◆ 邂 逅 ◆
スレインは眠っていた。
あの襲撃で意識を失ったスレインはそのまま、病室に運ばれた。その時の彼は蒼白で生きている人ではなく人形のように見えた。病室の扉は重々しく閉まり、誰も中の様子をうかがい知ることはできない。そんな状態が何時間も続いた。
しかし、今は違っていた。
彼は心地よさげではないものの眠りについている。
総本山の医師の治療は成功した。
スレインが首を僅かに振り、額に当てられていた塗れたタオルがシーツの上に落ちた。
「・・・あ、また・・・」
彼の傍に座っていた女性がそれを彼の額に当てた。
アネットだった。
彼女の夢は医者になること。それを夢では終わらせなかった。薬学にも精通した彼女はボルトゥーンの医師をして、すぐにでも医者として通用すると評価を得ている。
そのアネットが見てもスレインの容態はそれなりに安定しているように見えた。
苦しそうな表情を見せてはいるが、それは仕方の無いことだった。彼が受けた毒は恐らくあのランドルフでさえも使ったことが無いような強力な毒がしこまれていたのだから。
「看病か・・・・そうえいば、初めてあったときもそうだったわね。」
アネットは唐突にスレインと初めて会った日のことを思い出した。崖の下で倒れている彼を見つけ、彼に一通りの処置をして、看病していた時のことを。
初めて会ったはずだった。しかし、彼女はスレインに不思議な親近感を覚えずにはいられなかった。
彼女にはもう一つの夢がある。医者になるというそれとは違って人に言えるようなことではないけれど。
それは、昔、子供に交わした本当に子供のような約束が成就すること。
内容は自分が相手の花嫁になること。
約束の相手はグレイ。
スレインの性格はグレイとは違っていたが、まるでアネットはグレイが帰ってきたような感覚をぬぐうことはできなかった。
その度に、彼はグレイとは違う。そう自分に言い聞かせた。
いつの間にかアネットの手が彼の頬に触れていた。
「アタシ、何してるんだろう?」
何かに気付いたようにアネットはその手を離した。
グレイはもういない。そのことを自分に言い聞かせた。
そして、別のことに思考を向けた。
「弥生さんにいいすぎちゃったのかな・・・」
アネットはスレインが病室に運び込まれた後の弥生との会話を思い出した。彼女がスパイに止めを刺さなかったことを考え付く限りの言葉で非難した。
それは、今考えれば言い過ぎだったかもしれない。
「・・・謝らなきゃ・・・・明日。」
そう呟いた時、アネットは何かが動いたことを感じ、その方向に顔を向けた。
「アネット・・・・」
そこには、ベットから身を起き上がらせたスレインがいた。普段はあまり見せない、驚いた表情を見せながら。
アネット以外のメンバーはそれぞれ部屋に戻っていった。長い距離を歩いたせいか、ヒューイたちはベットに身を横たえると、驚くほど早く、深い眠りに落ちていった。
しかし、例外はいた。
見上げるべき月は無いけれども、灯の消えた総本山をロードの館にある小さなベランダから眺めている弥生だ。
私はどうして、彼女を討たなかったのだろう。
どうしてできなかったのだろう。
弥生は自分の手を見つめ、その問いかけを繰り返していた。その白い手は過去、幾度か朱色に染まった。仲間の、脱走した者を射たときについたものだ。
彼女は過去に何度か月の社から脱走した仲間を追跡する任務が与えられた。ロード候補にもなりうる月の精霊使いとしての資質と、リングマスターとしての高い能力がその理由だった。
仲間を射たといっても、たいていの者は攻撃すれば逃走を諦めるのが常だった。彼女はまだ、脱走者をこの手にかけたことはなかった。
月の社の手先め!!
昼間の暗殺者の言葉が蘇った。
そう、だから彼女はあの時、暗殺者に止めを刺さなかった。いつものように、脱走者が諦めると信じて。
「どうしたの弥生さん。」
「ああ、モニカちゃん。」
物思いにふけっていたせいかモニカが来ている事に気付かなかったようだ。
モニカはパジャマのままここに来ていた。自分が寝室を抜け出したことに何かの拍子に気がついたのだろう。
「すこし、風にあたろうかと思いまして・・・」
と、弥生は笑いを浮かべるが、どこか翳りのようなものも感じ取れた。
そして、ここにはあまり風は無い。そのことにあえてモニカは指摘しようとはしなかった。
「昼間のことを気にしているの」
「ええ」
「それなら気にしないほうがいわ。アネットだって気が動転していただけよ・・・・」
不器用ながらも元気付かせるような口調と顔の少女に弥生は首を振った。
アネットは気が動転していたのは事実かもしれないが、彼女の言ったことは必ずしも間違いではない。
「私はあの時、相手に・・・彼女を討たなければならなかった。彼女はプロ級の暗殺者。自分の命と引き換えに相手を屠ろうとしていた。その彼女に自分は時間を与えてしまいましたから・・・少なくてももう少し用心するべきでした・・・・」
彼女は続けた。
「・・・この後、彼女のような月の精霊使いが現れれば、私は同じことをしてしまうかもしれない。」
そう、シモーヌと再び対峙したときに、同じことが起きないとも限らない。今回はスレインは助かったが、次回はその保障はない。
「弥生・・・・」
「もう、同じことはしません。皆さんを危険にさらすことはできませんから。」
心の中で同じ事を繰り返す。
そんな様子の弥生を見てモニカは申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい・・なんだか余計に・・・」
「いいのよ」
弥生は笑った。
「さあ、もう寝ましょう?今日はいろいろなことがありましたから」と、彼女が言いかけたとき、ベランダに新しい人影が入ってきた。
「こんばんは。」
リュフィーだった。彼女の後ろにエーリックが控えている。
彼女は弥生のほうに進み出ると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。貴方やロード様がいなかったなら、私は死んでいたでしょう。・・・本当にありがとうございました。」
「いえ・・・」
「貴方はいつもこちらに来られるのですか?」
「ええ、ここから総本山の様子を見るのが私の日課でしたから・・・今はそうそうここにもこれないのですが・・・」
リュフィーはベランダに寄りかかり下の様子を眺める。だが、その足元は頼りない。
彼女は相当、疲労していることが弥生には分かった。それは明らかに精霊の力を使いすぎている証拠だった。
リュフィーは弥生たちに背を向けたまま話しかけてきた。
「弥生さん・・・貴方にお話したいことがあるのです。出来れば2人きりでお話したいのですが・・」
突然の申し出に弥生はモニカと顔を見合わせたが、モニカは頷くとベランダの外へと出て行った。
そして、エーリックも恭しく一礼するとベランダから出て行った。
ベランダにいるのは2人きり。
こういう場合において普通の会話というのはありえないだろう。一人はダークロードの代理であり、もう一人は月の精霊使いそれも月の社の幹部クラスの人間なのだから。
リュフィーはいつもとさして変わらない柔らかい口調で用件を切り出した。
「あなたに、ロード様の記憶・・・ロードだったころの記憶を蘇らせてほしいのです。」
「え?」
それを言われた弥生は驚いた。憑依した魂の過去の記憶を蘇らせるなど前例が無い。少なくとも自分にその力はない。
もし可能なのであっても、それを行うのはスレインにとって余りにも危険だ。
弥生はリュフィーに前半の部分を指摘すると、彼女は違うのです。と言った。
口調は柔らかいままだが、声は真剣だった。
「確かに、あなた一人では不可能でしょう。しかし、我々、闇の精霊使いの助けがあれば可能なのではありませんか?」
まず、眠っているロードの魂を呼び起こし、その瞬間にその記憶を蘇らせる。
「蘇らせる記憶は闇の精霊使いとしての技術、技能の部分のみ、記憶が蘇るのは一時的でもかまいません。」
「確かにそれは可能かもしれません。」
魂の専門家である闇の精霊使いと記憶の専門家である月の精霊使いこの両者がうまく同調すれば、スレインの記憶を呼び戻すことは不可能ではない。
ですが、と弥生は続けた。声に普段は見せない厳しいものを混ぜながら。
「あなたは・・・それを本気で言っているのですか?」
余りにも乱暴すぎる。
「スレインさんの体には彼の魂とグレイさんの魂・・・それが微妙なバランスで共存しているのですよ・・・たとえ、一時的にでも一方の魂を強引に変化させるのは危険すぎますわ。彼はそのままにしておくべきです。」
何度か、スレインの気を鎮める為に月の力を使った弥生はそこのこを痛いほど知っていた。
「確かに、その通りです。」
リュフィーは相手の言い分を認めた。
だが、彼女は自分の申し出を引っ込めるつもりはなかった。
「私達はそれをお願いしたいのです。この総本山を守るために・・・シオンの企みを阻むために。」
「どういうことでしょう?」
「まだ、この付近にシオンの勢力が残っているのはご存知ですね。実は彼等が拠点にしている場所に闇の宝珠が運ばれたという連絡が入ったのです。」
「闇の宝珠ですか・・・・それでは、亡者を兵士に」
闇の宝珠という言葉は弥生にも聞き覚えがあった。シモーヌがそれを使い過去の英霊達をよみがえらせて、帝都を襲わせたということを彼女は知っていた。
「そうです。彼等は闇の宝珠を使って亡者を復活させ、こちらに攻めてくるつもりでしょう。」
弥生はリュフィーを見た。
彼女にはリュフィーの言うことの意味が分かっていた。
確かに総本山が本気を出せば、たとえ、亡者を加えたとしてもシオンの攻撃を撃退することは可能だろう。しかし、多くの犠牲者を出すのは確実だ。犠牲になるのは精霊使い。それは魂を冥界に送るという闇の総本山の機能がより損なわれることを意味する。
シオンにとってこの攻撃は別に成功する必要は無く、たとえ敗れても総本山の人間を多く殺すことが出来ればそれで目的は達せられる。5万を魂を集めるのまでの時間稼ぎになるからだ。
リュフィーは続けた
「闇の宝珠をそのように使うには強力な闇の力、おそらくシオンがその力を宝珠に送り込むでしょう。用心深い彼のこと直接現地からではなく本拠地から力を送り込むでしょう。ロード様には力を取り戻して、この闇の力を断ち切って頂きたいのです。」
「そのために、スレインさんの記憶を蘇らせると・・・?」
「そうです。」
「それならば、彼に精霊使いとしての修行をさせるのが一番です。その方法なら、衝撃は少なくて住むはずですわ。」
彼はもともとの体ではありませんが、ロードとしての能力も残しています。もとの人間の資質では無理だが、彼なら普通の修行で精霊使いになれるはず・・・。と、弥生は言い募ったが、リュフィーはそれに首を縦には振らなかった。
「シオンが待ってくれるならその方法もいいでしょう。ですが、彼はいつ闇の宝珠を使うか分からないのです。貴方もそれは知っているでしょう。」
「・・・・・・・・・・・・」
弥生は押し黙った。
ロードであるシオンの闇の力を断ち切る。それにはまず、ロードクラスの闇の力が必要なのだ。それ以前にまだ、この闇の総本山の一帯は闇の力が不安定な状況にある。この状況下で力を使えるのはやはりロードクラスの力を持つものに限られる。
そして、これが出来るのは今の総本山には一人もいない。
ただ一人、ロードとしての力を取り戻したスレインを除いては。
目の前にいるリュフィーにはそれは出来ない。彼女は隠しているが、その体は相当衰弱している。世界の魂を正しい輪廻に導くため、そしていつあるかもしれないシオンの攻撃に備えてリュフィーはその闇の精霊力を酷使し続けたのだろう。
そして、シオンがこの手段を使うとすれば、時間的な余裕は無い。従って悠長に修行している時間は無い。
精霊使いである弥生はそのことを理解している。この総本山を守らなければならないことも。
だが、スレインを危険にさらすことに強い拒否の感情が働いていた。
かつて、自分が彼の記憶をとりも戻そうと力を使った。そのことがかえって彼の魂の状態を不安定にさせ、彼を追い詰めた。
それを繰り返したくは無い。
まして、今回のそれは下手をすればスレインの死さえありえるのだから。
苦しい沈黙の後、弥生は言った。
「リュフィー様。そのお話はスレインさんからお話されることですわ。・・・この方法はまず、彼の意思が問題になりますから。」
その通りだった。
この術はそれを施されるスレインに最大の忍耐を要求する。彼自身がその術を拒否している状態では成功するわけが無い。
「分かっています。」
リュフィーは頷いた。
「私は、明日ロード様にこのことをお願いするつもりでいます。ロード様が同意されたら・・・貴方にお願いしたいのです。貴方であればロード様も気を許しておられるでしょうから。」
「・・・・わかりました・・・・」
搾り出すような声で弥生は答え、視線を下に落とす。
「・・・すみません。貴方に嫌な役をお願いしてしまって・・・」
その様子を見て、リィフィーは声を落とした。
「ですが、これだけは分かってください。私も、このような方法は望んでいるわけではありません。ロード様の生前私もお傍におりましたから、あの方が居なくなることを望んではいないのです。私も、アリンもイーレンも・・・・・しかし、これ以外の方法は・・・」
「リュフィー様」
「・・・・話はここまでです。今日はもうお休みください。」
リュフィーはそう言うと、ベランダを後にした。一人残された弥生は暫く、まだ呆然とした様子でそこに立っていた。
だが、そうしていても、どうにかなるものでもない。弥生は自分の部屋に戻ることにした。今夜はもしかしたら眠れないかもしれないけれど。
闇の妖精に話しかけられたのはそんなことを弥生が考えている時だった。
「弥生さ〜ん」
「ラミィちゃん」
どうしたのだろう?彼女はいつもスレインと一緒にいるはずなのに。
アネットはスレインの様子がおかしいことに気がついていた。
いつくかの、話題を振ってみたが、スレインから返ってくる答えは、時折支離滅裂なものになるのだった。話がかみ合わなくなる。その度にスレインはあせったような表情を見せていた。
物言いもいままでのスレインに比べると少しぶっきらぼうなものの言い方だった。
そして、まだスレインは知らないはずのことを知っている。
それはアネットに次のような感想を抱かせずにはいられなかった。
グレイと話しているみたい・・・・
アネットは昼間の話を思い出した。
シオンに敗れたダークロードが誰かに憑依していまのスレインがいる。
もしかしたら、その誰かといのはグレイかもしれない。
そこまで考えたアネットだったが、それを信じようとはしなかった。どう考えても、それは自分に都合のいい作り話でしかないように思えたからだ。
グレイは多分死んでしまった。
母が死んでしまった日の翌日、町の誰にも何も言わずにグレイは姿を消していた。
1年、2年、3年
子供が一人で生きていくにはあまりに長すぎる時間だ。
年月だけが過ぎたが、彼はついに戻ってこなかった。
そして、これからも。
それが受け入れ切れていない自分がそこにはいるだけ。彼女はそう言い聞かせてきた。
「どうした?アネット」
突然無口になったアネットの顔をスレインが覗き込んだ。
「何か変なものでも食べたんじゃないのか」
「そんなんじゃないわよ。」
「疲れてるなら、寝たほうがいいぞ。その、俺はもう大丈夫だから」
「・・・うん、分かった。どうやら、アンタは大丈夫そうだしね。」
アネットは立ち上がると、ドアノブに手をかけた。
「おやすみ、」
そこまでは、出来ていた。
しかし、廊下に出ようとした時アネットの中にこれでいいのだろうかという思いがこみ上げてきた。
自分の妄想かもしれない。
それでも、確かめたい。
彼は本当にグレイではないのかということを。
彼女は振り返り言った。
「ちゃんと、明日起きるのよ。グレイ。」
「ああ、分かってるよアネット。」
あまりに自然にスレインは答えた。
アネットの視線に気付いた彼の表情はまるで母親に悪戯がバレた子供のような顔だった。
(つづく)
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