20      The Snow War 最終章
 
 
◆ 学舎の平和 ◆
 
 
 バーンシュタイン王都は、未曾有の寒さから身を守るため、薪の需要が増していた。大量の薪を買い込んで人々は自分の家に急いだ。
 そういうわけで、この王都の通りに建てられている小さな家にも薪が大量に並べれていた。すでに、陽はかげり、寒さが強くなってきたので暖炉には火が入れられ、暖かな光が寒さを和らげていた。王都の他の家でもここと変わらない室内風景が見られるに違いない。
 だが、この家の事情は他の家とは違っていた。張り詰めたような緊張感が漂っている。
「時空制御塔の戦いで我が軍が勝利を?」
 密かにバーンシュタインとの交渉のために王都を訪れていた傭兵国外相サイモンの滞在先だったからだ。
 彼は腹心数名と共に新たにもたらされた戦闘経過についての報告に聞き入っていた。
「2週間前のことです。我が軍は時空制御塔周辺のマクシミリアン軍を撃破、言霊の面の破壊に成功しました。」
 報告は続いている。
「人的被害は200を超えずに済みましたが、グスタフ2台が完全に破壊され、残り一台も中破の損害を受けています。」
「その後は・・・確か、時空制御塔にはアーネスト軍が向かっていたと聞いていたが・・・」
「それについては、問題ありませんでした。」
 報告者の顔に喜色が浮かんだ。
 話が進むに連れて、それは周りにいる人々にも伝染していた。
 それは、ほぼ完全な勝利の報告であったからだ。
 時空制御塔陥落後、アーネスト軍はウェインに敗れて敗走中のマクシミリアン軍との戦闘、又は、降伏に伴う、捕虜後送に忙殺され、進撃は全くはかどらなくなった。
 それに目をつけたウェイン達は軍をそのまま占領されているクレイン村に向け進撃。
 同所にいたバーンシュタイン守備隊は攻撃を予期していなかったため、奇襲が達成された。さらに、走行機能を回復したグスタフが先頭に立った。攻撃機能はほとんど失われていたが、その威圧効果は圧倒的であった。
 大損害を受けたバーンシュタイン守備隊は後退し、傭兵国軍はクレイン村の一歩手前にまで戦線を押し返したのであった。
「そうか、交渉がやりやすくなるな・・・」
 交渉をするなら連敗の状態でするよりも、何度かの勝利を得ていたほうが良い。
 しかし、サイモンは思っていた。
 これは一時的な勝利でしかないと。
 ジュリア軍は既に、オスカー率いる第2軍団と合流し、主戦線には2万以上の兵力を集中している。これに対して、傭兵国側は1万を割り込む数で、グスタフがいなければ、戦線維持も困難な状態だ。
 エリオット王は開戦後すぐさまに新規兵員の募集を行い、それが雪解けと共に、戦線に出てくる可能性が高い。その数は1万に及ぶといわれている。
 そうなれば、我にグスタフありといえども戦線の維持は困難になり、ますます国内に侵攻されてしまう。
 それは、ここにいるスタッフ全員の共通認識でもあった。
 サイモンの秘書が言った。
「今、季節は厳冬期です。戦闘の可能性が低いのはこちらとしては、有難いところですな。」
 サイモンは頷いた。
「ああ、この間に講和に持ち込むしかない。・・・ところで、ローランディアからは何と言ってきている?」
「マーティン大使からの報告では、巨大鎧兵グスタフを含めた鎧兵の技術供与及び国境の一部、旧ラージン砦周辺を割譲すれば、傭兵国側に立って参戦すると言ってきています。」
「・・・・・・」
 その答えを聞いて、部屋にいる者は顔を曇らせた。確かにローランディアが参戦すれば、バーンシュタインに勝てるだろう。しかし、あまりにリスクが高い。
 スタッフの感情をサイモンの腹心フランクリンが代弁した。
「勝手なことを・・・ローランディアとて我々傭兵国を快く思っていません。そんな国に虎の子の技術を渡すなど・・・」
 傭兵国は他国と異なり「民主主義」を標榜している。それは王や貴族の政治とは異なり、人徳に満ちた最高の政体であると傭兵国は主張した。そして、バーンシュタインに対し、そのような政体を選ぶことをはたきかけた。その支持者に対して軍資金を与え、クーデターを起こさせようとしたこともあった。
 そのような国家を王政国家が良く思うはずも無い。自分に向かって「お前達の国の政治体制を破壊してやる」と嘯く隣人に良い顔などできるものか。
 このような傭兵国にとって鎧兵は国の独立を保障する最後の砦なのだ。他の国々はこの兵器を保有していないからこそ、圧倒的なアドバンテージを得られる。
 しかし、一旦その技術が知られてしまえば、それは崩れてしまう。
 それに、バーンシュタインとの戦いの過程で領内に入ってくるローランディア軍が何かの名目をつけて戦後も領内に駐留するということになっては困るのだ。
 しかし
「皆が思っているのように、危険が伏在しているのは分かっている。だが、何にしても時空制御塔で勝利を得て、なおかつ、ローランディアからも援助の可能性が生まれたことは決してマイナスではない。」
 この2つを材料になんとか和平を成立させたい。独立を守るにはそれに賭ける以外方法は無かった。だた、国土の2割から3割を占領されている状態だから厳しい条件を出されるのは予想できた。
 その時、誰かがドアを叩いた。
 そういえば、話の途中で玄関の鐘が鳴っていた。誰かが、来たのだろうか?
「サイモン様!!」
「どうした、ゲクラン。血相を変えて・・・」
 普段は情報収集の任につき冷静な男であるゲクランだったが、それが吹き飛んでいる。
「そ・・・それが・・・バーンシュタイン王・・・」
 ゲクランの後ろから誰かが言った。
「傭兵国のサイモン外相ですね。」
 サイモン達は思わず立ち上がった。
「貴方は・・・!!」
 ゲクランの後ろにいたのはバーンシュタイン国王エリオットその人だったからだ。外務大臣ティベリウスもいる。
 唖然としているサイモン達を他所にエリオットは部屋へと足を踏み入れ、サイモン達に近づいていった。
 何故、ここが分かったのか?何故王自らここに来たのか?
 疑問と不安がサイモンたちの心を満たしていたが、漸く自分の口にすべき質問をサイモンは言った。
 極力、感情を表に出さないように言ったのだが、少し緊張気味になったのは仕方あるまい。
「エリオット王。今日は一体どのような御用でしょうか?」
 一体何を考えているのか・・・
 サイモンはエリオットの言葉を待った。
「貴国に休戦を申し入れたいのです。」
「休戦ですか?」
 休戦という言葉を聞いた瞬間サイモン達の間にさわめきが広がった。
「そうです。」
 と、バーンシュタイン王は答えた。
 本気だろうか?
 ともかく、話を聞くしかない。
 サイモンはエリオットとティベリウスに席を勧めた。
 
 
 それが、傭兵国とバーンシュタインの間に和平の兆しが現れた瞬間であった。
 この後、両国の講和会議がバーンシュタインにも傭兵国にも、そしてローランディアにも属していない魔法学院で開かれることになった。
 この交渉に臨んだのはエリオットとウェイン。2国の元首が直接相対して交渉を行った。
 交渉は2週間に渡って続けられた。そして、ウェインはホッとした思いで魔法学院の一室の椅子に腰を下ろしていた。隣にはエリオットが座り、2人の前には大きな机があった。
 その前には同じ様式の紙が置いてあった。
 それは、バーンシュタインと傭兵国との間で締結された講和条約の条約文だった。
 交渉は妥結したのだ。
 しかし、交渉は多難であった。
 最初のバーンシュタイン側の要求は傭兵国にとって厳しい内容だった。
 シュワルツハルズ村、クレイン村の割譲。賠償金3億エルムの支払い。軍備の制限。
 それは、傭兵国にとっては国土の3分の1と穀倉地帯の半分の喪失を意味した。
 これは、とても受け入れられるものではなかった。
 ヴェルシクリウスばかりでなくウェインもこの条件での講和には反対だった。
 彼等は反論した。
 いまだに我が軍は巨大鎧兵グスタフを始め軍隊は健在であり、決して敗北したわけではない。それに、我が軍はクレイン村に迫っている。
 我々は戦いに敗北したわけではない。従ってこのような過酷な条件で講和は出来ないと弁じたてた。
 しかし、バーンシュタイン側も負けてはいない。すでに、傭兵国の半分近くの土地を占領し、大損害を傭兵国軍に与えていることを強調した。
 熾烈な論戦が続けられ、一時はバーンシュタイン側から会議の打ち切りの宣告まで出されたが、最後の交渉でバーンシュタインは領土割譲と賠償金の要求を撤回した。
 それは、傭兵国側は驚きと歓喜をもって迎えれた。ウェイン達はその条件に同意した。
 交渉のことを思い出しながらウェインは条約文に目を通す。
「天上の神々の名の下に、全ての人々に知らしむべし。
バーンシュタイン王国国王にして、最も尊厳ある君主エリオット1世・バーンシュタイン陛下及び偉大なる傭兵国執政委員長ウェイン・クルーズ閣下は大陸を覆っていた悲しむべき戦争を終結せんと欲し魔法学院において直接交渉を行なった。交渉の結果、双方は完全なる合意に達し本条約を締結した。
その内容は下記のとおりである。」と、始まる条約は主に、国境を戦前の状態で固定すること、非武装地帯を設定すること、独立戦争講和時にバーンシュタインに課せられた賠償金支払いの無効化、傭兵国の軍備制限、などを約定していた。
 ウェインは自分が愛用していた古いペンで自分の名前を紙に書き記し、傭兵国執政委員長の印を押印する。隣では、エリオットが同じように署名と国王印の押印を済ませていた。それが終わると互いの条約文を交換して再び署名、押印を行う。
 エリオットが立ち上がり、握手を求めた。 ウェインはそれに応じた。
 その部屋に集まっていた両国の高官達やブラッドレー学院長をはじめ魔法学院のスタッフ達から割れんばかりの拍手が起こった。
 両国間の戦争は終わったのだ。
 
 
 記念の式典の後、その日の夜に魔法学院では祝宴が持たれていた。
 エリオット王、それに、ウェインを上座にすえ、両国の高官が机を並べて平和の到来を祝した。
 が、敗者はやはり、傭兵国で戦勝国はバーンシュタインであった。そのような宴があまり楽しく出来ないものになったのは仕方のないことであった。しかし、魔法学園やローランディアからも高官が招かれていたので、彼等はあまりそうした影響を受けていなかった。
 その祝宴も程なく終わった。
 ウェインは一通り、挨拶を済ませるとテラスのほうに足を向けた。少し涼みたかった。
「はあ・・・漸く終わったな・・・・」
 と、深呼吸する。
 交渉は胃が痛くなることもしばしばであったし、こういった仰々しい式典になれていなかった。服装は彼からすると余りにも仰々しいものであった。
 久しぶりにリラックスしているウェインだったが、不意に後ろから声をかけられた。
「また会ったな、ウェイン。」
 カーマインだった。ウェインは姿勢を正して、彼に向き直っていた。
「カーマ・・・・いえ、アルフレッド師団長。」
「おいおい、そんなにしゃっちょこばるなよ。」
 と、カーマインは苦笑した。それを見て、ウェインも表情を崩す。
「はは、そうですね。」
「戦いのときにまた、会うと思ったが・・・どうやら違ったようだな。」
 カーマインの服装は時空制御塔で会った時とは違い、貴族の礼服のような出で立ちであった。
 彼は、ウェインの隣に行くと、空を見上げた。
「綺麗な月だな・・・・」
「そうですね。」
「こんな、月夜のもとで、もう一度戦いが起こると思うかい?」
 唐突なカーマインの質問に、ウェインはかすかに頷いた。
「未来の事はわからないけど・・・」
 領土割譲と賠償金支払い、これだけは傭兵国は応じるわけにはいかなかった。バーンシュタインが割譲を主張したのは傭兵国の穀倉地帯であり、さらに、戦争で疲弊した財政に賠償金の負担は重過ぎる。
 だが、この条項を勝ち取るために、譲歩も必要だった。傭兵国軍の軍備の制限がそれだ。
 これは特に、巨大鎧兵「グスタフ」を対象にしたものだった。現在の残存している3台のうち、1台を破棄し、2台のみの保有を認められたが、新規の発掘も禁止である。
 また、強硬派でさえも諦めていたことではあったが、バーンシュタインからの独立戦争講和条約による賠償金の支払停止は、傭兵国にとって打撃だった。農業以外とりたてて無かった産業を興すのに賠償金は重要な資産だった。それが停止されるとなると、傭兵国の今後は混沌としたものになる。もしかしたら、他国の富を求めて、再び戦争に訴えざるを得ないかもしれない。
 ・・・むしろ、これからのほうが大変だな・・・と、ウェインは思っていた。
 また、バーンシュタインと傭兵国だけではなく、南の大国ランザックが無政府状態なのは大きな懸念であった。
 何かのミスと行き違いが重なれば、再度の大戦争が予想できた。
「でも、俺は自分の大切な人を守ることにします。」
「俺もだ。」
 しかし
「戦争を避けることは最大限考えます・・・そうでないと、友達に笑われますから。」
「それは、この前時空制御塔で戦った男のことか?」
 意外そうな声でウェインは言った。マクシミリアンのことを知っていたのだろうか?
「・・・はい、」
 マクシミリアンに、そして、アリエータにもウェインは言った。「時空制御塔に頼らなくても、平和な世界を作って見せる・・」と。それを嘘にしてはいけない。それが、愛する人とあの愚行を犯した親友に対して自分だけができる仕事であるのだから。
「戦争の無い世の中か・・・果ての無い夢だ。」
「俺はそこまでのことはできないでしょう。でも、なるべく長く続く平和な世界を作るつもりです。」
 カーマインは言った。
「同感だ。この平和が少しでも長く続くように俺も努力するよ。」
 戦後が重要であるのは勝者も敗者も変わりは無かった。これまでの戦争がそうであったように。
「じゃあ、もう戦場で会うことはないでしょう?」
「それは、余りに楽観的だな。」
 至極当たり前なカーマインの返答にやや、間を空けてウェインは言った。
「リビエラやシャロに宜しくお願いします。」
「ウェイン、2人は個人的には君を嫌ってはいないだろう。君が裏切ったことはつかえているようだが・・・いつか昔話を笑って話せるようになるさ。・・・君が親友との約束を果たした時にだ。」
「・・・・ありがとうございます。」
ところで・・・と、ウェインはやや口調を変えて言った。
「カーマインさんいいんですか?ジュリアさんを放っておいて?」
「・・・・それを君に言われる筋合いは無い。さっさと帰って青髪のグローシアンを安心させてやることだ。」
 気にしているところをつかれてウェインは黙り込んでしまった。時空制御塔の戦いのあと、あの砦にはもどっていない。アリエータはどうしているだろうか?治療後は順調な経過だということだけど。
 その時、カーマインは何かを気付いたように別の方向に顔を向けた。そして、ウェインに向き直る
「では、失礼する。・・・まあ、その心配事はあまり気にしなくても良いようだ。」
 ウェインはその意味を掴みかねているようだったが、カーマインは礼をして、再び身を翻した。
 それと入れ替わるように、ゼノスが入ってきた。
「ウェイン、ここにいたのか?」
「すいません、少し疲れたみたいで・・・」
「じゃあ、丁度良かった。」
 不思議そうな表情のウェインを他所にゼノスは後ろに隠れていた人物を前に出した。
「ウェイン。」
「・・・・!アリエータ・・・!」
 アリエータだった。
 彼女は何か喋ろうとしていたが、ウェインが言い出すのが早かった。
「大丈夫なのか?体は?テレポートなんか使って・・・平気なのか?」
 その早口に圧倒されていたアリエータだったが、すぐにいつもの余裕を取り戻して、答えた。
「ウェイン、大丈夫よ。先生ももう大丈夫だって・・・」
 ウェインはゼノスを見返すと、彼は頷いてそれに答えていた。
「そうか・・・よかった。」
「ごめんなさい、びっくりさせちゃったみたいね。」
 と、アリエータは笑った。
「・・・・ウェインも、大丈夫そうね。」
 そういう、彼女のはウェインに気を使っているようだった。おそらく、マクシミリアンとの戦いでウェインが精神的に傷を負っていることを知っているのだろう。その話題には触れなかった。
「ああ、君との約束、守ったよ。」
 そんな、2人を見ていたゼノスは言った。
「おい、ウェイン。そろそろ言ったらどうなんだ?日ごろからいっていることを。」
「ゼノスさん!・・・・それは!」
「そうか?そろそろ一段落ついたところじゃないか?」
「何時もウェインが言っていること?何ですか?」
 無邪気な顔でアリエータが尋ねてくる。
 それを見て、ウェインはますます弱ったような表情を見せる。ゼノスの姿を探そうとしたが、彼の姿はそこには無かった。
 ・・・・そろそろ、言わないといけないな・・・
「アリエータ。」
「はい?」
 ウェインは息を吸い込むと一気に言った。
「・・・・この戦争の後始末がある程度終わったら・・・結婚しよう。」
 アリエータはウェインを見つめたまま、何も言わない。表情は驚いているというよりも呆然としたような顔だった。
 ウェインはそのまま返事を待った。
 答えは決まっていたのかもしれない。
 だが、黙っていた時間はもしかしたら、長かったのかもしれない。
 その静かな時間をアリエータは次のような言葉で破った。
「はい、よろこんで。」
 
 ウェイン達の様子を見ることも無くカーマインは行くべき場所に向かっていた。
 それは、国王に用意された部屋でも、パーティー会場でもなく、王の部屋の直ぐ傍にある、小さな部屋だった。
 カーマインは音を立てないように静かにドアを開ける。部屋は一部を除いて暗くなっていた。光がともっているのは部屋の中央にある机の上で、そのすぐそばに、ソファーに誰かが横になっていた。
 ジュリア・ダグラスだった。
 すでに式典用のドレスではなく、平服に着替え、毛布に包まっていた。普段ではあまり見ることのない光景だった。
「全く、灯りぐらい消せよ。」
 と、カーマインは独り言を言いながら机にあるランプに手を伸ばした。
 光に照らされたジュリアの顔は疲労の色が濃い。彼女はこの講和に際して東奔西走した。講和条約に不満を持つ軍部の一派を鎮めたのは、彼女の努力によるところが大きい。
 もしも、あのまま戦いが続いていればローランディアが介入してきたに違いない。
そして、ローランディアがどちらに立って介入してもバーンシュタインにとっては由々しき事態になっていた可能性が高い。
 傭兵国側に立って介入があれば、バーンシュタインが負けていただろう。
 また、反対に味方になっても彼等は傭兵国の本拠地に近い場所に国境を持ち、それを迅速に占領、鎧兵の技術を得ることが可能だろう。そうなれば、傭兵国滅亡後、2度の戦争で疲弊したバーンシュタインは大陸屈指の陸上兵力に鎧兵まで加わったローランディア軍と対峙する事になる。カウンターバランスとしてのランザックはあまりにも弱い。
 その状況は、好戦的なコーネリウス王の目にはバーンシュタイン撃滅の好機と映るかもしれない。
 その恐れによってエリオットは講和を決心した。ジュリアもそしてカーマインもその考えに賛同した。
 勝った国の軍隊や国民を敵から多くを奪わない講和条件で納得させるのは、敗北して厳しい条件を受け入れる場合よりも難しい。
 特に、傭兵国独立戦争で、傭兵国領土とされた地域から逃げてきた人々にそれを納得させるのはさらに難しかった。彼等にとってこの戦争は失われた故郷を回復するための戦争であったからだ。
 しかし、彼等にとって説得に来たジュリアは恩人でもあった。ジュリアが北方開拓に乗り出したのは土地を失った彼等に仕事と家を与えるためでもあったからだ。説得が成功したのもこの人選のおかげだろう。
 しかし、彼女に迷いが全く無かったわけではない。
「でも、前の戦争で死んだ者は今回の講和をどう思っているでしょうか・・・」
 ジュリアは時々そんなことを言った。彼女は傭兵国独立戦争時に多くの部下をなくしていた。
 そんな時にカーマインはこう答えていた。
「分からないな、それは。怒る奴もいるし、良かったと思う奴もいるだろう。」
 そして
「それは、俺やジュリアが死んで彼等に会うときにならなければ分からないさ。その時、祝福されても、罵倒されても、俺は君と共にいる。・・・それだけは、約束する。」
 カーマインは彼女の乱れていた髪を整えた。
 この大陸は未だに不安定なままだ。もうしばらく、ジュリアの剣が必要になる時代が続くだろう。
 あまり、嬉しい話じゃないな・・・
 だが、とカーマインは思い直した。
 2年前、国を捨てた時、俺は決めたんだ。ジュリアを守り、どんな時でも彼女と共にいると。
 だから、彼は感謝した。
 今、彼女が生きていることに。
 
 雪が降る中で行われた戦争。
 そして、雪が降っている間に講和が決まった戦争。
 2つの意味から雪戦争と呼ばれるこの戦争は終わりを告げた。
 戦争による死者はバーンシュタイン・傭兵国を併せて4万を超えた。
 
 
 
 傭兵国とバーンシュタインの講和から2年半が過ぎた。
 木陰に座ると、木の葉の隙間から陽光がこぼれ、心地よい風が感じられた。
 季節は春。そろそろ夏が近づいてくる時期に入っていた。
「今日はいい日だな・・・風がとても気持ちいい。」
 ウェインの言葉にアリエータは頷いた。
「そうですね。良く晴れたわね。」
 アリエータはウェインに水筒を差し出した。少し喉が渇いていたウェインはそれを受け取った。
「ありがとうと。」
 水を飲み、喉を潤す。
 戦争が終わってからウェインには大きな変化があった。膨大な量の仕事に忙殺されアリエータと一緒に休める日もそれほど多くはない。
 だが、一番の変化はそれとは別の事柄だった。それは、ウェインのすぐ傍で小さな寝息をたてていた。
「大きくなったな。」
 ウェインはアリエータの膝で眠っている子供の頭に手を当てた。
「ええ、今日はよく歩き回ったから疲れたのかもね。」
「そうだな。」
 ウェインは指で子供の髪の毛を撫でた。
紙の色は青く、短めに切りそろえられている。
「この子の髪は君の遺伝かな?」
「そうですね。でも、気の強いところは貴方にそっくりよ。」
「そうかなあ・・・」
 夫婦は笑いながら眠っている我が子を見つめた。
 2歳になったウェインとアリエータの間に生まれた子供だった。ロバートという名前の男の子だ。
 両親の会話にロバートが反応したように体をかすかに動かしたが、それも束の間で、彼は心地よさそうに眠っている。
「静かにしていよう。」
 ウェインは小声でアリエータに言った。
 彼女は頷いて、2人は暫し無言で目の前の草原に目を向けた。
 青い空と緑の山そして、ルリハコベの花が視界一面に広がっていた。
 辺りには誰もいないはずだったが、ウェインはその中にあるものに目を止めた。
 そして、突然立ち上がった。
「どうしたの?」
「ごめん、ちょっと向こうに。」
 不思議そうな顔のアリエータに言うと、ウェインは草原に向かって走り出した。その先には一人の男性が佇んでいた。
 男性はウェインの知り合いに似ていた。もう二度と会えない筈の親友に。
 ウェインは自分が知る親友の名を呼びかけた。
 男性はそれを聞くと、ウェインに振りかえった。
「やあ、ウェイン。」
「マックス・・・」
 時空制御塔で死んだはずのマクシミリアンがそこにはいた。だが、あの時戦っていた彼とは違っているようにウェインには思えた。
 彼の気配はとても穏やかだった。彼は言霊の面に魅入られたような瞳ではなく、士官学校時代の時と同じ澄んだ目でウェインを見つめていた。
「ここにいれば、会える気がしてね。」
「生きていたのか・・・・」
「ああ・・・落ちたところが大きな池でね。なんとか、一命を取り留めた。・・そこで助けられたんだ。」
 戦災孤児たちさ。親を戦争で失った子供達が暮らしていたんだ。彼等は相手が敵国の人間であることを知っていた。それでも、彼等は協力し合って暮らしていた。
「案外、子供のほうが大人と違って変なこ拘りがない分、大きな視野を持てるのかもしれないね。」
 そして
「僕も視野の狭い人間だったんだ。」
 僕は平和という言葉に魅入られすぎていた。だから争いばかり続けている人間を信じられなくなった。
「自分もそんな人間の一人に過ぎない・・・そんな簡単なことも忘れてね。」
 マクシミリアンは自嘲的に笑った。
「マックス・・・」
「人が人であってこそ平和は初めて価値を持つ・・・。君が言っていて事は確かに正しい。そして、私のがしたことは間違いだった。」
 それだけ言うとふいにマクシミリアンはウェインに背を向けた。
「これからどうすつもりなんだ?」
 ウェインの問いかけにマクシミリアンは振り向かずに答えた。
「僕は旅に出る。この世界を本当に平和な場所にするために何をなすべきなのか、そして、何が出来るのかを知るために。」
 2人の間に沈黙が落ちた。
「・・・捕まえないのか?」
 マクシミリアンの問いが沈黙を破った。
 ウェインにとって彼は決して昔の親友というだけの存在ではない。戦場の仇敵でもあった。傭兵国の捕虜は彼のために不当な扱いを受けた。アリエータや他の捕虜達も死者こそ出なかったが深刻な病状のものも多い。
 しかし、ウェインの答えは以下のようなものだった。
「俺は誰も見ていない。この草原には俺と家族以外は誰もいない。」
「済まない。」
 その時、ウェインを呼ぶ声が聞こえてきた。
「パパ〜」
「こら、あんまり走っちゃ駄目よ。転ぶわよ。」
 よちよち歩きだけれどもその全力の速さで、こちらに向かってくるロバートとそれを心配そうに後ろから追っているアリエータが見えた。
「ほら、行ってやれよ。お父さん。」
 マクシミリアンが振り返り笑顔を見せた。
君の奥さんを酷い目に会わせた僕がこんなことを言っていいのか分からないけれど。
「結婚おめでとう。そして、済まなかった。」
「ありがとう・・・元気でな、マックス。」
「君もな。」
 ウェインは頷くと、自分の家族のいるところに駆け出していった。
「パパ・・・いつものやつ聞かせて・・・」
 いつもの?息子の指を良く見るとウェインのオカリナを指差していた。
「オカリナかい?」
「うん!」
「ああ、分かったよ。」
 ウェインはオカリナを取り出し、口につけようとした。ふと、マクシミリアンがいた方角に視線を向ける。既に彼の姿は消えていた。
 ・・・いつか、彼は帰ってきてくれるだろうか?・・・
 そんな想いが彼の胸に去来していた。
「マクシミリアンさんですか?」
 アリエータがそっとささやいた。
「気付いていたのか?」
 彼女は頷いた。
「ええ、でも、彼の気配はとても澄んでいました・・・仮面の支配から解放されたのね。」
 貴方が知っている彼に戻ったのよ。とアリエータは付け加えた。
「君にすまなかったと・・・謝っていたよ。」
「そう。」
「いつか、帰ってくる気がするんだ・・・そんな気がする。」
 それは、願望かもしれない。
 マクシミリアンはこの地で多くの罪を犯した。償いきれるものでないことは彼自身が知っているだろう。
 今度、人前で彼を目にした時にはウェインは彼を捕らえることを命じるだろう。
 それでもなお、ウェインはそう思わずにはいられなかった。
「ねえ、パパ〜はやく〜。」
 痺れを切らしたのかロバートがウェインの服を引っ張った。
「ああ、ごめん。」
 ウェインは笑顔を息子に向けるとオカリナに口を付け、息を吹き入れた。
 そして、ロバートを膝の上に座らせたアリエータがそれに合わせて歌を口ずさみ始めた。
 
 
 ああ、この歌は・・・
 マクシミリアンは風に乗って聞こえてくるオカリナと歌声に耳を傾けた。
 この歌を聴いたのは5年以上前のことだ。その時、自分はまだ士官学校の生徒でウェインとそれに、後輩のクルト・フーベルという名の少年が傍にいた。
 思えば、あの時の事件で原住生物から投げかけられた言葉。
 あの言葉を聞いたときから僕の過ちは始まっていたのかもしれない。
 人間はお互いを殺しあう卑小な存在。それを変えるには人間が一つの正しい意識を共有する以外にない。
 僕はあの原住生物の言葉からそんな教訓を引き出した。そして、人間の心を強制的に統一する方法を知った時、僕は迷わずその方法を用いて、人々の意識を一つにして、平和な世界を創ろうとした。
 それが、あの原住生物の人間への呪詛に対する正しい解答なのだと信じて。
 だが、それは間違いだった。
 その計画を実行に移せば、人間を心の無い人形にして、ひどく歪んだ世界を作り出すということを僕は余りにも軽んじすぎていた。
 ウェインとアリエータが生み出しているに違いない旋律を聴きながらマクシミリアンは思った。
 でも、平和の追求は決して不要なものではない。その追求を放棄すれば、人はいつまでも戦い続ける。
 世界を平和にする方法がきっとあるに違いない。もちろん自分はそれを見つけられないかもしれないし、それを実現できる可能性はもっと低いだろう。
 でも、自分が追求のために辿った道は誰かが継いでくれる。争いの絶えないこの世界で、平和の追及は必要なものであるのだから。
 
 雪戦争の和平締結から3年後、大陸に再び戦火が巻き起こった。ランザックを巡って行われたその戦争の後、大陸の4国バーンシュタイン王国、傭兵国、ローランディア王国、新生ランザックはコムスプリングスにて平和会議を開催した。その会議で4国はお互いのその国境と独立を尊重し、その秩序を乱す行為については一致してその排除にあたることが約された。
 このコムスプリングスで構築された体制はこの後の1世紀に渡る平和を大陸にもたらすことになった。
 
 
 
 
(おわり)
 

更新日時:
2012/07/08 

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Last updated: 2012/7/8