4      冬の街 上
 
 
 ヴォルトゥーンの周辺にはまだ前日の雪が残っていた。晴れてはいたが、風は冷たい。爪先、指先からそれが伝わってくる。白い息を吐きながらスレインは立ち止まった。
 目の前にヴォルトゥーンを囲う城壁と大門があった。門は開かれており、多くの人々が出入りしている。今が冬であることを忘れさせる賑わいだった。
 門を潜り抜けると、活気がスレインを出迎えた。
 ここを離れたのはもう2年前なんだなとスレインは思う。彼がこの前までいた場所でも復興は進んでいた。この町もおそらく復興、いや発展しているのだろう。
 彼が最も気にしていたのはシオンとの戦いでともに戦った仲間たちだ。
 この街に皆来ているはずだ。自然に歩調が速くなった。
 連邦議長の娘アネット。
 風の精霊使いヒューイ。
 フェザリアンの少女モニカ。
 老科学者ビクトル。
 もう一人の自分グレイ。
 そして
 もう一人の名前。しかし、それはあまり意味の無いことだった。彼女は死んでいるわけではないが、人々が皆彼女のことを覚えていないなら存在しないのと変わらない。
「スレイン!?」
 街の中の広場に入っていくと、突然、名前を呼びかけられた。とても懐かしみのある声だった。
「スレイン!久しぶりね!!」
「うわ!?」
 いきなり声の主に抱きつかれたスレインは思わず体勢を崩されそうになったが、なんとか踏ん張った。
「元気だった!?もう2年前よね」
「いきなり、抱きつかないでくれよ。アネット・・・」
 苦笑いしながらスレインが言うと、アネットは不満そうに頬を膨らませた。
「なによ〜。折角、帰ってきてから出迎えあげたのに〜」
「いや・・嬉しくないことは無いんだけれど、後ろの人のことを気にすると・・・・痛っ!」
「・・・・よう、スレイン」
 あまり歓迎している様子ではないスレインと瓜二つの青年がスレインの頬を抓り、歓迎の挨拶を行う。
「人妻に手を出すとはいい度胸だな。」
「いや、グレイ・・・気持ちは分かるんだけど・・・」
 スレインを拘束から開放したアネットがグレイを宥める。
「お願い二人とも私のために争わないで!」
「これ、あまり悪ふざけをするもんじゃない。」
 長身の老化学者がアネットの後頭部を軽く叩く。
 そして、そのすぐ後ろにヒューイとモニカが現れた。
「全くやで、今回はグレイはんとアネットはんの為にここに集ったんやで。」
「そうよ、アネット。今のような環境だと男は異様に嫉妬深くなるの。」
「・・・・モニカちゃん、そんなことを何処で覚えたのよ。・・・・ごめん、ちょっと悪ふざけが過ぎたみたいね。」
 と、アネットが謝ると、自然と笑いが広がった。
「本当に久しぶりだね。皆元気そうだね。」
そして
「おめでとう、アネット、グレイ。」
「お・・おう。」
「うん!有難う。」
 そう、明日はアネットとグレイの結婚式だった。グレイは当初、アネットと薄汚れた自分と結ばれるのは・・と思っていたようだったが、結局は元の鞘にという感じで収まるとことに収まったのだった。
「家に来て!もう少ししたらミシェールちゃんもオルフェウスさんとかも来るから。」
「ああ。」
 何処からとも無く歌が聞こえてくる。シオンを倒した伝説の勇者たちを称える曲だ。
「・・・ああいうのを聞くと、嘘みたいね。シオンを私たちが倒したなんて・・・」
 と、モニカがしみじみと言った。
「そうね、なんだか、あんな風に歌われちゃうと自分がとてつもない年寄りに思えてくるわ。」
「違いない。」
 曲は歌う。しかし、そこにも彼女の名前は出てこない。
「―弥生さん」
 と、スレインは小さく呟いた。
 
 変化は突然訪れた。
 あの日を境に弥生の記憶が皆から消えていた。
 シオンとともに戦った仲間からも。
 精霊使いなら大丈夫かもしれないと、ヒューイや闇の精霊使い、それにグランフォードにも聞いた。答えは変わらなかった。
 誰がそれを行ったかはわかる。月の精霊使いしかないだろう。でも理由も分からない。それに自分が何故彼女のことを覚えているのかも分からない。
 分からないことだらけだから僕はほかの事に打ち込むことにした。
 世界の復興のために出来ることは無いだろうか?
 アグレシヴァルにも行ってみた。
 いくつかの事を成し遂げることも出来た。
それをしている間は記憶が消えたという事実を忘れることが出来た。
 しかし、今急にする事がなくなると、また疑問が頭をもたげてくる。
 ―何故?
 
 
 ここは、本当に賑やかなところだったのですね。と、彼女は思った。
 彼女がこの町にいた時、季節は春から秋にかけての時期で、やはり賑わっていたが、これほどではなかった。これが春になればもっと賑やかに陽気になっていくのだろう。
 それが、とても羨ましく感じられた、今の自分の心はそれとは反対であったから。
「弥生さん」
 連れの言葉に月の精霊使い橘弥生は現実に引き戻された。
「どうしました、ミシェール」
「あの、本当にいいんですか・・・スレインさんのこと・・・」
 もうすぐ別れの時期が来るだろうミシェールはそれまで何度も聞こうと思っても言い出せなかった質問を口にしていた。
「いいのですよ、ミシェール。彼のことはお社の決定は正しかったのですから。」
 2年前、月の精霊の力がキルシュラーンド大陸全土で異様な高まりを見せた。原因はおそらくシオンが異常なまでにその力を増大させた後遺症であろう。
 復興に向かいつつあった人々の心に猜疑心、野心、利己心あらゆる負の感情が沸き起こっていた。
 月の社はこの事態に断固介入した。月の巫女を総動員して、この月の力の暴走を抑止したのだ。儀式は成功した。
 しかし、それは小さな代償を要求した。人々の記憶から月の使い人に関する記憶が消えてしまったのだ。それは社にとってはあまり気にならないことではあった。精霊使いの存在を知る人間の数などたかが知れているし、精霊使いの存在が知られているのもあまり良いことでなかった。
 社の方針に弥生は従った。あの日、自分を待っていると言ってくれたスレインを裏切ったことを何度も詫びた。
 その彼がいる大陸に戻ることを私は望んだ。ミシェールを再び地上の人間にするために。
「でも・・・」
 もう、別れの時は近い。ミシェールは思っていることを全部言おうしているのだろう。
「ミシェール。貴方はそれとは関係ない世界で生きていくのです。―それでいいじゃありませんか。少なくとも私はそれで納得できます。」
 きっと私はとても悲しそうな顔をしている。ミシェールは言うべき言葉を失ってしまっているようだった。何も声を発しないうちに、ミシェールの迎えが来た。
 ヴィンセントとオルフェウスだ。
「あの・・・弥生さん・・・!私楽しかったです。弥生さんやお母さんと一緒に居られて・・・月の社も楽しかったです。本当にありがとうございます!」
 素直なミシェールの言葉が少しだけ心と顔を明るくしてくれた。
「ありがとう。さようなら、ミシェール」
 弥生は短い言葉を唱え、手をミシェールの額の上にかざした。
 それが終わると、ミシェールはキョトンとした表情で弥生を見てた。何を言ったらいいのだろうという顔をしていたが、何かを思い出したらしく、唐突に頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!案内してくれて!こんなに人が多い所は来たことが無くて・・・・!」
「どういたしまして、あら、お迎えの人が来たみたいですよ。」
 出迎えの2人を見るとミシェールは顔を輝かせ、手を振った。
「ありがとうございます!」
 もう一度頭を下げると、人ごみを掻き分け、兄と愛する人の所へ走っていった。
「ミシェール、どうか幸せに。」
 
 
 月の精霊使いの介入により、スレインとシオンの戦いの記憶は以下のように改変された。
 月の精霊使いは存在しなかった。
 バーバラという名前の宮廷魔術師は存在したが、普通の人間であった。彼女は娘をシオンに人質に取られ、協力させられていたが、息子のオルフェウスの進言もあり、途中でシオンを裏切る。しかし、戦いの中で彼女は命を落とした。
 その娘、ミシェールはスレインから得た薬で免疫不全症から回復したが、療養のため、他国に行っている。
 
 
 その記憶に順応していくのは大変だった。と、スレインは思う。
 あの戦いを皆で話す時の記憶のズレ。仲間は4人だけだった。魂をホムンクルスに移した時の障害ではないかといわれた。
初めはそれに抵抗した。しかし、それはすぐに無駄なことだと悟った。月の精霊の力はやはり強力だったのだ。
 誰に何を聞いても答えは同じだった。
「おめでとうアネット、グレイ!」
「ありがとう皆・・・」
「ほら、グレイはん。前に出なはれ。」
「おい・・・ヒューイ余計なことを・・・」
 隠れるようにしていたグレイをヒューイが引っ張り出している。
 場所を連邦議長の館の一室に移して、改めてアネットとグレイを祝福していた。机にはささやかな料理が出され、場を盛り上げている。
「これは、なかなか美味だな。」
「えへへ、キシロニアは今年も豊作だったんだよ。」
 太陽の異変の終結により、穀物の生産は劇的に向上した。アグレシヴァルでさえも国民の自足が可能な程度の穀物生産に成功した。
「良かった。―本当に、良かった。」
 と、スレインはしみじみと言った。それは決して嘘ではなかった。彼が見た世界の傷跡はそれほどひどかった。
 それを癒すために、自分の役に立つことはないだろうか?それを探す2年間だった。
「せやな、みんなそれぞれの場所でがんばっとるさかいな」
 アネットとグレイはバーンズ議長を助言者としてあるいはエージェントとして助けている。
 ヒューイは旅を続けながら風の力を精霊のバランスを崩さない程度に使っている。
 モニカはおじのリナシスとともに、復興の助けになるような技術の開発に勤しんでいる。
 ビクトルも彼の得意分野である魔法、そして科学技術知識を駆使して技術畑で頑張っている。
「リーダーの働きはかなり目覚しいものあるけどな。」
「そうね、この前のキシロニアとアグレシヴァルの講和条約には貴方も一枚かんでいるみたいだしね。」
「ははは、大したことはしていないよ。―両方の国の人が良識人だった。それだけだよ。」
 アグレシヴァルとキシロニアの間に相互不可侵を基本とする平和条約が結ばれた。主戦派でかつ野心家であったゲルハルトは失脚し、現在は新国王の元で異変で受けた傷を必死で癒している。条約が守られるなら今度30年は争いは起こらないはずだった。
 そのことに少しだけ貢献できたという達成感がスレインの心を少しだけ明るくしていた。
「せやけど、あんさんもそろそろ自分の心配をするべきやな。」
「―あ、やっぱりそう思う?」
 と、おどけてスレインは答えた。
「ヒューイはその点も抜かりないみたいだしね。」
「あたりまえや。ワイを誰だとおもってるんや。」
「ホント、ここに夫婦同伴で来るなんて予想外だったわね。」
 と、アネットが笑いながら、言った。
 ここにいる仲間たちは自分たちの幸せも手にしていた。
 ヒューイは旅先で知り合った女性と恋に落ち、そして、他の仲間の誰よりも早く結婚した。彼の妻は今身篭っている。
 モニカも先ごろオルフェウスと婚約した。今でも人間に対し、複雑な感情を持ったリナシスを説き伏せるのにオルフェウスは敵と戦う時よりも精力を使ったようだった。
 一人で居るのはビクトルとスレインくらいのものだった。
「ワシはもう年寄りじゃ、そういった心配はせんでもようかろうが・・・リーダーはそうも言っておれんじゃろう。」
「ビクトルまで・・・あんまり僕をいじめないでよ。」
 自分のことか―
 それ考えると、寂しさがいつもこの身を締め付けた。
 それを考えなくてもいいから、僕はそれ以外のことに熱中した居てのかもしれない。2年間それでうまくいっていた。アグレシヴァルで数はすくないけれども良い友人にめぐり合うことも出来た。
 スレインが答えに窮していた時、新たな参加者が扉を開いた。
「みなさん、お久しぶりです。」
「ミシェール!!」
 モニカが真っ先に反応した。するとそれにつられて、部屋の皆も反応する。
「ただいま、モニカちゃん。みなさんも」
「体は大丈夫なの?」
「ええ、もうすっかり外も歩けるようになったの!」
「良かったわ。・・・・それにヴィンセントさんも居るんだしね。」
「アネット殿、グレイ殿。この度は誠におめでとうございます。」
「おめでとうございます。」
 オルフェウスとヴィンセントが真面目くさった言葉を送ると、アネットとグレイはとてもむずがゆそうな表情を作った。
「ほな、呑みなおしといこか」
 と、ヒューイは言うと、またとても幸せな馬鹿騒ぎが始まった。
「あ、スレインさん。お久しぶりです。」
 ミシェールが話しかけてきた。
 スレインは皆の記憶に即して話をすることにした。
「ああ、体のほうはもういいの?」
「はい、スレインさんからいただいた薬で、もうすっかりです。」
 そう、母は死んでしまったが、彼女は僕が渡した薬で病状は劇的に改善し、他国の療養所で休養をとっているということになっていたはずだ。
「向こうの方の療養所じゃさみしかったんじゃないか?ヴィンセント将軍もいないし。」
「そ・・・っそんなことは・・・」
 真っ赤になるミシェール。
 そうか、君ならもしかしたら。
 淡い期待とそれよりも遥かに強い諦観が同時に沸き起こった。彼女は帰ってくることはない―そう気づいているんだろ。
「なあ、ミシェール。君は・・・」
 ミシェールは月の精霊使いの素質があったはず。それなら、月の社に行っていたはずだ。それなら、弥生のことを覚えているかもしれない。
 もっとも、地上に返されたということは社での記憶を消されたのだろうから、知っている可能性は低い。
「弥生さんという人を知っている?白い上衣と下は赤いズボンのようなものを履いている黒い髪の女の人なんだけど。」
「はい・・?」
「その会わなかった?君が行っていた病院とか、旅に行く途中とか・・・」
「いえ・・・そういう方は私は・・・」
 想定どおりの答えが返ってきた。
「そう、変なことを聞いてごめん。気にしないでくれ。」
「その方はスレインさんのお知り合いですか?」
「ああ。」
「リーダー!いつまでミシェールはんに話しかけてるんや、ヴィンセントはんの顔がコワくなってるさかいはよ、こっちにきたらどうや。」
 ヒューイだった。
「―そうだね、悪かったね。ヴィンセント将軍」
 朴念仁であることは確認する必要もないヴィンセントからは「そんなことはない」と短い言葉が返ってきただけだった。
「全く、人妻に手を出すとはいい度胸やで」
「いや、そういうつもりじゃなかったんだけどね。」
 苦笑するスレインの襟をヒューイは掴んだ。
「ちょっと、休憩せいへんか?」
「・・・ああ?」
 
 アネット達の居る部屋の外にあるバルコニーは外の冷たい空気の中にあったが、室内の暖かい空気に暑すぎると感じていたせいか、とても新鮮な感覚がした。
 しかし、それも時間にしてみれば短く、すぐに厚着をしなくてはならなくなった。
「ここも、風が集まる場所なの?」
 と、ヒューイに尋ねた。
「まあ、そうやな。前に案内したアパートの屋上よりも劣るけどな。」
 ヒューイは雪の白に染まった街に目を向けた。暫しの沈黙が流れた。
「リーダーはまだ信じとるんか?もう一人居た仲間のこと。」
「・・・ああ」
「そうか。」
 ヒューイは慎重に言葉を選びながら言った。
「月の精霊使いか・・・リーダーがいう人がそれやったら、納得はできるわな。」
 彼女達は人の記憶を操ることが出来る。ワイらが覚えてないのも納得できる。ほんなら、その人がワイらの記憶も消したことになる。
「その人も、リーダーが自分との記憶で縛られていると・・・そう思っているかもしれへんな。」
 そうかもしれない。弥生はそう考える人だった。だから、彼女を月の社に送った時に言ったのだ。「そんな、ことは必要ない」と
「沈黙は同意とみなすで、リーダー。」
「ヒューイ・・・・」
「あんさんは、自分の時間を進めるべきや。もし、リーダーのいう「弥生さん」が本当にいるんやとしたら、彼女もそれを望んでいるはずや。」
 弥生は実際にシオンを倒した直後にそれを行おうとしたことがあった。きっと、同じように考えているのだろう。
「忘れろっていうことかい?そんなことが出来るわけがないだろ!」
 相手がヒューイだということを忘れてスレインは叫んでいた。
 忘れられるわけもない。
 そして、忘れてはいけないことだと思っている。
 そして同時に
「そいでも、あんさんが記憶を保っていることなんか、相手は知らんはずや・・・もう、あんさんの傍には現れないやろ。」
 諦めていた。
 そう、ヒューイの言うとおりなのだ。彼女はもう戻ってはこない。最悪、彼女自身もシオンとの戦いの記憶をなくしているかもしれない。
 弥生の存在を示す証拠は極端に少ない。彼女は私物をほとんど残さなかったし、記憶にしてもそれを他のものは覚えていないのだ。
「あんさんはもし彼女に今会えたらなんて言う気なんや?」
 もう一度好きだと言えるだろうか?
 この、2年間。彼女の影を見ればすぐに、反応してしまう自分が居た。唯の黒い髪の人を見ただけで、弥生のことだと思ってしまった。他の人が忘れている、せめてその存在を証明するものがあれば・・・そう思っていた。
 でも、それはいつも空振りに終わった。
何処を探しても弥生は見つからなかった。そして、それに慣れていく自分が居る。弥生が存在しないことに慣れていく自分がそこにはいた。
 答えを出しあぐねているスレインを見て、ヒューイは言った。
「すまんかった。直ぐには気持ちの整理はつかんよな。」
「・・・いや、いいんだ。」
 ヒューイは本心から自分のことを心配しているのだろう。それはありがたいことでもあった。
「ありがとう、ヒューイ。」
「スレイン、ヒューイあんまり外に出ていると風を引くわよ。」
 長く外に居るのを不思議に思ったのか、モニカが呼びにきてくれた。
「ほな、もどろか。リーダー」
「同感。少し寒いしな」
 と、スレインは気を取り直して仲間達の喧騒のなかへと帰っていた。
 グレイとアネットの結婚式は明日のことだ。
 
 
(つづく)
 
更新日時:
2011/02/20 

PAST INDEX FUTURE

戻る

Last updated: 2012/7/8