この文章はグローランサーW冒頭ですでに最終局面を迎えつつあったイグレジアスとデュルクハイムの戦争の概説を妄想で記述したものです。ほぼ100%の妄想になりますが、よろしければお付き合いください。当然のことながら正確性はこれを保障できません。(内務省)
ノイエヴァール大陸北方に位置するイグレジアス王国は貧しかった。
寒冷地に位置するため、食糧生産が他国に比べ著しく劣っていた。よって人口は少数であり結果、国力は他国に比べ弱体にならざるを得なかった。
領内にある良質の木材、鉱山。そして、沖合いの豊かな漁場が、この国を全面的な飢餓、貧困から救っていた。
しかし、それらの産業は南方のデュルクハイム国との利害の衝突を生んでいた。加えてイグレジアスは伝統的に勢力圏を南に拡大する南下政策を国是とし、デュルクハイムはこれへの対処を長年の目標としてきた。
両国は既に幾度かの戦火を交えており、対立は根深いものがあった。
この対立に終止符を打ったのが、異例の長期戦となった7年戦争であった。
開戦のきっかけとなったのはいつもどおり食糧危機であった。開戦より4ヶ月前、イグレジアスは飢饉により破滅的なダメージを蒙ることが明らかになった。国王は他国に援助を求めたが、どちらも色よい返事は帰ってこなかった。対立関係にあるデュルクハイムに至っては食糧支援どころか漁場や森林資源への侵食を続ける有様だった。
この時、イグレジアス軍は30年続いた平和の期間を使い、著しく増強されていた。その戦時兵力は3万以上であり、この時点ではデュルクハイムと対等かそれ以上の戦力を誇った。
当時のイグレジアス国王アレクサンドル6世は武力による食糧問題の解決を決断した。
この決断自体は歴史的に見ればありふれたものであった。イグレジアスとデュルクハイムの争いは常に前者に食糧危機が生じたときに、前者が戦争を仕掛け、そして、損害が一定のラインに達すればどちらかが譲歩して戦争が終わる。これが、それまでの戦争の作法だった。
しかし、この戦争だけは違っていた。それを両国は知ることになる。
戦役1年目
両国の勢力範囲は常に流動的であったが、概ねデュルクハイム領ソコリーナの北を流れる川が、自然境界となっていた。デュルクハイムはこの川ぞいに防衛ラインを敷き、クライスト中将の1万5千人の守備軍を配置した。
双方が宣戦布告を行った後、防衛ラインよりもイグレジアス側で小競り合いが発生した。
それはデュルクハイム側に敵の大規模攻勢を予感させた。それが発生したのは3ヶ月後であった。
ファンデルシア周辺の海域が凍結した。寒冷地帯として知られるこの場所でも珍しい現象であった。イグレジアス軍総司令官スワロフ公爵はこれを利用する。
デュルクハイムの防衛ライン正面に1万2千の兵力で牽制をかけつつ、別働隊1万を
氷結した海を進撃させ、防衛ラインの背後に回りこませた。この氷上進撃はクライストの度肝を抜いた。防衛ラインの右翼はこの奇襲により大損害を受けた。
クライストは守備軍の残存戦力を防衛ラインより後退させ、その3日後にイグレジアス軍に反撃を加え、ソコリーナ会戦となった。イグレジアス軍は包囲作戦をとり、それに成功した。デュルクハイム軍は敵の兵力を2万程度と考えていたが、実際は3万の兵力であった。加えて、先の奇襲で受けた損害は大きく、この会戦はデュルクハイムにとり一方的な敗戦となった。
デュルクハイム軍の損害は1万に及び、無事首都にたどり着けたのは僅か2千でしかなかった。これに対しイグレジアス軍の損害は2千であり、かすり傷に近いものであった。
この結果、ソコリーナはデュルクハイム占領下に入り、これまで一度も破られたことがなかったデュルクハイムの国境防衛ラインは総崩れの状態となった。防衛ラインや町に備蓄されていた兵糧、食料を得たことでイグレジアスの当面の食糧危機は回避されることになった。
ここで、イグレジアス側はデュルクハイムに和平を持ちかけた。今までであれば、デュルクハイムが譲歩し、それで戦争が決着するはずであった。
だが、デュルクハイムはこれに応じない。そればかりか、本土で大規模な徴兵を行い、壊滅した地上戦力の再編に乗り出した。
デュルクハイム国民にとってイグレジアスの要求は受け入れがたいものであった。所詮は自分たちの食料を強奪に来た者達の要求ではないか。
「強盗の要求など考慮するに値しない」
当時のデュルクハイム大統領エイブラハムはこの国民の総意をストレートに表現した。
そうするだけの条件が彼らにはあった。今まで、戦局が悪化すると東の大国ヴァルカニアが国境で挑発行動を繰り返し、デュルクハイムを牽制するのが常であった。だが、今回はヴァルカニアは動かなかった。
イグレジアスはヴァルカニアに出兵を持ちかけたが、ヴァルカニア王の「必要の無い戦争を行い民を苦しめることはできぬ」という至極尤もな回答に接した。
イグレジアスは困惑した。チェックメイトになっても勝負は終わらない戦争になったからだ。
スワロフ公爵はさらなる進撃を決心した。ルートは2つあった。
一つは、デュルクハイムの首都デュルケンを目指し、敵の政治・経済の中枢を破壊するもの。
もう一つは、デュルクハイムの経済、産業、農業の中心部たる大陸南東部への侵攻。
公爵の決断は首都進攻であった。
攻略軍1万5千がデュルケンに向け出撃した。
この間デュルケンは首都の防衛を強化していた。もともと三重の城壁で守られたこの都市は難攻不落と言われていた。生き残った2千の兵士そして、首都の住民も防衛に起ちあがった。
イグレジアス軍は首都に到達、攻囲陣地を構築し来るべき総攻撃に備えた。
両軍ともこの状態のまま冬営に入り、戦役1年目を終えた。
戦役2年目
冬が終わりに近づいた頃、イグレジアス軍は行動を開始した。
イグレジアスは鉱山を有し、掘削技術は優れていた。彼等はそれを利用し、堅固な敵城壁の下部まで穴を掘り進め、そこを火薬で爆破する。という方法を取った。
20箇所で掘削を行い、うち12箇所は目標地点の到達に成功、総攻撃開始と同時に爆破した。
これにより、第1の城壁は大損害を受け、イグレジアス軍はこの突破に成功した。だが、第2の城壁は健在であり、頑強な守備により突破を許さなかった。
しかし、鉄壁と思われた城壁を一部とはいえ突破されたことは衝撃的であった。しかもイグレジアス軍は突破した第1の城壁を自分たちの拠点にしつつあった。
さらに、その3ヵ月後に第二次総攻撃を実施。第2の城壁を突破し、残るは最後の城壁だけであった。
「我等の首都は危機にある」
エイブラハム大統領は閣僚の一部をトロックメアに退避させたが、自身は首都に残り、首都の死守を訴えた。
デュルケンを救え。の大合唱がデュルクハイム全土を動かし、海路を通じて増援部隊が到達した。
そして第3次総攻撃が開始される。
イグレジアスは最後の城壁を突破すべく、得意の爆破戦術を採用したが、デュルクハイム側も逆に坑道を掘り、イグレジアスの掘削を妨害した。結果、爆破に成功したのは1箇所のみであった。
このため、城壁はその高い防御力を保ったままイグレジアス軍を迎え撃った。
イグレジアスは攻撃を中止した、これまでの攻撃で既に4千の損害を出しており、これ以上の攻撃は自滅につながるとスワロフは判断した。
これは、デュルクハイムにとってイグレジアスを阻止した始めての戦いであり、大いにその士気を高めることになった。
この間、両国共に他方面では大規模な衝突は見られなかった。どちらも戦力が不足していたからだが、理由は微妙に違っていた。
デュルクハイムの場合は緒戦で正規の陸軍部隊が壊滅したことで、一から軍の再建を行わねばならず、訓練が完了した部隊もまずは首都に投入しなくてはならなかった。だが、徴兵は順調であり、来年になれば軍の再建は一段と進むことになる。軍事国家はその本領を発揮しようとしていた。
一方、イグレジアス軍は戦争を開始時の3万の兵力は自らの全力を出し切っての数値だった。損害が出れば補充は来るが、その数は少ない。しかも、戦争が長引いている現状では兵士の何パーセントかを故郷に返し、農業をさせなくては、食料の自給が成り立たない。食糧問題の解消のために引き起こした戦争が逆に食料生産を阻害する本末転倒な状況となっていた。この状態では他の方面で攻勢作戦を発動するのは不可能だった。
戦役3年目
軍事国家はようやくその本領を発揮しつつあった。
訓練済みの兵士は4万を越えつつあった。首都付近の戦力比はデュルクハイムが2万、イグレジアスが1万と攻める側が少数という状況に陥っていた。
ここで、初めてデュルクハイムが攻勢に出た。首都近傍の敵を撃破し、首都の安全を確保するのが目的である。
だが、歴戦のスワロフ公爵は巧みに兵を配置し、デュルクハイム軍に8千人の損害を与えてこれを撃退した。スワロフの損害は1千人に過ぎなかった。
この成功に気を良くしたイグレジアスは最後の攻勢に出ることを決心した。この年の終わりまでに再びデュルクハイムに大損害を与え、講和に持ち込まなければならない。
では、目標は何処か?
イグレジアスはここで主攻方面を転換した。首都ではなく、生産力の中心である大陸南東部にその矛先を向けたのだ。
1年以上続いた首都攻防により、デュルクハイムの注意は首都防衛に向けられている。その隙を突く。というのが理由であった。
これに従い、スワロフは大胆な陽動行動を取った。坑道をわざとらしく大げさに掘り、総攻撃が近づいていると敵軍に思わせた。デュルクハイムはこれに完全にひっかかった。主と防衛のためさらに2万を派遣し、大陸南東部には僅かに1万しか配置できなかった。
イグレジアスは秘密裏に2万の兵力をアイゼンヴァント方面に集結し、進撃を開始した。この攻撃に対し、防壁となるべきはアイゼンヴァント砦であったが、その兵力は僅かに3千であった。優秀な指揮官であれば、防衛を巧みに行い、敵軍を撃退知ることもできたかもしれない。この砦は難攻不落の名を恣にした堅牢な要塞であった。
しかし、イグレジアスの奇襲は当初完全な成功を収めた。
前衛陣地がことごとく奪取され、守備兵は1000人に減少し、指揮官も戦死した。陥落は目前と思われた。また、イグレジアスにしても本土に残る7千の兵が増援に来る前にこの要塞を陥落させねばならず、それまでに相当の損害を蒙っていたが、5千人の精鋭部隊を以って一挙にこの砦を陥落させようとした。
だが、この攻撃は指揮官戦死により臨時指揮官となったルートヴィッヒの反撃を受けた。もともと、最後の防衛ラインは山脈により道が細くなっており、防衛しやすい地点であった。彼はここで100人の兵でイグレジアスの攻撃を凌ぎきったのだ。
「事ここに至る。最早、攻撃を強制すること能わず」
これまでの攻撃で既に1万の損害を出していたイグレジアス軍は攻撃を中止した。デュルクハイム軍は増援を得てアイゼンヴァントの守備を万全なものにした。
こうして、イグレジアス軍最後の賭けは失敗した。
以後、イグレジアスは戦力を回復することが出来ず、増強を続けるデュルクハイムに押しまくられることになる。首都方面でのデュルクハイムの第二次攻勢を挫折させたことが唯一の安心材料であった。
だが、その立役者であったスワロフ公爵もこの年の大晦日に病死した。
戦役4年目。
デュルクハイムの戦力はそれまでの増強により5万に達した。これに対しイグレジアス側は2万であった。
これでは、イグレジアスが攻勢を起こすのは不可能であった。彼等は守勢方針に切り替え、敵に大損害を強要することで講和の席に着かせるという戦略をとった。
デュルクハイム側は首都での攻勢で大損害を蒙ったことを考え、徹底的な準備期間をおき、軍の更なる増強を図った。
このため、両軍の間に大規模な戦闘が発生するの夏になってからであった。無論、デュルクハイムの大攻勢という形でそれは起こった。
首都、及びアイゼンヴァント正面からのデュルクハイム軍の攻勢はそれぞれ、2万の兵力を集中して決行された。しかも、そこには新たな手法が用いられた「魔法」である。
開戦の15年前、ルインチャイルドや古代遺跡が多数発見されてから、失われた技術「魔法」の研究が進められていた。とりわけデュルクハイムには遺跡が多く、他国よりも進んだ魔法技術を開発していた。
一方イグレジアスは魔法については今次戦争には間に合わないと判断していた。
彼等は全く無用心のまま魔法の洗礼を浴びることになった。
のとき実用化されていたのは「キュア」「ヒーリング」といった回復魔法が主であり後に登場する「メテオ」など攻撃魔法は研究中の段階であった。しかし、兵士の回復を劇的に高めた回復魔法の投入は戦局を大きく展開させた。
イグレジアスのアイゼンヴァント防衛ラインは数度の攻撃の末突破された。
デュルケン防衛ラインはなんとか守りきったものの、アイゼンヴァントのデュルクハイム軍が背後に回りこむ危険性があり、デュルケン方面のイグレジアス軍は撤退を開始した。
撤退は秩序だって行われ、全軍壊走にはならず。最大限の戦力を保ったままイグレジアス軍は後退に成功した。
そして、ソルコリーナに残存部隊を集結させた。その数は1万5千でしかなかった。
デュルクハイム軍も相応の損害を受けていたが魔法の影響により戦力は5万を維持していた。さらなる攻撃計画が練られたが、それは思わぬ障害にあたることになった。
寒波の来襲であった。これにより、軍事行動は自殺を意味すると言われるくらいに気温が低下した。攻勢は来年に持ち越されることになった。
この時、デュルクハイム大統領エイブラハムが急死した。「首都防衛」を唱え、自身も首都に残り、抗戦の象徴であった大統領の死は国民に大きな衝撃を与えた。副大統領であったデリンガーが大統領に就任し、以降の戦争を指揮することになった。
5年目
この年頭の演説においてデリンガー大統領は「我が国土を奪回し、この戦争の最終的解決を目指す」と宣言した。
この言葉は出まかせではなく、デュルクハイム軍は大規模攻勢の準備を整えつつあった。
目標は敵の占領下にあるソルコリーナだ。
雪解けを待ってドラングーツ大将の4万の軍勢が北上した。
これに対し、イグレジアス軍は2万の兵力を以ってソルコリーナ〜デュルケンの街道上に布陣し、迎撃準備を整えた。この場所であれば、迂回できるほどのスペースが無く、包囲される危険がないと考えての配置であった。
だが、その戦力は弱体なものであった。イグレジアスは訓練未了の兵士も実戦に投入していた。数はそろえたもののその戦力は昨年のイグレジアス軍2万に及ばない。
デュルクハイム軍も防御陣地の構築を開始した。無理攻めは損害のみ大きい。そのことをドラングーツも理解していた。
陣地合戦はその後、一ヶ月続いた。ここでデュルクハイム軍は行動に移った。国力のある彼らにしても数万の大軍を長期間行動させることは障害になっていた。
ドラングーツはイグレジアスが構築しつつあった南東部にある防御施設に奇襲をかけることにした。それはイグレジアスの防衛網の重要な地点であって、小競り合いが大規模な衝突につながる可能性を秘めていた。
デュルクハイム軍の奇襲そして、占領により発生した事態はその可能性を字で行くものとなった。イグレジアス軍は奪回のため予備部隊を動員した。激戦の末、奪回に成功したが、彼等はここで勢いに乗りすぎた。深追いし過ぎたのだ。
この瞬間をドラングーツは待ち望んでいた。イグレジアスの追撃部隊を伏兵で袋叩きにしたのだ。反撃に転じたデュルクハイム軍は再び防御陣地を制圧した。
ドラングーツはここで全軍に総攻撃を司令した。イグレジアス軍は頑強に抵抗した。そして、驚くべきことにその日の夕方まで耐え切った。イグレジアス軍はデュルクハイム軍に8千の損害を与えた。対する自軍の損害は6千であった。損害の数だけを比較すれば悪い取引ではなかったが、兵力2万のイグレジアスにとり、6千の被害は許容できるものではなかった。
彼等は次第に防衛線を縮小した。一方デュルクハイム軍は魔法により損害の回復は急速だった。
会戦の数日後には新たな攻撃を発起した。イグレジアスはこれに耐え切れず夜間に残存戦力をまとめるとソルコリーナを放棄し、一路本土に後退した。
デュルクハイムはここに国土から敵を撃退するという目的を達したのであった。
だが、彼らには二つ目の目的が残っていた。イグレジアスを完全に打倒し、これまでの対立の歴史に決着をつけることであった。
デュルクハイムは総勢5万の大部隊を以って一挙にイグレジアスを殲滅する計画を発動する。
これに対し、イグレジアスは残存1万4千に国内の義勇兵3千を加え、さらに死翼傭兵団4千を雇い入れた。
デュルクハイムの最終的解決など、受け入れいることはできなかった。本土決戦が彼らの選択であった。
以上が、この戦争がノイエヴァール大陸世界全土に飛び火する直前の経過である。
両者の最終決戦はこの未曾有の大戦争の一部として語られることになった。
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