊の人々は無事だろうか?
「降りよう」
と言って、スレイン達は外に出て行く。
「お嬢様!」
「ノエル。」
ノエルは息を切らせながら言った。
「お嬢様、スレイン達もご無事だったか。いやはや、この老体にはたえ難いストレスでしたぞ。」
「ごめんなさい、心配かけて。」
「ご心配をおかけして、申し訳ありません。」
自分のミスで連邦議長令嬢を危険に晒したわけだから、手放しでは喜ばれまい。そう思っていたが、ノエルの返事は違っていた。
「うむ、じゃが、無事で何よりじゃ。」
それに、とでも言うように輸送部隊の士官が言った。
「輸送作戦は成功した。テオドラ陛下もお喜びであった。火計は見事だったぞ。よく、無事に帰ってきてくれた。」
「は・・はい!ありがとうございます。」
スレインが輸送部隊の現状を尋ねると、輸送部隊は帝国軍近衛師団の兵舎に収容されていると言う。戦死者は100名程度のようだった。少ない犠牲ではないが、全滅覚悟だったことを思えばよい結果といえなくもないのだった。
「よろしいかな。」
ノエルたちの後ろから声がかかり、帝国貴族と思われる男が現れた。彼はスレイン達に軽く会釈した。まだ、若いのだろう。紫の髪を纏めた青年だ。だが、その正装は彼がしかえるべき家柄のものであることを教えていた。
「ようこそ、参られた。キシロニア連邦の方々。私はビブリオストック大公グランフォードが子でございます。」
グランフォードは頭を下げると言った。
「テオドラ様はこの度の輸送作戦の成功をお喜びになり、2日後の晩に開かれる夕食会に貴殿らをお招きしたいとの仰せです。応じていただけますでしょうか?」
意外な申し出だった。
自らの階級を意識する貴族ならば、キシロニアの農夫の頭目の娘や軍人を夕食会に招くなど考えない筈だ。どういう風の吹き回しだろうか?
スレインはアーノルドやノエル大使の顔を見た。2人とも心配は要らないだろうとの表情だった。おそらく、前からあった話なのだろう。
「はっ!ありがとうございます。」
「そうですか・・・・それでは時間になりましたら、大使館に使いのをお送りします。」
グランフォードは一礼すると、その場を後にした。
「ふう・・・なんだかすごいことになっちゃったわね。」
「ともかく、皆さん今はお疲れでしょう。まずはお休みください。何しろ、皇帝陛下の客なのですから」
「休むか・・・・」
風呂から上がったばかりの身体を風が撫でていった。スレイン達が最初に選んだのは風呂だった。そこで、汗や垢を落すとようやく落ち着いた心地になった。
アネットや他のメンバーたちも同様だろう。
そして、ラミィも。
「スレインさ〜ん、ありがとうございます〜」
「どういたしまして。」
彼女はすっかり回復していて、あの時の消えてしまいそうな儚さは感じられなかった。
「む〜、やっぱり、苺は美味しいです〜」
近くの店で買ってきた苺はラミィの口にあったようだ。時折、お茶を飲みながら美味しそうに食べている。何時もどおりの光景だった。もう少しで、これが二度と見られなくなっていたかもしれない。
「・・・ラミィ。この前は済まな・・・」
「んな馬鹿な〜」
「!?」
「スレインさ〜ん、駄目ですよ〜悲しいのは」
「しかし、この前のことは・・」
「みなさんも、スレインさんの悲しそうな顔を見ていたら、きっと悲しくなってしまうのです〜」
「でも、それには強くならないといけないんじゃないでしょうか〜」
「どうやって?」
「う〜ん・・・訓練とかですかね〜」
「・・・それは、その通りだけど・・・」
当たり前の話ではある。毎日の努力こそが正解なのは自分でも分かっていた。しかし、敵は待ってくれない。確か、帝都には闘技場があると聞いているそこに言ってみるのもいいかもしれない。
ドアを叩く音がした。
「スレイン、入るわよ。」
「ああ、アネット・・・どうかしたの?」
「あの・・・服を新調するんだけれども来てくれない?」
「え?」
きょとんとした表情のスレインにアネットはあきれたよう
「それは、貴方も同じなのよ」
・・・・確かにそに言った。
「テオドラ様に会いに行くのよ?服はアグレシヴァルに捕まったときに取られちゃったし。新しい準備しなきゃだめじゃない。」
アネットはスレインを指差した。うだ。
連邦と帝国は同盟関係にありその元首が功績を称えて宴に招くと言っている、失礼があってはならない。もちろん、服装もだ。
現在のものはどう考えても帝都で通用するものではない。
「確かに、アネットさんの言う通りです〜」
と、ラミィも相槌を打った。
スレインは頷いた。
「分かった。アネットの言う通りだね。言ってくれて有難う」
「別に・・・」
と、言いながらもアネット顔はとても嬉しげだった。
「皆は?」
「下にいるけど。」
「そっか、じゃあ、皆でお店に行こうか。」
「・・・いや、仕立屋を呼んでいるから大丈夫よ。」
「・・・・そう」
少しだけ恥ずかしい気持ちをかみ締めながらスレインは苦笑した。そうか、アネットってお嬢様だったんだな。
アネットも苦笑いするとスレインの手を取った。
その時だった。
「うわ!」
「あっ!?」
アネットが態勢を崩した。足を滑らせたのだろう。それに引かれるようにスレインも倒れこんだ。
「わ・・・」
アネットの顔が目の前にある。
オレンジ色の二つの瞳が何時もより細く開かれ、スレインを見ていた。頬は心なしか赤く、吐息を感じる。
いつも見る彼女とは違う、どこか寂しげで、美しい。スレインはそう思った。
−何を考えているんだ僕は・・・
その時だった。違う誰かが自分の口を使って言った。
「アネット・・・・」
これは、・・・・グレイ、もう1人自分なんだろうか・・ 。思わず口を押さえた。
呼びかけられたアネットのほうも何かを言おうとした様子だったが頭を振った。
「あの・・・どいてくれる?」
「ごめん」
と、いいながら、スレインは起き上がった。
「いいのよ。謝らなくても・・・」
どことなく気まずくなったスレインは別の話題に振り替えた。
「下に行こう。仕立屋がもう来ているんだよね?」
「うん。」
アネットも気を取り直すように、いつもどおりの声で答えた。
帝室御用達とはいかないが、それに準じる地位の店の仕立屋は公使館の一階に既に来ていた。
「アネット・バーンズ様、始めまして」
と、彼女は恭しく頭を下げた。
まだ若い。伝統と格式を重んじる店としては異例のことであったが、帝都の貴族の間では人気のある職人だった。
彼女は手早く採寸を済ませると、それぞれに好みや、服について質問している。
アネットは自分の好みを仕立屋にどのように言えばいいのかを知っているのかテキパキと答えていた。
意外なことにヒューイもアネット同じであった。
そして、自分に番が回ってきた。
「はじめまして、スレイン様。」
「は・・・はじめまして。」
「服はどういったものがお好みで?」
「その、あまり詳しくないので・・・」
「それでは、このリストの中から選んでいただけますか?」
あまり、服のことが分かっているわけではないので、注文するという感じではなく、むしろ、注文されるような感じであった。
だが、服のリストの中で一番引かれたのは何故か黒を貴重とした服だった。
「これを・・・お願いします。」
「黒ですか・・・。」
試着してみると、服に着せられている感じではあった。おそらく微調整はできるのだろう。
「馬子にも衣装やな。」
と、ヒューイがからかった。
「うるさいなあ・・・仕方ないだろ。初めてなんだから。」
「でも、」
と仕立屋が言った。
「黒、と言われて初めは意外でしたが、銀髪とのコントラストでお似合いですよ。」
「そうかな・・・」
ふと服を見た。美しい金の刺繍が施され、それに装飾品が色を添える。だが、目がいったのは基調をなす漆黒の黒の色だ、何故かやけに心地よい。
自分が闇の精霊使いだからだろうか・・・自分の記憶のことに意識が飛んだことに気付き、それを振り払った。
そう、今は自分の服をみていたんだ。
うん、似合うじゃないか。
「では、これでお願いします。」
「かしこまりました。」
スレインの番が終わると、モニカと弥生の番だった。
2人ともドレスの経験が無いことでは同じだった。フェザリアンは何故人間はこのように着飾るのか理解できないと言い、弥生は故郷の衣装と余りに違う服に戸惑っていた。
全員が服選びを終えた時、昼食をとり終えた。予定は特に入っていない。
「みんな、僕は外に言ってくるよ。」
まだ、間に合うよな。
スレインの行く先は余りに安直ではあるが闘技場だった。
「やっぱり、人がいっぱいです〜」
その中をスレインは歩いていった。官庁街を抜けると、大きな教会が見えた。そこから多くの人が出てきている。貴族階級の人々で皆そろったように喪服だ。彼等は広場にある馬車に乗り込み、それぞれの館に帰ろうとしていた。
「ウェリントン将軍の葬儀だったのかな・・・」
帝国三将軍の筆頭で同時に皇族でもあった将帥の死はテオドラ派にとっては大打撃であったが、帝国全体で見ても尊敬を集めていた人物だったこともあり、テオドラ派もジェームズ派も喪に入っていると言う。要するに現在のところ内戦は休戦中ということだ。
「惜しい将軍を亡くしたものだ」
と、道行く人たちは言う。
そういった人をよけながらスレインが道を歩いていると、警備兵に呼び止められた。
「おい、そこのお前!」
「?」
警備兵にお前呼ばわりされるいわれは無いのだけれど?と、スレインは振り返った。
警備兵は2名いる。前にいるのが上官で後ろにいるのがその部下なのだろう。その上官の顔は真剣だった。
「貴様!まさかグレイ・ギルバート?」
その言葉に全身が固まるかのような感覚を覚えた。封じ込めていた疑問を兵士長は無遠慮に穿り出す。
「陛下を害し奉るとは・・・・」
スレインは初め、言うべき言葉を失っていた。
「ス・・スレインさ〜ん」
ラミィが目の前にいる。それでスレインは正気に戻った。
「何のことですか?」
形ばかり、真面目腐って答えたが、兵士長はなおも食い下がったが。後ろにいた部下が止めに入った。
「兵士長!暗殺者グレイは既に死んでいるのでは・・・・この方は・・・」
部下が言うと、兵士長は追及を止めた。考え込んでいる様子だったが、素直に頭を下げた。
「す、すまない。他人の空似だった。」
「いえ・・・」
その場を立ち去る警備兵を見つめながらスレインは立ち尽くした。
死んでいる?グレイ・ギルバートが?皇帝暗殺?
色々なことが浮かんでは消えた。
立ち尽くしている時間は少し長かった。
「スレインさ〜ん、帰りましょうか?」
ラミィが心配そうな顔で尋ねた。
「いいや。」
スレインは頭を振った。
このまま帰ってしまおうかとも思ったが、このままでは進めない気がした。
「行こう。」
闘技場があるのは皇帝宮殿を丘の上に見ることができる場所、シェルフェングリフ・ノヴァと呼ばれる地区にある。
敷地は広く、モンスターとの実戦訓練など多くのことが出来るが、サーカスのような娯楽施設ではなく、騎士が自分たちの戦闘技能を磨くための場所としてそれは建てられた。帝国はこの地にあった騎士団が建国した国家であり、尚武の精神が強かった。貴族とは軍人と同義であった。
すれ違った屈強な男が言った。
「明日も試合があるらしいぞ。」
「明日こそは仕官の口をみつけたいもんだ。」
もっとも、今この場所は貴族同士が武術を磨く場ではなく、流浪の武芸者が仕官の口を捜す場所になっている。
「おい、お前なにするんじゃあ!!」
「わあ!!」
突然の罵声にスレインは後ろを振り向いた。
武芸者が道を歩いていた母子に文句をつけている。子供は怯えきって母親にすがっているが、彼女にしても屈強な武芸者2人に何かを言える立場ではなかった。
「お前、この落とし前、どうやってつけてくれるんじゃあ!!」
子供が持っていた菓子が武芸者とぶつかった時に鎧についてしまったらしい。生死を共にしてきた鎧を汚すとは何事かと威勢の良い声で叫んでいた。
「お・・・お許しを何分、まだ子供で・・・」
「ならぬわ」
通り過ぎようか?そういう考えも思い浮かぶ。
いや、駄目だ。逃げてはいけない。
「止めろ!!」
と、スレインは叫んだ。
「なんだ、お前は?」
武芸者がこちらを見る。その目には修羅場を潜り抜けてきた者が持つ光がある。
「スレイン・ヴィルダー」
「聞かない名前だな。」
細身の男は薄ら笑いを浮かべながら、武器を呼び出した。
いくらなんでも、帝都のど真ん中で刃傷沙汰を起こさないだろう。という読みもあったが、それは簡単に覆されてしまった。
男が隣にいる対照的な容貌の相棒に目配せした。
すると、巨漢が突然動き出した。
「なっ!?」
余りに素早いその動きにスレインは完全に虚を衝かれた。あっという間に巨漢はスレインの前に立ち、そして、軽々とスレインは持ち上げていた。
「うああ・・・」
「どうだ、若造。」
振りほどこうとしたが、どうにもならない。力の差は圧倒的だった。
−また、読み違ったか・・・・あの時と同じに。
スレインは一瞬、前の戦闘のことを思い出していた。あの時は弱いとみなして、戦いに入ったが結果は惨敗だった。だが、それは一瞬のことだった。今はどうにか切り抜けなくてはならない。
「生意気な口を聞きおって。」
巨漢はさらに力を込める。
意識が朦朧としていく。しかし、手はまだ動く。
スレインは右手を巨漢の頭に乗せた。
「うわあああ!!!」
悲鳴が上がった。
スレインは巨大な圧力から解放されて、地面に降り立つ。少しバランスが崩れていたせいかよろめいた。
・・・・助かった。
巨漢は頭を抑えて蹲り、うめき声を上げている。彼の髪の毛は氷結している。アイスバレッドの力を溜め込んだ掌を乗せられたからだ。
様子見を決めこんでいた、周りの人々から感嘆の声が上がった。
「貴様・・・」
相棒の様子を見た片割れが剣を抜いた。
「相手をしてやろう。」
彼の相棒に勝るとも劣らないスピードで向かってくる。鋭い音を立てて剣がそれまでスレインがいた場所を切り裂いた。
相手の態勢が崩れた瞬間にアイスバレッドの魔法を放った。
「チイ!!」
相手は剣でそれを受け止めたが、完全には止められず、頬にかすり傷を作った。氷の欠片が飛び散った。
運が良かったな・・・攻撃をかわせたのも。
まともに攻撃を食らえばタダではすまない。
肩で息をしながらスレインは相手と距離を取った。少しだけ、視線を逸らすと、あの親子が見えた。怯えたように座り込んでいた2人はハッとしたように起き上がると、そのまま見物客の中に逃げ込んでいった。
ー良かった。
と、スレインは思ったが、目前の脅威は相変わらずだった。さらに、蹲っていた巨漢も起き上がり始めた。
駄目だ、どう考えても今の状態では勝てない。リングウェポンさえいまはない。
ならば、ここは
「逃げるのか!?貴様!」
「待て!この野郎!!」
スレインは走り出した。今は逃げるしかなかった。
走りには多少の自信があったし、なにより今は鎧をつけていない。だが、あの連中は違う。
差はグングンと開いていった。
もっとも、相手とは一定の距離を保つ、あの母子が安全になるにはもう少しあの2人と追いかけっこをする必要がある。
それに、このまま進めば闘技場だしね。
もう、闘技場の門が大きく見えていた。そこには衛兵もいる。
だが、頭に血が上った武芸者たちはそれに気付かなかった。
「何だ、お前たちは!?」
4,5人の警備兵が槍を構えて武芸者に向かってくる。
「しまった・・っ!」
スレインが振り返ると、バツの悪そうな顔をしながら逆に逃げていく武芸者が見えた。
「は〜逃げ切りましたねえ〜」
と、ラミィは言った。
「ああ、逃げ切った。」
あの連中は仕官を求めて闘技場に来ていた。おそらく、帝国の正規士官に取り立てられることを期待しているのだろう。だが、その時、採用と担当する者達にとり貴族的な振る舞いも又重要なポイントになる。
彼等の振る舞いはマイナスポイントであるのは確かだ。
衛兵たちは武芸者たちを追いかけていった。その後ろから以前、あったことがある人物が現れた。
「貴方は・・・」
「君は、以前会ったことがあるな。」
ヴィンセント・クロイツァー将軍。その人だった。
おそらく、ウェリントン将軍の葬儀に参列することと、今後の戦略を話し合うために帝都に戻っていたのだろう。
スレインは一礼した。
将軍はポーニア村でのことを思い出したようだ。彼は微笑しながら、いままであの塔の上にいた。と近くにある石造りの塔を指差した。
「先ほどの乱闘を上から見せてもらった。なかなか機敏だったぞ。よければ名を聞かせてもらえぬか?」
そういえば、この人には名乗っていなかった。
「スレイン・ヴィルダーです。」
「すると、連邦の若き少尉とは君のことか。」
ヴィンセントは傍らに控えていた副官に言葉をかけた。今日のスケジュールのことを尋ねているようだ。
「やっぱり強そうですね〜。」
「いいや、強いんだよ」と、スレインは小声で言った。
この人は強い。話しているだけでも、実力を伴った自信が滲み出ている。
どれも、自分に無いものばかりだった。どうすれば、ヴィンセントのようになれるのだろうか。
ヴィンセントはスレインに向き直った。
「少尉、ここに来ているということはこの闘技場で行われていることに興味があるものとお見受けする。」
「はい。」
「よければ、私の鍛錬に付き合っていただけぬか?」
願ってもいない申し出にスレインは一瞬すぐに返事をすることが出来なかった。相手は、帝国最高の将軍なのだから無理も無かった。
でも、よく考えれば答えは決まっていた。
スレインが将軍に案内された場所は騎士同士の鍛錬の場所として、古くからある部分であった。
客席が設けられ、決闘の様子を大人数で見るようになったのは比較的新しい。そして、その古い部分にいるものはいない。
「最近はここで、鍛錬をするものもいなくなってしまった。」
それは、シェルフェングリフ帝国の貴族が軍事貴族ではなく、特権を教授するだけの存在になっていった過程でもあった。
「先ほどの武芸者の腕はどうだった?」
「戦闘技術は僕より優れていました。経験も少なくない猛者だと思います。」
「そうだ、彼等は優秀だ。戦うものとしては優秀だ。だが、彼等には騎士道が生きていない。弱いものを守るのが騎士の務めの一つの筈なのに」
だから、と言うわけではないがテオドラ派は貴族主義をとっている、貴族でなければ重要な役所にはつけないとした。もちろん例外はあるがそれはあくまで少数だ。
騎士としての勤めはそれほどではないが、その精神に貴族は比較的従順だった。粗暴な振る舞いはそれほど見られない。もっとも有能であるかどうかは別問題だが。
「だが、彼等のような実力者を登用したジェームズ殿下の軍は強い。」
ヴィンセントは壁に立てかけてある木でできた刀を手に取った。
「これを使え。」
もう一つの木の刀を受け取る。重さは本物とは比べるべくも無いがそれなりに感じられる。ヴィンセントも同じように木の刀を構えた。
「では、始めるか。」
木と木がぶつかり合う音が部屋に響いた。
将軍のスタイルはどちらかと言えば重戦士に近いように見えた。自分も同じタイプだが、多少スピードがあるのが違っていた。
そのスピードに賭けよう。
スレインは一気に間合いを詰めた。だが、それは将軍の正確な一太刀を食らわずには済まなかった。
刀で受け止めるが、それだけで精一杯で態勢を崩してしまう。
「くうっ!」
そのままの状態で剣を振るった。狙いはヴィンセントの頭だ。だが、それはいとも簡単にかわされてしまった。
それでも、態勢を立て直す時間は出来た。
そこまでは、スレインの予想範囲内だった。だが、ヴィンセントの動きは彼のそれを超えていた。
「甘い!」
「な!?」
将軍の素早い一撃がスレインの手を打った。木刀が宙を舞い、地面に落ちた。
・・・・なんて強さだ・・・
「もう一度、来たまえ。」
ならば!と、スレインは別の攻め口で挑んだが、都合5回ヴィンセントに打ち負けた。
「ここまでにしようか。」
「はい・・・」
実力の差・・・だよな。ヴィンセントは帝国最強の武勇を誇るとされている将軍だ。
負けてもそれは恥ではない。それに、最後の打ち合いはもう少しのところで一本をとることができたかもしれなかった。もっとも、実戦ではこうはいかない。最初の戦いで全てが終わっている。
「最後のほうは大分、私の動きについてくるようになったな。」
「いえ、まだまだです。」
「少尉、鍛錬に王道はない。君はそこを焦りすぎているように見えるぞ。」
「しかし、戦闘では負けられません。皆を危険にさらしてしまいますから。」
「勿論、臆病は戒めるべきだ。鍛錬も怠るべきではない。だが、それでも早道は存在しない。」
しかし、時間は待ってくれない。もしかしたら明日に将軍と同じくらいの技量の敵に出会うかもしれない。苛立ちだけが募っていく。
スレインの言葉にいつもは混じらない激しいものが混じった。
「それでは、遅いんです!!敵に直にも対抗しなくてはならないのにですか!?」
だが、その苛立ちを向けられたヴィンセントはスレインに頼もしそうな視線を向けた。その口調はスレインのそれとは対照的なものだった。
「そうだ、もしも強い敵に会ったら、その時は色々な手の打ち方がある。君がさっきやったようにな。」
「え?」
諭すような口調で将軍は続けた。
「武芸者とのやり取りは見せてもらった。君は準備不足の状態であの母子を危険から救ったではないか。」
「あれは・・・たまたま、将軍や、闘技場が近くに会ったからで・・・・それに、僕は敵が武器を抜くことはないと見積もっていました。判断を誤ったのです。」
そうだろうか?とヴィンセントは応じた。
「状況判断を適切に行えば、たとえ敵より弱くても目的を達することができる。」
状況判断を間違えてもそれを取り返すことは出来る。
「敵と自己の戦力を見て最適の判断を行う。状況判断を適切に行いたまえ。逃げることも選択肢の一つだ。君にはそれをやれる力があるはずだ。」
「ヴィンセント将軍・・・」
「もっとも、我々指揮官は戦力の不利を承知である部隊に死守を命じたこともある。−同胞同士が剣を取る状態は早く終わらせたいものだ。」
「将軍、失礼を承知で伺います。」
貴方は何故、戦うのですか?
その質問にヴィンセントは少し考えてから答えた。
「帝室への忠義だ。例え、皇統の保持者が若年だとしても我々臣下はそれを支える義務がある。皇帝の位は代々ウェリントン家の長子相続が原則だ。それが神君アウグスト陛下の定めた法だ。」
才能があるものが皇帝になって良い、というのであれば、それはかつて、諸国が武力を頼りに大陸を統一しようとした戦国時代と同じではないか。実力が無いならウェリントン王家でさえも倒されるべきということにもなりかねない。
「オルフェウスさんと剣を交えてでもですか・・・」
「そうだ、オルフェウスも良き武人だ。それゆえに実力があれば帝位も奪い取って構わないと思ってしまった・・・・できれば、この内戦を生き抜いてほしいとはおもっているがな・・・」
「すみませんでした、変なことを聞いてしまって。」
「いや、良い。」
ヴィンセントはそこで、話題を変えた。スレインの戦術上の問題点をだ。将軍から見て足りないと思うものを丁寧に挙げて言った。
それをスレインはじっと聞いていた。一言も漏らさずに。
「良い人でしたね〜。」
「うん、そうだね。お陰で、色々整理できたよ。」
闘技場の外に出てみると空は夕方に変わっていた。雨が多く、湿気が多い季節だが、今は冷たい風が肌を撫でた。
「やっぱり、人から教わるのは大切なんですね〜。スレインさん大分、リラックスしていますよ〜。」
「うるさいなあ。」
と、スレインはややふくれっ面で答えたが、それは事実だった。ヴィンセントの言葉が首都での負傷以来どこか焦り気味であった心を急速に落ち着けていった。
敵より弱ければ弱いなりの戦い方もある。それを教えられた。
感謝しますよ、ヴィンセント将軍。
スレインは後ろにある闘技場をもう一度見直した。
「少し遅くなったな。早く帰ろう。」
「そうですね〜。ノエル大使に怒られちゃうかもしれません〜」
何の屈託も無く、普通に笑えたことを感じながらスレインは妖精に同意した。
(つづく)
|