3      霧の街
 
 
 スレインは日差しを感じて顔を上げた。
 カーテンを少しだけ開けて、外を見ると空には太陽が昇っていた。とてもまぶしい太陽だった。
 シオンとの戦いは終わり、太陽は再び輝きを取り戻した。
 戦いの後、スレインは闇の総本山へと向かった。今、自分が動かしている肉体をグレイに返し、自らの魂を葬るために。
 しかし、現実に彼はこうして生きていた。グレイも今はキシロニアで生活している。そうなった理由はビクトルが作ったホムンクルスにあった。彼はそれを新たな命の入れ物として、ここにいたのだ。
 それだけでも、彼にとっては十分すぎる奇跡だった。
 だが、彼はそれからほどなく、再び大切なものを失わないために奇跡を望んだ。
 そして、彼は再び奇跡を得た。
 
 スレインは窓から離れると、寝台で横になっている人物に目を向けた。
 眠っている。
 それを見て、スレインはホッとする。
 3日前、彼女は生と死の淵をさ迷っていた。原因は戦闘で受けた毒だった。大陸のものとはまったく異なるその毒は高熱を発生させ、命の保障が危ぶまれるレベルにまで彼女を追いやった。
 昨日がそのピークだった、スレインは熱を冷ますために水を運び、布を水でぬらし、絞り、額にのせた。
 太陽が落ち、空に星が見え始めたころようやく彼女の熱は下がりだした。
 助かったのだ。
「んっ・・・」
 彼女が起き上がった。まだ、熱の後遺症が抜けていないのか手で頭を押さえている。
「大丈夫、弥生さん。」
 弥生の体を支えながらスレインは言った。
「まだ、寝ていたほうがいいみたいだね。」
「スレインさん・・・私・・・は」
「モンスターの毒にかかっていたんだよ。難民にモンスターが襲いかかるのを防いだときの戦いでね。」
 5日くらい前のことだった。
「では、それからずっと・・・貴方は・・休んでいないのですか・・・?」
「休みが必要なのは君のほうだよ。」
「しかし・・・」
 自分を気遣う弥生にスレインは笑いかけた。
「君が回復したら、僕も休む。だから今は傷を治すことだけを考えて。・・・僕は大丈夫だから。」
「すみません。」
「何か、食べれる?」
「・・・・それではお願いできますか?」
 どうやら食欲もあるらしい。
「おかゆでいい?」
 と、尋ねると彼女は頷いた。
「じゃあ、宿の人に食事を頼んでくるから。」
 と、言ってスレインが部屋を出ようとすると弥生はどこか寂しげな様子で尋ねた。
「あの、難民の方々は・・・どうなったでしょうか?」
「え?ああ、あの人達?」
 続けてスレインが何か言おうとした時、ドアがノックされた。
「竹俣です。」
「ああ、すみません。すぐ開けますから。」
 スレインがドアを開けると、そこには初老の男が立っていた。身なりからリングマスター。この国の言い方に従えば「武士」であることが分かった。
 竹俣は起き上がっている弥生を見て言った。
「どうやら、当家秘伝の薬が効いたようですな。」
「ええ、本当にありがとうございました。」
 いやいや、魔物から助けていただいたのですから当然のこと。と、竹俣は応じた。
 スレインは弥生に振り返ると言った。
「竹俣さん。君の解毒薬を作ってくれたんだ。」
 しかし、そう言われたほうの弥生は何も言わず、竹俣を見て呆然としているようだった。
「弥生さん?」
 疑問に思ったスレインが声をかけるとはっとして、弥生は竹俣に言った。
「あ、申し訳ありません。・・・ありがとうございました。」
 と言って、彼女は竹俣に頭を下げた。
「ああ、かまわんよ。お主は病人なのだ。横になっていたまえ。」
 気にした風も見せないで竹俣は言った。
「待ってください。なにか出しますから。」
「いいや、いい。」
 竹俣は首を横に振った。
「ただ、様子を見に来ただけだし、そろそろ、この街を出ようと思っていたのだ。」
 行く先はあるんですか?とスレインは問うた。
「ようやく、太陽も戻った。」
 その一言にスレインの顔に少しだけ翳りが浮かぶ。太陽の異変の責任のいくつかは彼にもあるからだ。
「だから、故郷に帰って、そこで暮らそうと思う。なに、心配はいらんさ。我々は故郷を開拓してきた。それをまた繰り返すだけの話さ。」
 それだけ言うと、彼は部屋から出ようとした。
「見送りますよ。」
「そうか。」
 君はここで待っていてと弥生に言う。彼女はそれに「はい」と答えた。
 ドアを閉めると、竹俣がスレインに話しかけてきた。
「お主はこの街の者か?」
「いいえ。」
 スレインは否定した。
「そうか、この街はなにか我々の町とは違うし、このあたりにこんな街があるなど知らなかったのでな・・」
 そうですね。とスレインは竹俣の疑問を肯定した。
 弥生の故郷であるこの国に来てから、スレインが見てきた家屋はキシロニアのそれとは全く違った、木と瓦でできた家だった。
だが、この街は違う。
 ここは、確かにこれまで見てきた木造家屋が多い街だが、最近目にしなかった石造りの建物もいくつか見えた。
 人々の服装も様々だった。スレインがいたキルシュラーンド大陸の服装。この国の服装、果てはフェザリアンの服装。見たことの無い服に身を包んだ人もたくさんいる。
 確かにこの国の他の街とは違っていた。
「お主の服もこの辺りでは見ないものだな・・・」
「ええ、西の大陸から来ましたから。」
 スレインは闇の総本山から戻った後、弥生と一緒に月の総本山のある東に向かって旅に出た。トランスゲートを利用しながらではあったが、それでも2ヶ月近くかかっている。
「西・・・か。我々も西に行く予定だったのだが・・・
「西も大変な有様でした。・・・」
「そうか、何処に行ったところで余り変わらなかったのかもしれないな・・・」
 という竹俣の言葉にスレインは黙ったまま聴いていた。
「竹俣様、出発の準備が整いました。」
 竹俣の家来が言った。
「そうか。」
 玄関に出ると、彼の一族が集まっていた。
「よし、皆、参るぞ。」
 力強い言葉で竹俣が呼びかけると、彼の一族はそれに負けないくらいの力強さで「おおう!!」と答えた。
 彼等は、故郷に帰れることを喜んでいた。荒れ果ててはいるだろうが、忌々しい太陽の異変は終わり、地力は回復しつつある。ならば、故郷に帰ろう。一からの出直しだが、やり直せばよいだけの話だ。
「色々世話になったな。スレイン殿。弥生殿もよろしく伝えてくれ。」
「こちらこそ。それより、故郷でまた元通りに暮らせるといいですね。」
「ああ、そうしてみせるさ。」
 竹俣は頷くと歩き出した。彼に続いて一族も荷を積んだ車とともに動き出す。彼らが目指す故郷はここから東にあるという。
 無事に着くといいな。
 スレインは思った。
 彼らはそれまで信じがたい苦痛に耐えてきた。安住の地とは彼等のような人々にとってこそ必要なものなのだから。
 スレインは見えなくなるまで彼等を見送った。
 
 部屋に戻ると弥生は窓から街を眺めていた。
 もう、随分旅をした。いつか彼女が話してくれた魔法の太陽を打ち上げた国にも立ち寄り、今は彼女の国にいる。月の社に着くのも遠いいことではないだろう。
 いっそうのことこのまま攫ってしまおうか?
 スレインは自分がそんなことを考えたことに驚き、軽く首を振った。
 それでは、シオンと変わらない。
 そう自分に言い聞かせた。
「・・・・どうかなさいましたか?」
「ああ、いや、なんでもない。今、宿の人におかゆをたのんでおいたから。」
「ありがとうございます。」
 弥生は笑顔でそう答えた。
 
 
 
 
 
 それから弥生が回復するまで、4日間を必要とした。だが、高熱の影響にもかかわらず彼女の回復は順調だった。
 高熱から完全に開放された彼女がスレインに一緒に来てほしい所があると言われたのは6日目の朝だった。
 宿から街に出てみると、まだ朝も早いというのに多くの人が道を歩いていた。そして、彼等の進行方向は一定だった西のほうに向かっている。
 2人もその流れの中に加わった。
 歩きながらスレインは街の様子に目を向けた。街の様子を見る機会はそう多くは無かったからだ。
 通りには多くの店があってその店先には多くのものが並んでいた。それに時折足を止める。
 だが、そういう時は決まって弥生が「スレインさん・・・・急がないと・・・・」と言って彼を急かせた。
 スレインは不思議に思ったが、彼女に促されるままに他の人と一緒に歩き続けた。
それからほどなく、湖が見えてきた。人の波の目的地はどうやらその岸辺であるようだった。
 岸辺に着くと、湖のかなりの部分を霧が覆っていた。霧は周りの山々にもかかり、その隙間から山の輪郭が見える。
 たがて、湖面に光の大群が現れた。蛍のようなその光の集団は湖一面に広がっていった。
 スレインは感嘆した。
「綺麗だね。」
「ええ」
 と、弥生は答えた。
「スレインさんもこの街はやっぱり変わっていると思いますか?」
「え?・・・うん。ちょっとね。」
「ここは、月のお社の一部なのです。」
 突然の言葉にスレインの目は大きく見開かれた。
「え?・・・ええ!?」
 スレインのいつもは見せない驚きの表情を見て、弥生は意外そうに微笑んだ。
「ふふ、貴方でもそんなに驚かれる時があるのですね。」
 ここは、月のお社の外郭にあたる場所なのです。
 弥生は説明した。
「昔の5代くらいまえのロード様がそこに街を作られたそうです。何年かに一度、精霊使いが家族に会うのに使われます。遠くの国の人は無理ですけれども・・・・」
 でも、どちらかと言うと、新しく精霊使いになる人が家族と別れるための街というほうがいいのかもしれません。と、彼女は付け加えた。
「・・・いきなりそんなこと言われたら、驚くよ・・・・」
 苦笑しながらスレインは答えた。
 言われてみると、自分達のほかにここに居る人は家族連れであったり、恋人同士であったり、夫婦であったりした。
 そして、一様に寂しさが感じられる表情で互いを見詰め合っている。
 彼らも見送りにきたのだ。
 娘や恋人、妻や母を。
 そして
「・・・もう、お別れだね。」
「はい、もう少しで迎えの船が来ます。」
 湖面に広がる光が近づいてくる。そして、おぼろげではあるけれどもそれははっきりと船の形であるのが見えてきた。
 この岸辺に来るまでそう時間はかからないだろう。
「最後に質問していい?」
「はい。」
「竹俣さんは・・・・君のお父さんだね?」
「どうして、それを・・・・」
 スレインは弥生の服にある紋章を指差した。
「それと同じ紋章が彼の刀にあった。たしかそれはこの国でも珍しい紋章だったよね?でも・・・」
 竹俣は弥生を見ても彼女を娘としては見ていないような態度をとっていた。あくまでも、助けてくれた恩人として、接しているように見えた。
 そのことが、スレインの中には疑問として残っていた。
 その答えを弥生が口にした。
「私が記憶を消したのです。」
 彼女は下を向いて続けた。
「父や家来の皆さん・・・・村の人たち。その方々から私に関する総ての記憶を消したのです。・・・・月の精霊使いは一定の力に達すると、自分の家族や周りの人達から自分の記憶を消すことを許されるのです。」
 私は父のことですっと後悔し続けました。母も妹も・・・私が居なくなった事で家族が壊れ始めたのです。
「私は家族をもう苦しめたくはなかった・・・・」
 だから
 私は記憶を、家族の記憶から私に関するものだけを
 消した。
 それは多分正しい結論だった。それでも心のどこかで弥生はそのことを割り切れないでいた。
 それはあまりに当然過ぎることではあるけれども。
「これは、多分僕の思い過ごしだろうけれど」
 スレインは言った。
「僕には必要ない。」
「私・・・そんなことは・・・」
 本当にそうだろうか?
 父と同じように、彼の記憶を消そうとする日が来るかもしれない。
 相手のため、あるいが心が離れてしまうかもしれないという恐れ故に。
 それに、私でなくてもお社の指令で他の人間が彼から私の記憶を消し去ることがないとも言えない。
 スレインはもう一度言った。
「わかってる。でも、必要ない。必要ないんだ。」
 本当のことを言えば。
「このまま君と一緒に入れたらどんなにいいかと思う。でも、それでは精霊の秩序を乱してしまう。」
 それをしてしまったら、シオンがしてきたことと変わらない。
「だから、待ってるよ。君が帰ってくるまで。」
「でも、もしかしたら。私はこのまま一生戻れないかもしれないんですよ?・・・それでは、貴方が・・・」
 スレインはそれは違うと言う様に微笑んだ。
「僕の幸せは君と一緒に生きることだ。そのためなら100年くらい使っても後悔しないよ。」
 幸い、この体。ホムンクルスは200年くらいなら持つらしい。
 スレインは懐から一つの簪を手渡した。
「これは・・・?」
「竹俣さんが君にと。」
「私に・・・?」
 その簪を見て弥生はそれが何であるのかを思い出した。
「これは・・・私が我侭を言った・・・・」
 それは、彼女がまだ幼いころ、あの簪がほしいと駄々をこねたそれだった。
 普段は、おとなしい弥生の突然の反抗に驚きながら母があなたがお嫁に行くときになったら買ってあげるわと言われたのを弥生ははっきりと覚えていた。
「竹俣さんに御礼に渡された袋の中に入っていた。」
 スレインは言った。
「君が持っていたほうがいい気がする・・・・だから受け取ってくれ・・・そう言ってね。」
 それは、竹俣が最後まで残していた自分の娘についての記憶だったのかもしれない。
 だが、一度人為的に消滅させてしまった記憶はもう2度ともどりはしない。
 後悔してはいけない。私は正しいことをしたのだから。と弥生は自分に言い聞かせた。
 しかし、どうしても抑えられない感情が顔にでてしまう。
 いつもは、毅然としたその顔には涙が流れていた。
 スレインはそんな弥生をそっと包み込んだ。
 君がお父さんの記憶を消したのは決して間違ったことじゃない。と、前置きして語りかけた。
「でも、これ以上地上との絆を断つことはない。待つことは僕にとっては苦痛なことじゃないから。100年でも200年たっても、君には帰ることがあることを忘れないで。」
「なんだか、不思議ですね」と、言いながら 弥生は涙を拭った。
 ただ、抱きしめられているだけなのに。
「こうしていると、本当に不安が消えていきます・・・・」
 もしかしたら。
 彼なら、スレインさんなら本当にあのジンクスを破ってくれるかもしれない。精霊使いと人間の恋は不幸しかもたらさない。というジンクスを。
 弥生はうつむいていた顔を上げ、スレインを見つめた。
「はい。忘れません。絶対に帰ります。・・・貴方の許へ。」
「なるべく、この体の寿命が尽きないうちにね?」
 スレインは片目を閉じて茶化すように言った。
 2度と会えないかもしれない2人から笑いがこぼれ出た。
 何かが砂浜にぶつかる音がした。
 スレインは弥生を包んでいた手を離した。
 砂浜に船が接岸していた。船上には弥生とおなじ月の巫女が乗っていた。
「スレインさんこれを・・・」
「これは・・・?」
「御守りといいます。シモーヌを探す旅に出てからずっと私を護ってくれました。」
「・・・・ありがとう。」
 じゃあ、僕も・・・とスレインは裏ポケットから何かを取り出し、それを弥生の手に渡した。
 見てみると、それは首飾りだった。
 独特な装飾が施されている。そして裏側を見るとそこにはVSというイニシャルが入っていた。
 スレインの作品である。
「お父さんのには負けてしまうかもしれないけれど・・・・」
「・・・・大切にしますね。」
 弥生は笑顔でそう答えた。
「弥生さん・・・・」
 スレインは彼女の両肩に手を置いた。彼女は目をつぶり、やがて、2人の唇が交わった。
 それはほんの一瞬だった。
 それを終えると弥生は船に乗り移った。
「スレインさん。いつまでもお慕い申し上げています。」
「好きだよ弥生さん。これからもずっとね。」
 ギイ・・・・
 と、音がして小船は岸から離れ始めた。2人は何も言わずに相手を見送った。
距離が遠くなるにつれて、相手の姿が見えなくなり、ついには船が発する光だけが見えた。
 光は他の船のそれと一体になって、光の草原というような景色を湖上に作り上げた。
 それはとても美しく、どこか寂しそうな光景だった。やがて、その光も霧の向こうへと消えていった。
「・・・・行ってしまったか・・・・」
 スレインは周りには彼と似たような運命に導かれた人達がいる。彼らは暫くの間霧に視線を向けていたが、また一人、また一人とその場を離れていった。
 彼らはこれからも生きていくのだから、いつまでもここには居られない。
 それは、精霊使いがこの世界に生まれてから何度も繰り返されてきた光景だ。
 僕も行こう。
 スレインは弥生から貰った御守りを大事そうにしまうと、湖に背を向けて歩き出した。
 そのころには、もう霧は消えていた。
 空には太陽が昇り、雲ひとつない。
 晴天だった。
 
 
 おわり
 
更新日時:
2006/11/05 

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Last updated: 2012/7/8