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14   ノイエヴァール大戦B
更新日時:
H24年7月3日(火)

この文章は、ノイエヴァールの民主制について、妄想してみた文章です。いつもどおり正確性は保障できません。(内務省)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ノイエヴァール大陸に建国された4つの国家の政治体制は2つある。王政と民主制である。
 前者を選択した国は3カ国であるが後者を選択したのはデュルクハイムただ一国であった。
 しかし、民主制度は大戦後に結成された「連邦」ではその根幹となる政治制度となった。
 では、この民主制度とはいかなる制度であったろうか?ここでは、デュルクハイムと連邦それぞれの制度の概要を見ていきたい。
 
 デュルクハイムに何時ごろ民主政治が根付いたのか?については不明な点が多い。
 4カ国の元になったと思われるアレグザンデールはおそらく王であり、彼の帝国が民主制でそれを受け継いだという可能性は少ないだろう。
 ならば、建国時から「生れながらにして民主政治を選択した」国家なのかもしれない。或いは初めは国王がいたが、それが次第に民主政治に変化したという想定も可能だ。だが、現状の資料ではそれを裏付けるものは残っていない。
 ともあれ、大戦前後においてデュルクハイムは唯一の民主国家として、独特の気風をもって独立を保持していた。
 この国家は大戦中に卓越した指導者を得た。総統ルートヴィッヒである。
 彼の略歴は以下のとおりであった。
 
市町村議員として政治活動を開始。
 しかし、その当時は「泣かず飛ばず」
何も後ろ盾が無い状態ではどうにもならないと考える。
 
対イグレジアス戦争勃発
 「箔をつけるために」軍に志願、アイゼンヴァントの戦いで赫々たる武勲を挙げる。
以後、軍にその地歩を築いていく。
 国民から「アイゼンヴァントの英雄」と賞賛され、大統領デリンガーも彼の人気を利用しようと接触を図る。(この時の階級は准将直後に少将に進級)
 
対ヴァルカニア戦争勃発
 イグレジアス戦線(北部戦線)で大攻勢をかけると共に、ヴァルカニア戦線(西部戦線)で守勢の態勢をとる。ルートヴィッヒはヴァルカニア戦線の指揮を任され、よくロイヤルガードの攻撃を防いだ。
 又、ヴァルカニアとマーキュレイを離反させるべく、独断でマーキュレイを攻撃した。この計略は成功し、ヴァルカニアの圧力は弱まっていく。
 
イグレジアス戦線へ
 北部戦線のデュルクハイム軍は予想外の損害を重ねながらも、新たなる英雄ルーミスらの活躍もあり、リオスロック砦の奪取に成功する。
 しかし、イグレジアス王都攻撃は惨憺たる失敗に終わり、ドラングース大将、及び次席指揮官ガスタ少将は戦死し、一時後退を余儀なくされた。
 高級指揮官の戦死によりルートヴィッヒは北部戦線の最高指揮官となる。
 彼はこの時「次期大統領選挙」への出馬を表明し、その受付期限までにイグレジアスを屈服させると発言し、それを実現させた。この段階で大統領の椅子は確定したといっても過言ではないだろう。国民からの支持は圧倒的であった。
 
大統領から総統へ
 イグレジアスを屈服させた英雄ルートヴィッヒは大統領選挙に勝利し、ついに権力の頂点の座を手にした。
 しかし、前大統領デリンガーは自派の議員を使い妨害できると、まだ考えていた。
 これに対し、ルートヴィッヒは大統領が軍を指揮できるようにと、有事法制を成立させる。その時、彼は大統領ではなく総統になった。
 
 
 ルートヴィッヒ総統の略歴から、デュルクハイム国の政治体制について以下のようなことが分かる。
@市町村があり、各々の自治体に議会があり、国全体を代表する中央議会がある。
A国の代表たる大統領は国民の直接選挙で選ばれる。
B大統領といえども政策を実行するには議会の承認を必要とする。
C大統領は軍の指揮権を持たない。
(但し、戦争を始める又は止めるとの決断を下すのは大統領の職権。ここでの指揮権とは戦略、戦術立案及び野戦軍の指揮のことを指すと思われる)
 国民から選挙されるリーダー、大統領と言えども独断で全てを決定できるわけではなく、国の法律、議会のチェックを受けていることが分かる。
 これらは他国に比べると異質なものであった。他の三国は国王の決断一つで全てが決まり、家臣はそれに従った。王家の然るべき血筋に連なることが王になる資格であった。王の決断はそのまま国の政策になった。家臣からの進言、提案はあるかもしれない。だが、制度として民意をうけた議会での承認が必要だったようには見えない。
 もっとも、王の決断に対し反逆した人々もいる。オーディネル兄弟はその好例であり、「正義」を理由に反逆者となり敵に味方した。超大国ヴァルカニアはシルヴァネール、ミュンツァ−、オーディネルなど領主階級が存在しており、王の意思が隅々まで行き渡るものではなかったのかもしれない。
そうであるなら、ルートヴィッヒが手にした独政権は歴代の大統領はもちろん、これら王たちの独政権よりもより高いレベルのものであった。彼は内政を司り、戦略を決定し、現地軍の指揮も執っていた。
 その独裁権は国民の支持を背景としており、国民の国家に対する忠誠は高かった。総統就任後に、彼の独政権に批判的であったルーミス・リヒトマンも国家に反逆することはなかったのであった。
 彼の理想はデュルクハイムを大陸ではなく世界の覇者に押し上げることであり、交戦国を最後まで屈服させ、支配下に組み入れるという丸出しの覇権主義を追求した。
 
 これを打ち砕いたのがオーディネル・マーキュレイ連合であった。
 決戦において総統は戦死、デュルクハイム臨時政府は連合が提示していた連邦化条件を受け入れ、戦争は終わった。
 
 
 勝者であるマーキュレイとオーディネルは王族がそれぞれの領国を指導しており、王政国家であった。だが、この2国が戦後のシステムとして提唱した「連邦制度」は各国が民主主義の制度を採用することを前提としていた。
 連邦においては大陸4国は州となり、それぞれ直接選挙により選ばれた議員で構成される下院が各国の最高機関となった。
敗戦国は征服されるよりマシだと考え、これを受け入れ、連邦は成立した。
 デュルクハイムを除き、他国は王政国家であり、民主主義に拒否感はなかったのだろうか?
 大戦前に3国で民主主義がどのような評価を得ていたかは不明である。だが、戦後1年で連邦が成立しているということは、驚異的なスピードで選挙が行われ、各種法律が成立したことになる。
 で、あるなら民主主義という制度について、少なくとも知識人たちは例えば、ヒンギスタン王国のマクスウェル王子と同じように国を発展させるには民主主義の方が適していると考えるものが多かったのではないだろうか?もっとも、この場合でも、一般民衆にとって民主主義はなじみのあるものではなく、それが定着するには一定の時間がかかると思われる。
 連邦成立後王による統治は姿を消したのだろうか?
 アリシア姫やオーディネル兄弟は戦後も政治の中枢としての役割を果たしていたように見える。連邦結成1年後に開かれた連邦会議でアリシア姫、オーディネル兄弟は出席していたし、英雄クレヴァニール・ソロが各国との交渉結果を報告していたのはアリシア姫であった。
 彼等は何の資格で連邦会議に出席し、交渉結果の報告を聞いていたのであろうか?
 考えられるケースは三つだろう。
1、選挙で当選し、マーキュレイの代表に選ばれた。
2、実はまだ、選挙前で、それに向けて、各国の利害調整が必要で現在は王権は停止されていなかった。
3、連邦成立後も王家が象徴として残っており、政治的な影響力をある程度残していた。
 どれが、正しいのかは判然としない。1,2の理由であるなら、王家は消滅、あるいは消滅する過程といえるが、選挙があったとしても、旧支配者で戦勝のカリスマもあるアリシア姫やクリストファーが落選するとは考えにくい。さらに、連邦という制度の提唱者である。2人は一代限りであろうが、事実上の王、終身議員(それも、おそらくマーキュレイとオーディネルの代表)として君臨しつづけるかもしれない。
 3の場合はいきなり民主主義を導入した場合の拒否反応を和らげる方便として王家が温存されるという想定であるが、これも理由がない話ではない。
 連邦は具体的な政体は下院と上院を創設し各国の政治を選挙で選ばれた議員で決め、さらに選挙で選ばれた議員で構成される上院での審議を受けるとし、戦勝国は当面上院の過半を占める議席を持つということ以外は語られていない。旧王制国家の王家は象徴として温存されている可能性もないわけではないだろう。
 アリシアは「王家はなくなります」と発言しており、これを額面どおり受け取れば、象徴としての王家の温存は微妙である。だが、それ以前においては「民主制と王政の良い面を参考に新たな政治体制を作る」と発言しておりこの段階では民主制原理主義だったワケではない。
 王政と民主制、あるいは民主制下の王家の立場をどうするべきか?アリシアやクリストファーは、あるいはそのブレーン達は水面下で連邦が成立した後も悩んでいるのかもしれない。
 民主制度が王国であった国にどのように根付いていくか?国ごとに違いがあり、その方法も違ったものになるだろう。だが、それが定着しないことには連邦そのものが機能きなくなるからだ。王制と民主制の相関関係は連邦の隠れた政治テーマの一つなのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    



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