暗い。
ここは、本当に真っ暗だ。歩いても歩いても何も感じられない。
全てが闇。
ここは、どこだろう?
疑問ばかりが浮かび上がるが、答えはない。
その代わりに光が見えてきた。
彼の歩く方向は自然にそれに向かっていく。
もう少しだ・・・・
近づくと、光はますます強くなった。光は真っ暗だった世界に彩を持ち込んでいった。
もう少しで、届く・・・・
手が光に触れた。その瞬間、まばゆい光が放たれた。
彼は思わず目を閉じた。
それから暫くしてから、彼は恐る恐る目を開いた。
周りの様子は一変していた。
ベットの上に彼は寝かされていた。
天井にはランプが下がり、寂しそうな光を発していた。周りを見ると、木でできた家具が置いてあった。その一つに鏡があった。
それで、自分の姿が確認できた。
自分はひどくやつれているように見えた。 実際、体全体から気だるさと小さな痛みが感じられた。
手を見ると包帯が巻かれている。怪我を負って手当てをうけたのだろう。
「あ・・」
近くに少女が腰掛けていた。
長く、透き通るような赤毛をポニーテールに束ね、その美しい紅に良く合う赤を基調にした服に身を包んでいる。彼女は目を瞑り眠っていた。
誰だろう?助けてくれたのは彼女だろうか?
話しかけようとしたとき、少女は目を覚ました。
「あ・・眠っちゃった・・・あれ?」
「?」
驚いた表情を見せる少女に困惑した顔を向ける。
「気がついたの!?良かった・・・もう、駄目から思ったのよ!」
崖の下で貴方が倒れていたのを見つけた時には死んでいるんじゃないかと思ったわ。と少女は続けた。どうやら、彼女が手当てをしたくれたようだ。
「ありがとう、・・・危ないと事を助けてくれて。」
「全くよ・・・それにしてもなんで、あんな崖の下に?地元の人だってめったに行かないわよ?モンスターだって出るんだし。」
「どうしてって・・・」
彼は問われてから初めて思い出した。
何故、自分はここにいるのだろうか?
それ以前に、自分は何者なのかという疑問を。
「どうしたの?」
怪訝そうな表情の彼女を横目に彼は自分のことを思い出そうとした。だが、其の瞬間頭に激痛が走った。
「っ・・・・!!」
「大丈夫!?」
「頭が・・・・」
「もしかして・・・思い出せないの?」
そのとおりだった。
彼は力なく頷いた。
「そんな・・・せめて、自分の名前だけでも思い出せないの?」
自分の名前・・・
そのことを思い浮かべた時、彼の口はとても自然に動いていた。
「スレイン・・・・スレイン・ヴィルダー」
「スレインね・・・・」
部屋のドアを誰かが叩いた。
「はい。」
アネットが答えると、ドアが開き男たちが入っていた。
一人は年配で僧侶を連想させるような服を着ていて、もう一人は30代くらいの男性で見るからに戦士を連想させる肉体に、頑丈そうなよろいを身についていた。
「あ、おじさん!」
「おお・・どうやら、気づいたようですな。」
「ところで、彼の名前は?」
「スレイン・・・というみたいなんだけど、そのほかの記憶がないみたいなの。」
「記憶が?」
それまで黙っていた戦士が言った。
「怪我をした時の後遺症かもしれませんね。」
あの高さの崖から落ちれば、死んでも不思議じゃない。と、彼は言った。
「リングを着けているからどこかの兵士かもしれないな・・・」
2人の話を聞いていたスレインに少女は言った。
「前にいるのがあたしのおじさんでアルフレッド、もう一人がロナルドさんよ。」
「よろしく。」
「よろしくな。」
スレインも返事を返す。そして少女を見た。
「あの・・君は?」
「まだ、言ってなかったのか?」
と、アルフレッドが呆れたように言うと、「ああ、そういでば、まだ言っていなかったわね」と、頭を掻きながら少女は答えた。
「アタシはアネット・バーンズ。よろしくね。」
アネット達は何か用事があるらしく、部屋を出て行ったが、スレインはまだ部屋にいた。傷は十分に癒えているようで、立ち上がったり、運動したりするにも支障はないようだ。しかし、周囲の状況を把握しきれたとはいえなかった。
この国でも通用する文字もかけるし、読める。そういった知識については持ち合わせがあるようだが、自分のことだけは思い出すことが出来なかった。
無理にそれをしようとすると決まって頭痛に見舞われた。
・・・・こうしていても仕方ないのかな・・・
スレインは立ち上がり、部屋の外に出た。
外に出ると、そこには平和な農村の風景があった。収穫を終えた作物が並べられている。家の数はそれほど多くないが、のどかな景色と平和そうな光景はスレインにとってはとても新鮮に思えた。
だが、それに不似合いなものもある。
兵士の姿だ。
「休んでいなくていいのか?」
「ロナルドさん。」
戸口の近くにいたロナルドが心配そうな顔で話しかけてきた。
「まだ、治りきっているわけじゃないだろうに。」
「なんとか、大丈夫そうです。それに・・・じっとしていられなくて・・・」
「確かにじっとしているのは辛いだろうな・・・」
スレインが深刻そうな顔をしていることに気がついたロナルドは話題を変えた。
「ともかく、今はあんまり出歩くな。アグレシヴァルの連中がいつ来るか分からないんだ。」
「アグレシヴァル・・・ですか?」
ロナルドはスレインにアグレシヴァルという国について噛み砕いて説明した。
アグレシヴァルとはキシロニアの北西に位置する国家で世界的な飢饉の影響を受け、飢餓状態に陥っていて、それを打開するために食料の豊富なキシロニアを狙っているということを。
「だから、こうして警備の兵が」
「そうだ。」
と、答えるロナルドは複雑な表情見せた。
「奴らにすれば、日々の食事に事欠く有様・・・生きていくために俺たちから食料を奪うしかない。・・・全くいやな時代になったものだ。」
「そうですね・・・でも、何故そんなことに・・・」
「あれを見ろよ。」
ロナルドは太陽を指差した。それを見ると、光は弱い。
「太陽が光を失いだしたんだ。お陰で飢饉がますます酷くなった。この大陸じゃあこの程度で済んでるが、北のほうだと大陸ごと全滅したところもあるらしい。」
「そんな・・・」
何故だろう?太陽を見ていると、心のどこからか罪悪感がこみ上げてくる。
しかし、スレインはその感情に首を振った。自分は記憶を失った人間でしかない。
自然が理由では、何故そうなったかを突き止めることは出来ない。よしんば、突き止めてもそれを人間がどうにかできるわけでもない。
ロナルドはため息をついた。
「まあ、ともかくお前は自分のことを考えなきゃな。俺たちも出来るだけのことはするつもりだ。」
頼りがいのありそうな笑みを浮かべるロナルドの言葉に嘘は感じられなかった。
「あ・・ありがとうございます。」
アネットや、ロナルドのような人たちにめぐり合えたのは本当に幸運なことなんだとスレインは素直にそう思った。
「敵襲!!!」
村中に叫び声が聞こえた。
スレインの目にロナルドとは全く異なる甲冑に身を包む兵士が見えた。その手には武器が握られている。
「来たか、アグレシヴァルめ!総員、応戦せよ!!」
と、ロナルドが命令する間にもアグレシヴァル兵が迫ってきた。
「おい!お前もリングマスターだ。武器を呼び出すんだ!」
「は・・はい!」
スレインは自分の指に嵌められたリングを見た。
次の瞬間、それは光を放って大きな剣を形作った。
リングマスターの能力だった。リングはその人間の魔力によって武器を実体化させる。この世界で戦いに参加するのはリングマスターというのが普通だった。そして、そのことはスレインも常識として心得ていた。
「上出来だ。」
「自らは孤立しないように、味方と連携して敵を叩くんだ!」
「はい!」
戦いが始まった。
アグレシヴァル軍の目的はこの村から食料を巻き上げることだった。そのためには手早く守備隊を叩いておく必要がある。
魔法兵は火炎系の魔法を放ち、村の人、守備兵に浴びせかけ、それに弓兵も加わった。
「弓兵隊は魔法兵と敵の弓兵を!歩兵は俺たちだけで片付けるぞ!」
ロナルドは指示を出して自分も戦闘に加わった。彼の周りに複数の敵兵が群がったが、その攻撃を彼は全て受け流していった。そして、時たま強烈な逆撃を加える。それをよけ損ねた兵士の一人がドウと倒れた。
スレインも敵兵と対峙していた。敵の兵士はロナルドに比べれば戦いやすい青二才に過ぎないと判断したのだろう。
足がかすかに震える。本当に敵を倒せるのか、機敏に動けるかに分からなかった。
ただ、相手に気おされまいとしてスレインは相手を睨み付けた。
「うおおお!」
敵兵の剣が振り下ろされる。
瞬間、スレインはいとも簡単にそれをかわしていた。
―すごい。
自分でそう思うほど、スレインの体は機敏に動いていた。まるで、自分とは違う誰かが体を動かしているような気がした。
そして手がまるで呼吸をするかのように敵兵の腹部に移動した。その手には大剣が握られていた。
一瞬のことにアグレシヴァル兵は自分が命を落としたのを理解できないようだった。目を大きく見開いたまま彼は倒れた。
―勝った・・・のか
近くで戦いの音が響く。
―まだ、終わっていない。今は戦わないと。
スレインは再び、剣を構えると、複数を相手にして苦戦しているロナルドの助けに入った。ロナルドに気を取られていた重歩兵に剣を振り下ろした。
その動きに一瞬気を取られたのをロナルドは見逃さなかった。長剣が一閃して、その一人を切り捨てた。
「すまない。助かった。」
「いえ」
その時、スレインの視界に子供の姿が目に入った。
子供が・・!
子供も必死に逃げているが、その腕からは血が流れている。そして、近くにはアグレシヴァル兵がいる。
「くそっ!」
スレインは駆け出すと、魔法を詠唱する。
子供に向けられた剣が振り下ろされた刹那、スレインの剣がそれを受け止めた。いきなりの邪魔に露骨に顔をしかめる兵士にスレインは至近からアイスバレッドの魔法を放った。
氷の刃がアグレシヴァル兵の鎧と体を貫通した。
「逃げろ!」
「・・・う・・・うん!!」
というスレインの叫びに子供は恐怖に引きつった顔をしながら走っていく。声は震えていた。
よし、あれなら逃げ切れるな。と、スレインは思うと、再び立ち上がった。戦闘はまだ続いていた。
しかし、戦闘は終局を迎えつつあった。
「ロナルドさん!援軍ですぜ!」
「おお、来たか!」
部下が知らせてくれた方向を見ると、別の砦から出撃して生きた部隊の隊旗が見えた。数は100人くらいだろう。
「おおい!援軍だぞ!がんばれ!!」
わざとらしいくらい大きな声でロナルドは言った。
「くそっ!邪魔が入ったか・・・それに、守備隊もかなりの手練だな・・・」
アグレシヴァルの部隊長は毒ついた。彼の部隊は比較的少人数で編成され、ともかくスピード重視で連邦の村々から食料を略奪することが任務だった。
それが、この村の守備隊は数はともかく、かなりの手練で、思うように排除できない。敵の増援も到着しつつあるようだ。
失敗か・・・
「撤退だ!」
アグレシヴァル兵は一斉に引き上げにかかる。
ロナルドはそれを追撃すべきか思案したが、救助のほうが優先すると思い直した。戦闘の影響で傷を受けた村人も多かったからだ。幸い犠牲者はでていないようだが。
そして、部下にも死者はでていない。そのことにロナルドは満足を覚えた。
初めての戦闘を終え、虚脱したような表情のスレインのことが目に入った。
うん、彼はなかなかの使い手のようだ。戦闘中、スレインの動きを見ていたが、無駄がなく、剣は正確にそして一撃で敵を屠っていた。
・・・我々、正規軍とは異なる特殊な訓練を受けた者なんだろうな・・・
「スレイン、初めてにしては中々の戦いぶりだったな。」
「え・・ええ」
何故、こんなことが・・・
スレインは驚いていた。
死なないように、誰かを殺されないように戦おうと心がけた。そして、それなりの成果は上がっている。あの子どもは助かったようだ。それに密かに満足を覚えている。
しかし、戦闘は始めていの筈なのに体は流れるように動いて戦闘を制していた。
・・・・どこかの、兵士だったのかな・・・僕は・・
その時、何処からともなく強烈な眠気が襲ってきた。目を開けようとするが、とても出来たものではなかった。
「おい、どうしたんだ?」
「うう・・・」
頭を抱えると、スレインはそのまま倒れこむ。
「おい!しっかりしろ!!誰か!」
というロナルドの声が遥か遠くで聞こえていた。
これは・・・?
スレインは不思議な光景を目にする。
一つはどこかの都で一人の白い服を着た男が黒衣の人々を切り殺していく光景。
二つ目は崖に落ちそうな自分を冷酷この上ない顔を浮かべながら見下ろしている長髪の男。
そして、最後は草原で倒れている自分に近づいてくるアネット。
それを最後にスレインの意識は暗転した。
(つづく)
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