14      帝都は再び彼を迎えた
 
 
 夜の砦は眠りに落ちていた。
 今日は散々な日だった。
 北では味方が大敗を喫し、この砦も火攻めで多くの部分が燃えてしまった。しかも、大打撃を与えるはずだったキシロニアの輸送部隊を無傷で取り逃がした。
 唯一の慰めは撃破した馬車にあった大量の食料だ。アグレシヴァル本国では食べたことのないものを存分に飲み食いした。
 そうすることで、この砦の兵士は現状への不安と恐怖を紛らわせていた。
 しかし、あの捕虜たちはキシロニアに対する切り札になるかもしれない。何故なら、捕虜には連邦議長の娘も含まれていたからだ。
「全く、連邦議長の娘を生け捕るとは、お手柄だぞ。」
 その功労者に対し砦の指揮を任されているブリュッヘルは賛辞を投げかけた。場所は砦で最も高い見張り塔の2階部分だ。火災の影響はここまで及んでいなかったが、焼け焦げた臭いが充満しているのは致し方ない。
「いえ、痛み入ります。我々もたまたま通りかかっただけでしたので・・・」
 正直なところ、戦闘が出来るかさえも危なかった。平原の会戦で破れ、ミリアムも、ドッズもエイルも、そして、歴戦のエルメストも瀕死の状態でキシロニア兵の隊に出会ったのだ。
必死だった。
 幸い隊長と思われた男は簡単に倒せた。そして、連邦議長の娘ともう1人の攻撃をなんとか凌いでいる間にウルリカが放ったスリープが決まった。全てのキシロニア兵を睡眠状態にすることが出来たのだ。
 だが、反対に自分もウルリカも全ての力を使い果たして倒れてしまった。
 砦の兵士が現れたのはそんな時だった。
こうして彼等は連邦議長とその仲間を捕虜にしたのだった。
 ブリュッヘルは尋ねた。
「味方は大敗と聞いているが、どの程度の被害なのだ?」
 それは・・・・クライストは渋面を作って報告した。
 味方は半数以上を失い本国に後退、敵にも損害を与えたが依然として北方に存在している。
 中央部隊にいた自分はキシロニアの包囲網の間隙を見つけ出して本国方向ではなく南に撤退した。
 戦場の惨状が眼に浮かんだ。味方が、昨日まであれほど強大で精強だった戦士たちがなぎ倒されていくのは悪夢以外の何者でもなかった。
 しかし、唯一彼を慰めていたのは自分の部下に1人の死者も出なかったことだ。敵の議長の娘を生け捕ったことはそれほど彼に高揚を与えているわけではなかった。
「なんと・・・ステンボック将軍もか・・・」
 ブリュッヘルもその後ろにいた副官もやや動揺した。
「司令・・」
「ともかく、我々はこの砦を確保せねばならんな。」
 とブリュッヘルは頭を抱えたくなるような調子で言った。だが、そこは老練な指揮官だった。報告者への礼儀も忘れていなかった。
「−ともかく、君もご苦労だった。今日はよく休んでくれ。」
「はっ!ありがとうございます。」
 
「ご苦労様です。」
「待ってたのか?」
「はい。」
 クライストが退室すると、前でウルリカが廊下で待っていた。
 頼りなげな印象の彼女だが、あの戦いを生き残り、アネット達を捕獲できたのも彼女の強力な魔力があればこそだ。
「君は今日の殊勲者なんだぞ。休んでいればいいものに」
「いえ、一番体力を残しているもの私ですから。」
「−そうだな。皆の様子はどうだ?エルメス達は大丈夫なのか?」
「はい、もう心配ありません。ここのヒーラーの皆さんのお陰です。」
 会戦で大怪我を負った3人はウルリカの魔法で回復しきれないほど重いものだった。とりあえず大丈夫ということを聞いてクライストは大きく息をついた。
「良かった。−みんなのところに行こうか。」
 2人は救護所に向かった。塔から広場に出ると盛大な炎が上がっている。宴はまだ続いてるようだった。
 昼間の戦闘で焼けて部分には応急的に丸太が置かれている。ある程度は敵の攻撃を防げるだろう。
「この砦大丈夫なんでしょうか?」
「問題ないだろう。キシロニア軍は撤退するはずだ。奴らの戦力はあれで最後だし、帝国軍も我々に対処できるだけの戦力はないよ。」
「そうですか・・・頭よいんですね隊長は。」
「一応、貴族のボンボンだからな。」
「それから・・・昼間捕まえた人たちは・・・どうなるんでしょうか」
 ウルリカの表情を伺った。その顔に浮かんでいたのは敵への心配だった。彼女や自分とそう変わらない年頃の少女だったのが気にかかっているのかもしれない。
 捕虜の取り扱いはこの大陸は実にいい加減だ。捕まえた相手次第だ。その場で殺される場合もあれば、身代金を要求される場合もある、敵に返す場合もある。
 どちらかというとアグレシヴァルでは第1の方法が一般的だ。しかし、今回は彼女たちは捕られえられている。それはこの砦を連邦が攻めに来たときの担保にするためだ。
「そうそう命はとられないと思うよ。大事な人質だし。」
「そうですか・・・隊長が言うんだからそうですよね。」
「君が気にすることじゃないぞ、それは」
「すみません。」
 と、マリアは謝った。
 全く、あの激戦を経験してもまだ敵の心配とは・・・
 しかし、そう思いながらもクライストはこの部下がそういう考えであることが嬉しかった。戦場で人間的であるのはとても難しいことだ。ましてや飢餓寸前のわが国では。
「謝る必要も無い。・・・ともかく今は休むことだ。」
 
 
 2人の意識にあがったキシロニアの捕虜たちは砦の最上階に軟禁されていた。
「ここに入ってもらおうか」
 と、士官が言った。
 部屋は木の壁で出来た部屋で4人が入るには広くも無かったが狭くも無かった。
 但し、堅牢な扉が脱出を困難にしていた。おそらく監視用の窓もあるのだろう。
「身代金はどのくらいお父上に請求すればいいか?・・・・そうだな、1人につき10万エムルくらいが適当かね?」
「30万エルムでもどうぞ」
 それを聞くと、アグレシヴァルの士官はフンと鼻を鳴らした。尋問でもこの態度を崩さず、なんら連邦の秘密を伺うことはできなかった。なかなかの度胸だがいつまで持つかな?
「そうか・・・では、それが届くまで大人しくしていろ。」
 扉が閉められた。
「待遇は今のところ悪くは無いわね。」
 とアネットはため息をついた。
 さっきまでの強気の姿勢をようやくほぐすことが出来た。
「ふう・・・」
 近くにあった椅子に腰を降ろした途端に体の震えが止まらなくなった。
 どうしたのかな・・・・・
 そうなるのも無理はなかった。アネット達の立場は異様なほど不安定なのだ。
 武器は取り上げられた。
 さらに、この部屋は反魔法処置があるようで魔法が使えなくなっている。
 身を守る武器は殆ど無い。
 両肩に手が乗った。
「弥生さん・・・」
「お疲れ様でした。」
 不思議と心が落ち着いていく気がした。しかし、何故そうなるかが分からなかった。別に弥生のことは嫌いではないけれど、気になることがあった。ポーニア村でヒューイと一緒にスレインの部屋に入っていった。何をしていたのかと気になっている。それでも、彼女の手が肩に乗っただけでどこか落ち着いている。
「立派でしたわ」
「いえ・・・その・・・でも、これから・・・」
 アネットの脳裏に昼間の戦闘が蘇った。倒れて動かなくなったスレイン。あれはどう見ても・・・
「スレインだって・・・・あんなことになって・・・」 
「今は、落ち着きましょう。」
「でもっ・・・」
「今は休みましょう。ここから出ないことには彼の安否を確かめることもできないでしょう?」
 助かる方法を考えるのはそれからで。
 と、弥生は小声で言った。
 知らない間に涙が零れ落ちていたアネットだったが、次第次第に落ち着きを取り戻していった。
 そして、彼女は視線をヒューイに向けた。
 どうやって脱出しましょうか?とその眼は告げていた。
 ヒューイは精霊の力を使うんは待ってくれ。と視線で告げた。
 月の精霊使いの能力を以ってすれば、確かにこの場を切り抜けられるだろう。だが、それはこの地方の精霊のバランスと如何しても相談しないといけないところだった。
 無制限に精霊の力を使えば、よくない影響が出ることは分かりきっている。それを把握するには暫く時間がかかるだろう。
 もちろんそれは承知していると弥生は頷く。
「リーダーが生きていれば助けに着てくれるやろうか?」
 と、ヒューイは言った。
「絶対、来てくれるわ・・・」
「そうね、あの人はきっと来てくれる・・・」
「そう・・ですね。−無事ならばきっと。」
 外から声がかかった。監視兵だった。
「お前等!うるさいぞ。」
 4人は顔を見合わせあうとその場に座り込んだ。脱出のためには外の監視兵を用心させるも得策ではない。
 
 
「スレインさん〜。今です〜。」
 うん、とスレインは無言で頷いた。
 ラミィはいつもどおり、偵察で辺りの様子を確かめてくれた。夜のほうが接近は容易というのは当たっていたようだ。
「門が見えてきましたよ〜。」
 スレインは砦の正門に近づいていた。そして、砦で一番高い塔も視界に入ってきた。
 岩陰に身を潜めると、スレインは考えた。
 一体何処に皆が囚われているのか?
「多分、あの塔だと思います〜」
「なんで、思うの?」
 勘です〜とがラミィの答えだった。
「なんというか〜みな・・さんの・・・気配が・・」
 ラミィがふらつく様に肩に乗った。
「大丈夫?」
 彼女の表情を見ると今までの疲れが溜まっているのか死人のような表情だった。未遂に終わったとはいえ自殺紛いのこともやったのだから消耗はしかたのないことだ。
「少し休んで。」
「もうちょっと・・・」
「いいから。」
 強引にラミィを休ませながら、スレインは魔法の詠唱に入った。
「僕も同じだ、あの塔から皆の気配がする・・・それに賭けよう。」 
「誰だ!!」
 兵士の誰かが叫び、槍を構えながらスレインがいる岩陰にやってきた。
「どうした?」
「いや、魔法を詠唱している気配を感じたんだが・・・・」
「誰もいないじゃないか。・・・・まあ、あんなことがあった後だから過剰反応は仕方ないが・・・」
「ああ」
 疑問が解けきれないとい表情で2人はもとの配置に戻っていった。
 危なかった・・・・インビジビリティか・・・使えるな。
 冒険や休暇を利用して魔法演習をしているかなで覚えた魔法だった。しかも、それは通常なら考えられないくらいの速度で習得することが出来た。場合によっては数年はかかるくらい難しい魔法なのに。
 だが、それはどうでもいいことだった。魔法の効果で彼は完全にその姿を消していた。よほどの魔法術者でなければ、これを破ることは出来ない。今の状態なら誰にも見つからずに侵入できる。
 砦には巡回の兵士が群れていた。その中にはアネット達を捕らえた、そして、自分を2度も破った彼もいるだろう。
 だが、タイムリミットが彼の背中を押した。この魔法の効果期間には限りがある。
 行こう・・・ 
 スレインは意を決して砦に入っていた。
 パトロールの兵が近くを通り過ぎた。自分に気がついていない。行ける行ける。そう繰り返しながらスレインは砦の門から堂々と広場に入り、そして塔を目指す。砦の内部に入ると近くを通り過ぎる兵は1人や2人ではない。
 魔法の効果は続いていた。
 塔の壁にスレインはへばり付いてドアに手をかけた。流石に真正面に誰かがいれば疑われるかもしれない。いるだろうか?いないだろうか?
 迷っている時間は少なかった。自分の直感を信じて動くしかない。ふと、壁を見た。
すると、なんとなくだが、敵兵がいないことを感じた。
 スレインはそっとドアを開け、中に入った。
 いない・・・誰も・・・
 上のほうから気配がある。それがアネット達のものだった。それも直感に過ぎないが・・
 スレインは同じ魔法を唱えた。これで透明になる時間は少しだけ延びた。魔力の大半を消耗することになるが、それはあまり考えないことにした。
 足をしのばせながら、階段を一段一段上がっていく。2階、3階、そして、4階でスレインは足を止めた。
 ・・・ここかな?
 その場所には分厚い扉があり、そこに巡回の兵がつめていた。何か大事なものを隠している。
 見張りの兵は5人か・・・
 扉の周りに2人の歩兵がその脇に2人の魔導兵がそして、見張りとしてなのかヒーラーが隠れている。
 スレインは懐に隠していた小箱を取り出し、ビクトルに言われたとおりにその突起部を押した。そして、短く魔法を唱える。
「・・・・・・」
「オイ、どうしたんだ?」
 歩兵2人がいきなりくず折れるのを見た魔導兵が駆け寄ってくる。
 スリープの魔法は決まったようだ。
 そこだ!
 スレインは魔道兵の首を強打した。
「!」
 異変を察知したもう1人にみぞおちを食らわせた。2人とも気絶している。
「どうした?・・・敵だ!!!うぐううっ!」
 最後に残ったヒーラーも異変に気付いて出てきたところを気絶させた。
 辺りを見回すと、物音を聞きつけてくる兵はおらず、何事も無かったかのように静かだった。
 −ビクトルの売り込みどおりか・・・助かったな。
 老科学者がスレインが砦に忍び込むにあたって、託したのが彼がスイッチを押した小箱だった。周囲の音を伝わらなくする装置だった。他の階の兵には物音が聞こえていないのだ。そして、ビクトルはスレインが仲間を助け次第、別の装置を使う予定になっている。
 −急がないと・・・!
 インビジビリティのタイムリミットまであと少しだった。鍵は幸い机の上にあり、すぐに分かった。重く閉じていた扉を開けると自分の直感が正しかったことを知った。
「スレイン?」
「リーダーか?」
 その時インビジビリティの魔法は解けていた。4人は信じられないという表情でスレインを見ていた。
 良かった・・みんな無事だ。
 外見で見る限り、酷い扱いを受けてわけではないようだ。
「スレイン・・・本当にスレインなの?」
「質問は後。とにかく、早く、外に出よう。」
 周りにいるのは敵だけなのだ。あの男もここにいる。やや、慌てながらスレインは言っていた。
「・・・そ、そうね。」
「外で倒れている連中の服を着て。そろそろ始まるはずだから。」
「始まる?何か仕掛けでもしたんかいな?」
「アグレシヴァル軍の一人相撲が始まるんだ。これからね。」
 
 スレインが言ったとおり、それから暫くしてから砦に異変が訪れた。
 遠くのほうで魔法の閃光が見えた。
「どうした!?敵の来襲か?」
「あの辺りにはパトロール隊が居るはずだが・・・・」
 砦全体が動揺した。
「配置に就け!!」
「今だ行こう。」
 と、スレインは皆に言った。5人ともアグレシヴァル兵の鎧を装備していた。本来の所有者はアネット達が入っていた部屋で眠っている。
 恐れていた敵襲に砦の兵はすっかり浮き足立っていた。たとえおかしな行動をとる5人組がいても無視されるに違いない。
 遠方の戦いの光は激しさを増していた。
「第1中隊が全滅したぞ!!!」
 怒号が飛び交い、人が飛び交った。その中をスレイン達は進んでいった。塔から出て、砦の中庭に進み、門から外に出た。
 誰か気付くかもしれない。その不安を押さえ込みながら進む。
「おい、お前等何をぐずぐずしている!走れ!!」
「は・・・はい!!」
 そして、皆に手で合図して走り出した。無論、途中から他の兵とは全く別の方向に動いていた。そして走り出した
 後ろから弓が飛んでくるかもしれない。追っ手が居るかもしれない。しかし、振り返ってみると砦はその喧騒の対処に忙しく、自分たちには気付いていなかった。
 うまくいったな・・・・
「おうい!無事か!?」
 闇の精霊の力をスレインは使った。この辺りで輪廻から外れていたモンスターの魂を浄化する代わりに彼らにパトロールに出ているアグレシヴァル兵を驚かせるようにさせたのだ。
 昼間の戦闘と不安に包まれていたアグレシヴァル兵は魔法をあらゆる方向に打ち込んだのだろう。そして、砦は混乱状態になった。
 それが、少しでも長引けばいい。
 その間に自分たちは安全圏まで逃げていなくてはならないのだから。
 
 アグレシヴァルとキシロニアの戦闘は既に下火になっていた。全体的な勝者はキシロニアと言ってよかった。輸送作戦はほぼ成功し、アグレシヴァルに大損害を与えることが出来たからだ。彼等は勝利を喜んだ。
 一方、敗者の総大将は現状の確認を行っている最中だった。
「現状を報告せよ。」
 と、アグレシヴァル軍総司令ゲルハルトは執務室で命じていた。
「はっ、」
 と、答えるのは彼の子飼いの将軍であるルーデンブルグだ。腰巾着というわけではなく、戦術にも通じ、実績のある人物だった。
「まず、2日前の午前に帝国軍の奇襲攻撃でバルトカッツェ砦が占領されました。我が軍はこれに対処すべく第2師団、第3師団が現地に急行、奪回作戦を発起しました。しかし、既に敵部隊は東方への離脱を行っており、砦はものけの殻でした。」
 我が軍がこれにかかりきりになっている間にキシロニア軍が攻勢に出た。
「キシロニアの主力部隊が突出し我が第4師団を攻撃、応戦したものの死傷者7千の損害を受け第4師団は撤退しました。」
 ゲルハルトは口を開いた。
「その、間隙をついて輸送部隊が帝都に突進したわけか・・・だが、国境沿いには小規模ではあるが砦があったはず・・・それが突破されたのか?」
「第2師団が砦との連絡を回復しているころとの事ですので、詳細が判明するのはいま少し時間が必要です。」
 キシロニアの主力部隊は再び防衛ラインまで後退した。そして、荒野は再びアグレシヴァルのものになっていた。第2師団が進出し、砦との連絡を回復しようとしていた。
「帝都に忍ばせている間者からの一報では極めて大量の食料が運ばれた模様との事ですので、突破されたのは間違いないかと・・・」
「ふうむ・・・今回は奴等の策が図に当たったということか・・・まあ良い。戦はこうでなければ・・・」
 敗者にしては余裕のある笑みをゲルハルトは浮かべていた。
 理由はあった。
 たとえ食料が運ばれたところでテオドラ派の劣勢を覆すことは出来ないという確信だ。テオドラ派はシュワルツハーゼを占領され、帝国三将軍の中で筆頭と目されたウェリントン将軍は戦死した。余裕の無いテオドラ派は北方の情勢に介入することはできないし、ジェームズ派も勝利の地固めに忙しく介入は無理だ。
「今なら、帝国に邪魔されずに連邦を総攻撃できるのではありませんか?我が軍の現在の戦力は4万3千、キシロニアの兵力は2万を下回ります。今がチャンスやもしれませんぬ。」
「まだ早い。」
 ゲルハルトは次の策をいつ実行に移すべきかを考え始めていた。
「今の目標は帝国だ連邦ではない。」
「帝国ですか?−なるほど、テオドラ妃の友人として帝国に介入するわけですな」
「その通りだ。」
 このタイミングでテオドラ派に援助を与えれば、奴等はかなり譲歩して我々との同盟を呑むはずだ。最低でも食料をキシロニアから合法的に巻き上げられる。
 そしてその後は−
 ゲルハルトは帝都の方角を眺めた。
 そう、あの帝都に我々アグレシヴァルの旗がたなびく日がくるだろう。
 だが、直近にやるべきことがある。
「ああ、そうだ。第4師団で生き残った幕僚はどうしている?」
「副官のオハラ卿は無事です、その他数名の貴族がおりますが・・・」
「そやつらの一門を粛清しよう。」
 最近、反ゲルハルト派の活動は活発化していた。第4師団はそれに同調するものが多く、彼等を粛清するには丁度いい機会だった。
「はっ・・・命令は首都の第1師団に?」
 ゲルハルトは頷いた。
「だが、ステンボックの一門には手を出すなよ。彼は国民にも国王にも信頼された武人・・・彼には元帥の称号を与え、葬儀は盛大に行うように。」
「心得ました。」
 
 
「この辺でいいやろ、リーダー。」
ヒューイに呼び止められスレインは走るのを止めて、後ろを見た。砦はもう見えない代わりにその方角が光っている。まだ混乱が続いているのかもしれない。
「・・・・そうだね・・・休もう。」
 丁度良い木があり、そこに皆は腰を降ろした。そうすると、いままでの疲れが出るのかそこから動くこともままならなかった。
「あの騒ぎ・・・何だったの?」
「ふふふ・・・ワシの発明品役に立ったじゃろう?」
「あれは、ビクトルの仕業だったの?」
「そう・・・僕が皆を助け出したときに騒ぎを起こしてくれる手はずだったんだ。」
「ふむ。あれは蜃気楼発生装置と言ってな・・」
 要はいるはずの無い者を映し出す装置だ。アグレシヴァル兵が見たのは連邦兵の映像だった。それを見て乱射状態に陥ったのだった。
「そうだったのですか・・・」
 アネットがスレインのほうを向いた。
「スレイン、助けてくれてありがとうね。」
「え?」
「大体から、あの傷でよく助かったわね。本当にあのときは死んじゃったのかと思ったんだからね!」
「ごめん・・・なんとか動けるようになったときにビクトルが来てくれたんだ。」
「せやったんか、2人ともおおきに、ホンマに助かったわ。」
「そうですね、武器無しの状態では脱出は難しかったでしょうからね。」
「そうね」
 そうじゃろう、そうじゃろうとビクトルは大きく頷いている。しかし、スレインはそれほど得意げには出来なかった。
 もともと、あの小競り合いに巻き込まれなければ、助けに行く必要もなかったのかもしれない。
「いや、謝るのは僕の方だよ・・・・あそこでトチらなければ。」
「誰にでも間違いはあることやで。リーダー。そんなことばかり気にしとったら何もできんわ。」
「そう、今度は負けないように頑張りなよ。」
「みんな・・・」
 本当は、気がついたとき、僕は逃げようとした−と、スレインは言おうとした。
 ぐう〜
 誰のものかはわからないが、腹の虫が鳴っていた。
 そういえば、ロクに食事もしていなかった。苦笑いが皆の間で広がっていった。
「せやけど、その辺の心配はご無用やで。」
 ヒューイはニヤリと笑うと、どこから奪ってきたのか干し肉を取り出した。
「これは・・・」
「連中の砦からもろうてきたんや、もともとワイらのもんやし問題ないやろ?」
「へえ、ヒューイにしてはやるじゃない。」
 と、珍しくアネットが褒めると、ヒューイはますます得意顔になっていった。自然と皆の顔から笑顔がこぼれていた。
「じゃあ、食事にしようか。」
 干し肉の量はささやかではあったけれども、皆の腹を幾分か満たすことができた。幸い少しはなれたところに水場があった。小さな川ではあったけれど、水量はそれなりにあるらしい。
「言いそびれちゃったな・・・・」
 水筒に水を汲みながら、スレインは喉を潤していた。
「スレインさん。」
 振り向くと弥生がいた。どうやら、彼女も水を飲みに来たようだ。
「どうしたの?」
 と、スレインが問いかけると彼女から最も触れられたくないところに質問が来た。
「彼に・・・あの隊長にあったとき、気圧されていませんでしたか?」
「・・・そうだね。正直、気圧された。」
 彼にまた敗れて、皆を助けにいく段になっても怖気づいてばかりいた。そのことが言えなかった。
「もう一度、あの人に会ったらどうなりますか?」
 想像してみる、自分の前にいるのが弥生ではなく、あの男だったら−
 あまり、勇ましい結論は出せなかった。
「・・・・自信ないな・・・」
「スレインさん・・・私は貴方に感謝しています。敵の手から助けに来てくれました。でもあの人と対峙する時と同じ恐怖が記憶を取り戻していく中でも無いとは言い切れません。動じない勇気も必要かもしれませんわ。」
「・・・・分かってる。」
「すみません、こんなことしか言えなくて。」
 会話はそこで止まった。弥生は何も言わない。スレインも何を言うべきか分からなかった。
「お〜い、リーダー。」
「どうしたの?」
 と、尋ねると、味方が来たかもしれないという答えが返ってきた。
「望遠鏡で見えたんや。」
「そっちに行くよ。」
 弥生に頭を下げると、スレインは走った。少しでもこの空気から離れたかっただけかもしれない。
 望遠鏡に映っていたのは、紛れもなく味方だった。兵士を詰め込んでいるだろう馬車とそれを囲うように10騎の騎兵がおり、その旗印は間違いなく帝国のものだった。隊の規模からみて国境パトロール隊らしかった。
「こっちに来る・・・気付いたのかな?」
 アネットが手を振った。
 パトロール隊はそれに気付いたらしい、瞬く間にスレイン達の近くに達し、先頭の隊長と思しき人物が手を挙げた。
「貴公らが、連邦のスレイン殿、そして連邦議長令嬢のアネット殿の隊か?」
「はい、キシロニア連邦の第1129小隊です。」
「そうですか・・・。我々は帝国軍第3軍所属の者だ。貴公らの探索の命を受けていた。帝都まで護送します。」
 どうやら、連邦軍から帝国に捜索要請が出ていたようだ。馬車の扉が開かれ、そこに乗るように促された。
 スレイン達の顔に安心感が広がっていった。これで、アグレシヴァルの追撃を気にする必要はないのだから。
 
 本当に安心すると眠くなりやすい。
 僕自身もそうだけど、皆もそうなんだな。とスレインは思った。
 馬車の中で皆は心地よい眠りに落ちていいった。
 結果的には皆を助けることができた。
 でもー
 またあの夢が始まるのだろう。
 僕はあの男に勝てなかった。記憶を取り戻すにもあの男と対峙するのと同じくらいの恐怖があるかもしれないと弥生は言う。
そして、今度、あの男と対峙した時、同じようなことになれば皆の命があるとは言い切れない。今回、助けられたのはたまたま運が良かっただけだ。
「本当にこの・・・・」
 大丈夫なのだろうか・・・
 疑問や不安や恐怖も睡眠が覆い隠した。スレインもまた、眠りに落ちていった。
 
 
「スレイン殿、アネット殿。到着しましたぞ。」
 馬車の外から呼びかけられた。陽の光が馬車の中にもさしていた。
 もう、朝なのか・・・・
「う・・・」
 よく寝たな・・・久々にあれ?そこでスレインは気がついた。あの夢を見なかったことに。気だるかった体がとても軽い。
 最近感じることができなかった健やかさに困惑したスレインの眼に帝都にある寺院の尖塔が映った。前に来た時と変わらぬ壮麗さの中にスレイン達は再び身を投じようとしていた。
 
 
 
(つづく)
 
 
 
 
更新日時:
2012/05/06 

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Last updated: 2014/3/16