25      増援部隊は敵と遭遇した

  連邦議長執務室は重苦しい雰囲気の中にあった。
帝国軍の援助は最早期待できない。
情報部長が続けた。
「ジェームズ殿下の暗殺に伴い、ジェームズ派であった貴族諸侯に不穏な動きがあります。これに対抗してテオドラ派の貴族にも対抗措置を講ずるものが出てきています。」
ジェームズが死んだことでテオドラ派に報復されるのではないかと考えたジェームズ派貴族に自領の守りを固める者が続出したのだ。これに対してテオドラ派も軍備を固めるものが出てきている。要は内戦開始直前の状態に戻ってしまっていた。
 これをアグレシヴァル戦線のみの影響に限定して確認してみると、帝国軍の中にいる各貴族から派遣されていた部隊が自分の領地に帰り始めた。他国との戦争よりも自分の領地をということなのだろうが、これによって帝国軍の戦力は2万程度にまで落ち込んでしまったらしい。これでは進撃も不可能とヴィンセントは国境付近にまで軍を下げることにした。
「これは駄目だな・・・・」
 帝国の状況は処置なしだ。となれば、自国の兵力でどうにかするしかない。
「国境の状況はどうか?」
 議長が地図を見ながら尋ねた。地図には駒が置かれている。
 黒い駒はアグレシヴァル軍。白い駒がキシロニア軍。白い駒が群れている国境地帯にそれ以上の数の黒い駒が殺到していた。そして、その国境地帯のやや後方に白い駒がある。予備部隊だ。アグレシヴル軍の兵力は3万程度と見積もられた。これに対して連邦は帝国軍ケネス准将の援軍を入れて2万5千。数の上ではなんとか互角の勝負ができることになるが、問題は連邦の兵力が分散していたことだ。
 国境防衛ラインにいるのは主力の2万。後方の予備隊はかなりの距離がある。
「はっ、味方は第1防衛ラインが一部で突破されたため、第2防衛ラインまで後退しました。」
 防衛ラインは繋がっているから意味がある。一部が突破されて、大半は健在でも突破されればあまり意味はない。
「今の段階で後退すれば、防衛密度も上がるか・・・」
「はい。」
「そこに、予備隊を逐次投入している状態・・・ですか。」
 頼みの予備隊だが、質的には問題を抱えていた彼らはなんとはなれば二線級の部隊だったからだ。各村の警備隊を根こそぎ戦場に引っ張っていくという者なのだから練度にばらつきがるのは仕方がない。さらに各地に分散していたため、ひと塊で投入するのではなく、近隣の部隊が集まり、準備のできた隊から泥縄的に投入されていた。
「首都近傍の予備隊はどのあたりか?」
「はい北部の町マルメまで進んでいます。一番早い隊は国境まで1日で到達できます。」
「そうか・・・」
 議長は娘のいる増援部隊の駒を見つめた。
「ご心配ですか?」
「まあ、そうだな。だが、同時に大丈夫かもとも思っているのだよ。」
「あの若者のことをよほど勝っておいでのようですな。」
「根拠はないがな。・・・ともかく、防衛ラインを守らなくては。」
 防衛ラインが健在なら防衛施設によって数や練度の差はかろうじてカバーできるはずだ。ただ、その場合でも問題があった。武器の補充が連邦は少ないということだった。また、魔法使い、とりわけヒーラーが少ないということも不安要素だった。要するに長期戦、消耗戦になると体力が続かないということだった。
 その時、執務室の扉が慌ただしくノックされた。
 係官がドアを開けると、連邦軍の連絡将校が息を荒げながら入ってきた。
 ただならぬ状態に全員が緊張した。そして、彼の報告は連邦に激震をもたらした。

 オウル村。連邦北部の村は静まり返っていた。外敵の侵入に怯え家に籠っている処もあれば、荷物をまとめて馬車に乗せともかく南に逃れようとする人々。
 連邦軍の予備隊は国境に向かって進んでいた。数は少ない。
「ここもそれなりに賑わっていたのに・・・」
 アネットは村の有様を見て素直な感想を口にした。
「うん。」
 スレインもそれには同意するしかなかった。警備隊にいた時に何度か訪れていた場所だったからだ。
「今は本当に人がいない。」
 すぐそばを南へ逃げようとする人が通る。すぐ右にいる家ではその家主が武器もって家のあらゆる窓に板を打ち付けている。
 モニカが言った。
「ここが戦場になるようなら・・・・連邦も危ういわね。」
「そうだね。ともかく早く前線に行かないと・・・」
 視界に馬車の荷台が崩れている様が目に入った。道の穴にはまってしまったのだ。
 助けようと思って近づくと、同じように思った他の警備隊の兵士が助けに入った。
 が、彼らだけでは馬車を押し出すのは困難そうだった。
「すまねえ。手伝ってくれねえか?」
 隊員の一人が頼んできた。
「わかりました」
「ええ」
 と、皆で台車を押す。さすがに8人近い人数だったので馬車を押し出すことはできた。
 馬車を押し出すと、馬車の家族が礼を述べて南に向かっていった。南の村に親戚がいて、しばらくそこに身を寄せるらしい。
隊員の一人がスレインの階級に気付いたのか、やや緊張した様子で言った。
「すみません、助かりました。」
 他の隊員も気づいたのか妙に神妙な態度になった。
「自分たちも、まだ訓練中なものでどうも済みませんでした。」
「いやいいよ。」
 警備隊になって1年近くになるが、どうも偉い人扱いされるのは慣れていない。苦笑しながらスレインは尋ねた。
「ところで君たちの隊は?」
「は・・・はい!第44小隊です。」
 その小隊名にスレインだけでなく皆にも心あたりがあるものだった。
 オウルにいる第44小隊。ああ、そうか!
 アネットが尋ねた
「じゃあ、あなたたちの隊長はピート?」
「え・・・はい、その通りですが・・・」
「彼に合わせてくれないか?」
「は・・はあ」
 と、戸惑い気味に隊員は答えた。モニカを見た。
 不安と期待が入り混じった表情で皆を見つめていた。



 やがて、部下たちに連れられて彼らの隊長がやってきた。
「君は?」
 スレインは敬礼して答えた。
「第4077小隊、スレイン・ヴィルダー少尉。」
「テッド・シンクロレア少尉だ。」
 と、相手も敬礼を返してくる。
 中肉中背、平均的な体格だが腕や足は太い。立ち振る舞いから戦闘経験を有していることが伝わってくる。
 さすがは、将軍を務めたモニカの父の親友だけのことはある。
「そうか、君の名前は聞いたことがあるぞ。この前の輸送作戦で火計で輸送部隊を救ったというのが君か?」
「は・・はい」
 と、無駄に有名になったのかもしれないと、思いながらスレインは答えた。
「思ったより若いが大した物だ。だが、君が私に何か用なのか?」
「それは・・・」
後ろにいるモニカを紹介しようとしたが、テッドのほうが彼女に気付いた。
「君は・・・モニカちゃんか?ピート・アレンの娘の?」
「え・・・ええ。」
「大きくなったな。私が知っているのはとても小さい君だったのだが・・・」
 と、テッドは当時のことを懐かしそうに言った。彼が村を出たのはモニカが幼少の頃だった。結婚したのが道具屋の娘でその母方の実家が連邦だった。まだ、食糧不足は健在化していなかったが、その機会に連邦に移住したのだった。
 そして、今は軍曹そして先ごろ少尉に昇進して一個小隊を預かる身分になった。
「少尉。今日はモニカの父親のことを聞きたくてお呼びしたんです。」
「何・・・」
 モニカは言った。
「お願い、父のことを教えて。何でもいいの。」
 ―父はどんな人だったのか?
 ―家族のことをどう思っていたのか?
 ―何故、姿を消したのか?
 と、モニカはどこか救いを求めるように訴える。
 いつになくモニカは気を高ぶらせてるのが感じられた。無理もない、いままで父の手がかりはなかったそれが見つかったのだから。
「モニカちゃん。」
「・・・・弥生」
 弥生がモニカの肩に手を置いた。それで、モニカはやや落ち着いたのかテッドを静かに見つめる。
「よく私のいる場所が分かったな。」
「ここにいる皆や、村の・・・幼馴染が教えてくれたの。」
「そうか、村の皆もか・・・よかったよ。馴染めたようで。」
 フェザリアンが馴染むというのも難しからな、とテッドは呟く。
「貴方は私があの村に来た理由を知っているの?」
「ピートから聞いた。概要程度はね。」
「・・・・・」
 黙り込むモニカを見て、テッドは話題を本題に戻した。
「君のお父さんはローランドのでの地位を捨ててあの村にやってきた。それは、真実だ。」
「じゃあ、どうして・・・」
 テッドは全てを知っているわけではないが、と前置きしてから。ピートが姿を消した時のことを話し始めた。
「ピートは姿を消したその日、彼は黒衣の男達に会っていた。その人たちに囲まれながら彼は外に出ていったのだ。」
時間は夕刻でそろそろ夜になるくらいの時間だったと思う。あの日
「黒衣の男達?それなら誘拐?」
「いいや、特に抵抗するそぶりは無かった。二言三言言葉を交わしてから、その集団とともに歩いて行った。」
 誘拐ではなく、自分の意志で黒衣の男たちについて行った。
「それなら、父は自分の意志で母を捨てたの?」
「・・・・・」
 テッドは苦しそうな顔をした。彼にしても友人をそのように言うことに抵抗があった。
「本意ではなかったはずだ。何度も村のほうを振りかえっていた。心残りだったのだろう。」
「でも・・・っ!」
「私は全部を知っている訳じゃない。あの黒衣の男たちと何のために出ていったのかは分からない。」
 モニカは悲しそうな顔でテッドを見た。普段の彼女が決して見せない表情だった。会話が途切れた時、アネットは尋ねた。
「それ以前に何か変わったことはなかったの?」
「変わったこと・・・・か。」
「うん、ピートさんが何か変ところがあったとか・・何でもいいんです。」
「関係ないかもしれないが・・・「闇の力」というのをひどく気にしていた。」
「闇の力・・・?」
 と、アネットは良く分からない様子で言っていたが、スレインは違った。
 その言葉に、心が震えた。
 闇の力の資質を持っている娘。
 黒衣の男達。
 闇の力。
 それはピートが闇の精霊使いになったことを暗示している。
 それは・・・・
 と、口を動かしかけるが出来なかった。それだけでは決定打にはならない。あくまで可能性の話でしかない。
 同時にどこかでそれが可能性の話であることを望んでいた。
 そうこう思案している間にアネットが尋ねた。
「何、それは?」
「それが、何を意味しているのかは分からない。尋ねても返事をもらえなかった。」
「―済まないが、私が知っているのはここまでだ。」
 暫くモニカは黙っていたが、テッドに頭を下げた。
「・・・・ありがとう。突然、来てこんなことを聞いてごめんなさい。」
「いや、私のほうこそ済まない。」
 テッドは繰り返すよう言った。
「彼は家族を愛する男だ。それだけは覚えておいてくれ。」
 モニカは言葉では答えず、再び頭を下げた。そして、背を向けると、別の方向に向かって歩いていく。アネットと弥生が付き添っている。
 テッドはそれを複雑な表情で見ていたが、後ろから声がかかった。
「隊長・・・・」
 彼の部下だ、二言三言言葉を交わすと、テッドは軽く会釈した。
「済まないな。仕事が出来た。」
「いえ、こちらこそ失礼しました。」
 と、スレインは答えた。もともと、進軍中なのだ仕事があるのは当然だ。良く時間を取ってくれたとも言えた。
 だが、テッドは不快そうな表情はしていなかった。
「モニカともし生きているならピートに会えるといい。私はそう思っている。私のことがよくわかったね。」
「色々な人に協力されましたから。」
「モニカは仲間に恵まれたようだね。」
 と、テッドは嬉しそうに言った。
「モニカを頼む。」
「はい」
 と、答えた。
 そのつもりだった。モニカだけじゃない。他の仲間もそれぞれしようと思っていることがあるのだから。
 その答えにテッドは微笑を浮かべると、自分の仕事に戻っていった。

 モニカはどうだろうか?
 どこか悲しそうなモニカを心配顔の弥生とアネットが囲んでいる。
 モニカの落ち込みは無理もない。何か事情を知っていると思われたテッドからの話はより謎を深めるだけだった。
 スレインは精霊使いの可能性に行き当たったが、確証がない以上口にすることは憚られた。
「ごめんなさい、ちょっと取り乱しちゃった。」
 もともと、雲をつかむような話だから、今回のようなこともある。モニカはそう割り切ろうとしていた。
「ありがとう。皆。お蔭で初めて具体的な話が聞けたわ。初めてだったから父の関係者に会うのは。」
「モニカちゃん、どこかに手がかりはあるはずですわ。」
「そうよ。今回だって見つけられたんだから。」
「・・・うん。」
 きっと、落ち込んでいるのは変わらないだが、モニカの感情はそれだけではなかったのだろう。
 もう一度、繰り返した。
「ありがとう。」
 そして、それは自分にも直接向けられた。
「スレインも、ありがとう」
「どういたしまして。今度は手がかりがあるといいな。」
「ええ」
「ほんなら、少し休んだら行こうか」
 と、ヒューイが暗くなり気味だった場を和ませるように大げさな身振りで言うと、自然と笑いが漏れた。
 ラミィが何かを察したのはそんな会話が始まった時だった。
「スレインさん、何か来ます。東側から」
「え」
 南は前線の方向だ。すると、水平線の向こう側から煙が沸き起こった。何かが燃えているというものではなく、土煙だ。何か大勢がこちらに向かってくる。
 それに仲間たちも気づいた。
「どれ、わしの望遠鏡で・・・」
 ややあって、ビクトルはその正体を伝える
「あれは、キシロニア軍だ。それも怪我人が多い。」
「けが人?」
 スレインはビクトルから望遠鏡を借りると、その言葉通りの光景が目に飛び込んできた。
 負傷者の数はかなり多そうだ。荷台に乗せられた者がいる。それだけではなく、まだ戦えそうな兵士も大勢見える。
 何よりもその規模だ。
 一個連隊以上じゃないか・・・もっと多いかも。
 部隊は陸続と続いている。
 前線で何かあったのか・・・悪い予感が駆け抜けた。
「私にも貸して」
 アネットが言った。
「ひどい・・・あんなに負傷者が」
 医療に携わっている彼女らしい感想が漏れた。
「あれ、こっちに誰か向かってくるわ。伝令かしら?」
 アネットの言う通り、馬に乗った兵がこちらに向かってくる。伝令は馬のスピードに物を言わせてすぐにこちらに近づいてきた。
 そのころにはこの村についていた他の部隊の人々も異変を察して、外に出ていた。
「最先任の士官はいますか!!」
 と、伝令は大声で叫ぶ。
「何があったのか?」
 答えたのは先にこの村に来ていた士官が答えた。階級は少佐だろう。
「それにこの大軍は・・主力部隊ではないか・・・まさか」
「国境の防衛ラインが突破されました。敵の大軍が迫っています。」
 建国以来無かったこの展開にその場にいた者はしばらく声を出すことができなかった。

 国境付近の戦闘は連邦にとって悪夢そのものだった。
 アグレシヴァルが総攻撃を始めたその翌日にキシロニア軍は第2線への後退を余儀なくされたが、ここから先は通してはならないと、力戦した。このため、アグレシヴァルの前進は阻止され、今まで同じように撃退できると皆が信じた。しかし、ここでゲルハルトの伏兵が戦局を動かした。彼らはケネス・レイモンが行ったのと同じ方法で山脈を突破して連邦軍の後方に5千の兵力を出現させた。
 挟撃の可能性からキシロニア軍は後退に移った。予備隊でこの伏兵に当たろうとする攻撃的な意見もあったが、どう考えても予備部隊で対応できる敵ではなかったからだ。
 しかし、アグレシヴァルの追撃は急速でキシロニア軍は大損害を受けた。死者5千、負傷者もこれとほぼ同数。大損害だった。
 攻撃開始から4日にして国境防衛ラインは突破された。
 だが、キシロニア軍は抵抗を諦めた訳ではなかった。残存部隊と予備部隊を併せて再度防衛ラインを布く覚悟だった。
 場所はオウル村から首都方向に数キロ進んだ場所にあった。そこには少々心もとないが最後の希望が残されていた。



「せーの!」
 と、合図すると、他のメンバーが巨大な板を押した。押された板は立ち上り、それをまた、巨大な坊で支えにする。
「ふう、これで何個目かしら。」
「割り当てはとうに終わっとるで、他の班の手伝いに回ってからずいぶん経つような気がするで。」
「そうね」
「たぶん20個は立てたんじゃないかしら。」
「とにかくこれが有るだけでもいいですわ。」
 その通りだった。スレインたちが立てかけた板は魔法や弓矢を防ぐための巨大な板だった。巨大な気出てきた盾のようなものだ。その周囲にも同じような盾がいくつも作られていたり、作っていたりした。
 キシロニアが頼みにしたのは、国境防衛線の予備として設けられた第2防衛ラインだった。国境防衛線と同じく、前衛陣地として石でできた壁、そして矢倉があり、その後方に道路でつながれた砦がある。国境防衛ラインが最重要だったため、予算が不足し、整備が不十分なところもあるが、贅沢は言っていられなかった。
 国境に向かっていた予備部隊はほとんどが後方の砦に配属された。彼らはいくつかの砦で待機し、前衛陣地が突破されたり、されそうになった時には砦から出て駆け付けるのだ。
「食事だ。」
 同じような作業を行っているどこかの隊の声が聞こえた。
 よく考えれば、前線に行こうとして歩いて、また少し戻って、陣地の構築作業。皆にも大分疲労の色が見えた。
「一回、休憩しよう。」
「そうね・・・」
 辺りにはスレインたちと同じように休んでいる隊もあるし、作業を続けている隊もあった。
 みんな必死なんだ。とスレインは思う。
 ここを抜かれればアグレシヴァルに障害物は何もない。だから、負けられない。たとえ残ったの兵力が乏しいのだとしても。
 そんなことを考えながら、食事をとった。始めは何も感じなかったが、次第に食事の味が全身に染みわたっていった。さっきまでの緊張が緩んでいった。
 そんなことをしているうちにモニカの姿が見えないことに気付く。
 どうしたんだろう?
 と、立ち上がって近くの窓から外を見ると、外でモニカが遠くのほうを見ていた。
 呼んで来よう。
「外にいるみたいだから、呼んでくるよ。」
 階段を降り、扉を開ける。モニカはさっきと同じように遠くを見ていた。ポーニアとは反対の方向だった。
「モニカ、どうしたんだ?」
「スレイン・・・・」
 嘘だ、分かっている。モニカがこんなことをする理由など察しはつく。
「昼間のことか?」
 モニカは頷いた。
「ごめんなさい、もう少し。一人で考えたいの。」
「・・・そうか、」
 そうだよな、モニカにとってはまだ消化できる時間が欲しいのだろう。
 ピートが闇の精霊使いである可能性もまだ、可能性の段階だ。今のモニカに言うことはできない。思いつきで彼女に何か言っていい状態ではない―とスレインは思った。
 でも、これだけは言える。
「何か手がかりがあれば、また言うよ。それは構わないかな?」
「・・・ええ、お願いするわ。貴方も物好きなのね。」
 僅かにモニカから笑顔がこぼれた。だが、それはどこか真剣な表情へと変わった。
「でも、今は戦いのことに集中して。私のことはそのあとでいいから。貴方、一応隊長なんだから。」
「分かっている。ごめん、そんなことにまで気を回させて。」
「あの・・・今日はありがとう。いろいろ調べてくれて。」
「皆にもそう伝えておいて」
「どういたしまして。でも、それはモニカから直接言った方がいい。」
「・・・それも、そうね。」
「オルフェウスにも言えるといいね。」
「ええ。」
「じゃあ、僕は戻るけどあんまり遅くならないで戻ってきてくれよ。もし、テッドさんの隊に行くなら、ここからみて北に4つ目の塔に行くといい。」
 自分の行動を見破られたと感じたのかモニカは照れ笑いのようなものを浮かべ、小さな声を出した。
「ありがとう。」
 最初よりもどこか表情が明るい気がした。モニカが正しい方向に歩いているのを認めてからスレインは戻り始めた。
 彼女は父親を探している、だが、命がなくてはその目的を達することはできない。
 いいや、彼女だけじゃない。皆、同じだ。
 アネットも弥生もヒューイもビクトルもそして自分もそれは同じなのだ。
 あれ?
 どこかで見た人影に足が止まった。
「アネット?」
 それに、普通の役人?数は2人その服装はどうみても戦場に出てくるようなそれではなかった。
 3人の後をスレインはついていく。人通りの少ない場所で彼らは止まった。まだ、修復されていない防衛線の塔。すでに倒壊し再建が放棄されたらしい場所だった。その廃墟の隅で3人は何かを話し始めていた。
 何を話しているのかと悪いとは思いながらも聞き入っていたが、向こうのほうから会話の内容が怒声と共に伝わった。
「何言っているのよ!今、アタシにヴォルトゥーンに帰れっていうの!お父さんの命令!?」
 アネットの声だった。それで何があったかは、分かる。
「・・・・本当に皆色々あるんだな。」


 陣地構築の作業は夜に入っても交代で続けられた。スレイン達の隊は休みのグループに入り、皆が寝入っていた。だが、当直に当たっていれば話は別だった。スレインは目をアグレシヴァルが来るであろう東に向けながら塔の上から監視を続けていた。他の塔にも彼と同じように当直に当たった者が監視に当たっている。
 監視に当たってからもう数時間が経過した。次の交代で上がってくるのはアネットだ。
 どう、言ったらいいのかな。
 と、スレインは思う。あの後、話の詳細は分からなかったが、アネットは折れなかった。その時の話はしてない。
 ラミィと監視の合間にも話していたが、何を言うべきかは分っている。
 アネットは仲間だ、戦いのときにも頼りになる。しかし、彼女は連邦議長の娘だ、連邦のために生き残らなくてはいけない。
「アネットさんですよ。」
 と、ラミィが教えてくれた。それに頷いたときに、アネットが階段から顔を出した。
「スレイン、交代よ」
「ああ、もう時間か・・・」
「異常はない?」
「ああ、まだ奴らは現れない。」
「そう・・・・」
「奴らにすれば、進撃のチャンスのはずなのにな」
「聞いたんだけど、撤退の時に村々の食糧庫をそのままにしておいたんだって。」
「え?」
 そういうときは、敵に渡さないために食糧は燃やしてしまうのが常道だ。
 ―しかし、今の情勢下ではそれは別の意味がある。
「時間稼ぎに食糧を使ったっていうこと」
「貴方、察しがいいのね。」
 これは参謀の人が教えてくれたんだけど、とアネットは前置きして話した。
「食料庫をそのままにしておけば、飢えて敵兵はそれを集めるのに必死になる。兵士が直接飢えていなくてもそれをできる限り本国に送ろうとする。」
「そうすれば、敵にしてみれば余計な時間をかけてしまう。そういうことだね。」
 時間は今の連邦にとっては何よりも大事だった。ダメージを受けた部隊の補充、防衛線の整備。どれも時間が必要だった。敵が来るのが遅れればそれだけ連邦にとっては都合が良いのだ。
「でも、ここを抜かれたら最期よ。もう防衛線は残っていないのヴォルトゥーンの城壁は見かけ倒しだし。後がないわ。」
「ああ」
 スレインはそこで話を切り出した。
「アネット、議長のところへは行かないのかい?」
「スレイン?」
「ここは危険な戦場だ。相手もこっちも全力を出しての決戦。そんな時に君がここにいたら本当に危険が及ぶ。」
「危険なことなら敵の砦で経験済みよ。」
 輸送部隊の帝都突進の時のことを思い出す。考えれば本当に危うい状況だった。
「そうだね、あれは僕のミスだった。―でも、今度は違う。本当に死ぬかもしれないんだよ。」
 それを聞くと、アネットは本気で怒り始めた。
「!!、あなたも昼間来た人たちと同じことを言うの!?あたしはそんなに・・・役立たずなの!」
「違う!」
 と、強く否定する。そんなはずないじゃないか。
「君は前衛だ君がいるからビクトルや弥生、それにモニカも安心して遠距離攻撃を続けていられる。」
「じゃあ・・」
「でも、アネットはバーンズ議長の娘だ。危険が大きすぎる。娘の心臓のすぐ先に剣の切っ先がある。その父親はキシロニアの最高指揮官なんだよ。」
 アネットは一瞬言葉を詰まらせた。そういう状況になることの意味を知らないわけではないのだ。
 しかし、彼女は答えた。
「だから、帰れっていうの?そうならないために貴方がいるんじゃない!前の戦いの時だって助けに来てくれた。」
「100パーセントの保証はできない。前の戦いのときみたいになってしまう可能性もあるんだ。だが、君が首都に戻ればその可能性はゼロになる。」
「アネットは怖くはないのか?」
「怖いに決まっているじゃない!」
 怒鳴り返したアネットはスレインを見据える。
「でも、私は逃げるわけにはいかないの。連邦議長の娘としてそう思うの。」
「見て、スレイン。」
 アネットが指差した先におそらく後方から送り込まれた補充兵の一隊がいる。武装は鋤や鍬といった農具、防具はどこかで放置さていただろう安物の鎧を着ている。年はもしかしたら自分たちよりも低いかもしれない。
「あの人たちはリグンマスターですらない。そんな人たちも見捨てて逃げろっていうの。」
「それにね、みんな私のことは結構知っているの。」
 アネットは以前から前線の近くにまで来て、もし負傷者がいれば、治療に当たったり、リングマスターである素質を活かして敵と戦いもした。だから国境警備隊にいた兵の間でアネットは人気があった。
「アネット・・・」
「ならアタシが逃げるのは今はまずいんじゃないの?戦いの前に最高指導者の娘が身の安全の為に姿を消す。それって滅亡寸前の国で良くあることじゃない?」
「・・・・」
 軍の士気を下げないために自分はここにいる、アネットはそう言っていた。
 こじつけだという考え方もできるが、筋は通っている。連邦議長の娘としての判断ということもできるだろう。
「アネットは昼の人にはそう言ったの?」
「そうよ。」
「そしたら、なんて?」
「何も言わずに引き返していったわ。」
「僕は一応、軍人だ。もしも、命令があったら君を議長のもとに返さなくてはいけない。」
「そんな命令が?」
「いいや、まだ言われていない。」
 命令がない限り、アネットに強制するつもりはないが、ただ、避難を進めることはできる。アネットの話したことは分るが、ここに彼女はいるべきでないと思った。いつもの任務とはくらべものにならないくらい危険度が高いからだ。
 もっとも、どこかでいてくれれば心強いという感情もあるのだが。
 アネットは顔を背けると、ひどく気落ちした様子だった。彼女にしてみれば仲間のスレインにそう言われるのは想定内にしてもつらかったのだろう。
「そう・・・今回に限っては自信がないの?」
 そこで妙のことが起きた。口が勝手にしゃべろうとするのだ。
「?」
 その力に抗えない。やがて、スレインの意志を無視したまま口がしゃべり始めた。
「どうしたの?」
 スレインの異変を察したアネットが声をかける。
「馬鹿・・」
「え?」
「馬鹿言うな!そんなことさせるかよ!」
「は・・・はい?」
「お前が危険な目に合うことはない。俺が守る!」
 アネットがスレインの豹変に驚くのを他所に彼は話し続けた。
「ス・・・スレイン・・・あんたどうしたの?人が変わったみたいに」
「あ・・・いや」
 口がようやく思い通りに動かせたのはその時だったが、完全に気勢をそがれた格好だった。どこか、ごまかすような口調で言った。
「何でもない、ともかく。今は何の命令も届いていないから・・・このままだ。」
 どこか狐につままれたようなアネットはじっとスレインの表情を見た。
「ああ・・・うん。」
「じゃあ、これで僕は戻るから・・・」
 監視塔の階段を下がり終わったところでもう一人の自分に詰問する。
 途中で事情は察していたらしいラミィはどこかおろおろした様子で辺りを漂っていた。
「なんで、あんなときに話すんだよ。」
「悪かったな。」
 と、ふてくされた声が返ってきた。彼にしてもいきなり体があのピンポイントで戻るとは思っていなかったのだろう。
「お前だって、アネットに無事でいて欲しいんだろう!?」
「っち、うっせーな。悪いか!」
「だったら、なんで・・!」
「お前、自分でアネットにのも残って欲しいと思ってるんだろう!?」
「・・・・・」  グレイの言葉が自分の考えの一面をついている。
 そうだ、アネットは強い味方でずっと側にいた。だから今回の戦いでも一緒にいてほしい。
「否定はしない。」
 しかし、その考えは危険でもあった。現実に国境の砦の戦闘でアネットは捕まった。救出が間に合ったからいいものの、そうでなかったらと思うと背筋が凍る。
「それでも、アネットはここにいてはいけないんだ!」
「ちっ・・・綺麗ごとを。説得できんのかよ」
「それは・・・」
「説得できねーなら腹をくくれ!アネットも他の誰も死なせるな。」
「勝手なことを・・・」
スレインは力なく言った。説得できるのか?と言われれば確かに難しいそれは事実だったから。
グレイもつばが悪そうに謝った。アネットが危険の中にいることを彼も分かっていた。
「それにお前もなんとなく分かってるんじゃないか?バーンズの親父さんは時空制御計画の時と同じで、娘にきちんとした考えがあればやりたいようにさせるんじゃないか・・・って」
「・・・・・・・」
 アネットの話を聞いて、そうとも思った。
「どっちにしても、お前はこの戦いが勝っても負けても、皆を守ればいい。それだけだろ?」
 ともかく
  「俺も悪かった。―ともかくお前は全力をつくせ。それだけだ。」
「おい!グレイ。」
 呼びかけにもう一人の自分は答えなかった。会話が終わると、床に腰を下ろした。
「スレインさ~ん。大丈夫ですかあ?」
 ラミィは心配そうな顔で言う。
「ああ、何とかね。」
 と、余裕のない声で答えた。そして、グレイが残した言葉をつぶやく。
「全力をつくせか・・・簡単に言ってくれる」
 どこか力のないスレインにラミィは大声で言った。
 それを見て、ラミィは大隊の事情を察した。もう一人の自分とはなしていたんですね~。
「大丈夫ですよ~!ヴィンセントさんの言葉を思い出しましょう!」
「しかし・・・」
 力量を見定め、状況を見定め、適切な行動か・・・・大規模な戦いでもそれができるだろうか?
「駄目ですよ!弱気になっちゃ。スレインさんは今までもちゃんとやっていたし、きっと今度だって皆無事でいられる・・・皆さんそう思っているのです~」
「みんな・・・が?」
「はいです~。ヒューイさんやビクトルさん、モニカちゃんだって・・・それから弥生さんは直接言ってくれたじゃないですか~」
 妖精は嘘はつかない。
 確かにいままでそれなりに任務を果たしてきたけれど、みんなそこまで信じてくれていたのだろうか?
 そう思うとどこか嬉しかった。
 だったら、グレイの言う通りなのかもしれない。
「・・・・それなら、皆の期待に応えないと。」
 スレインの顔から微かに笑みがこぼれたのをラミィは見た。
「頑張ろう。」
 そう短くスレインは言うと、そのまま寝所に戻っていった。もしも、明日が決戦であっても。十分に働けるようにするために

 スレインの努力が試されるのはそれから1週間してからのことだった。

 

更新日時:
2015/2/6 

PAST INDEX FUTURE